第6話 いざ出陣じゃ
面以外の防具を身につけ、竹刀を握った冷泉大学剣道部改め剣道サークルのメンバーは、自然に松尾女史のまわりに集まり、円陣を組んだ。
松尾女史は大きく深呼吸をする。松尾女史もまた選手と同じように緊張しているようだ。
松尾女史もまた戦っているのだ。
「ついに決勝よ。相手は京仙院大学。昨年の借りを返しましょう」
松尾女史の表情は真剣そのものだ。
「木田君、浦賀君」
松尾女史は木田氏と浦賀氏の顔を見た。
「去年の悔しさを忘れてはないわね」
二人は大きく頷いた。よく考えると、昨年の京都市剣道競技会で選手として出場したメンバーは、木田氏と浦賀氏だけだった。両者ともに手も足も出ずに完敗していた。浦賀氏は怪我をしているため、今年の競技会に出場することはできない。浦賀氏は悔しそうに唇を噛んで、松尾女史の話を聞いていた。
「浦賀、お前の仇は俺が取る」
木田氏が浦賀氏の目を見ながら力強く言った。
「頼むぞ」
浦賀氏が頷く。
「霧島君、葛城君」
松尾女史は緊張で顔が青ざめているトモッチこと葛城智彦とダンディー霧島に呼び掛けた。
「は、は、は、はい」
ダンディーとトモッチの声は震えていた。そのとき、ルーカスが二人の前に立ち、その逞しく太い腕で二人を抱き寄せた。
「大丈夫だ。全力を尽くせ。それだけでいい。お前たちの頑張りは見てきた。恐れるな、サムライよ!」
ルーカスの激励が効いたのか、二人は落ち着きを取り戻した。
「そうだよな。俺たちも頑張ってきたもんな」
トモッチとダンディーはルーカスとハイタッチを交わし、その後、二人ともハイタッチした手を反対の手でさすった。目が若干潤んでいる。
「ルーカス君」
松尾女史は主将のルーカスの顔を見た。
「はい」
「あなた、いつも仲間のことばかり考えているけど、今日だけは自分のことを考えなさい」
ルーカスは松尾女史の真剣な眼差しを見つめ、頷いた。
「気合を入れるわよ」
ルーカスは両目を閉じた。
「ルーカス・ベイル!出陣じゃ!」
松尾女史は社殿全体に響き渡る大声でそう叫ぶと、ルーカスの頬を思い切り叩いた。
バチ――――ン
身長は二メートル近くあり、体重は九十キロを超えるルーカスの巨体が後ろに三メートルほど吹き飛んだ。
『松尾さん、あなたが出場すれば、確実に優勝だ』
私は心の底から思った。
右の頬を抑えながら立ち上がったルーカスは、両腕を突き上げ、ライオンのような雄叫びを上げた。ルーカスの雄叫びは社殿の外まで届き、ギャラリーがざわついた。しかし、私は見逃さなかった。ルーカスの目もまた潤んでいたことを。今の雄叫びは、恐らく、痛さを隠すための小細工に違いない。
「武田君」
ルーカスを張り倒し、興奮気味の松尾女史は息を弾ませながら言った。
「はい」
私は怖くなった。ルーカスが雄叫びを上げなければ耐えられないほどのビンタは勘弁してもらいたい。いや、それどころか怪我を負って試合を欠場してしまうかもしれない。松尾女史のまっすぐな視線が私に突き刺さる。もう逃げられない。私は覚悟を決め、目を閉じ、歯を食いしばった。
しかし、強烈なビンタの代わりに、松尾女史は私を固く抱きしめた。あまりに衝撃的な展開に私は夢でも見ているのかと思った。しかし、夢ではない。そして、松尾女史は私の耳元で囁いた。
「帰って来てくれてありがとう。あなたは私たちのヒーローよ。きっと由紀ちゃんもあなたのことを誇りに思っているわ」
佐々木由紀。忘れたくても忘れられない名だ。本当に佐々木由紀は私のことを誇りに思っているのだろうか。私は目の前で叩きのめされ、そして、一度は尻尾を巻いてアメリカへ逃げ帰った負け犬だ。
しかし、今度ばかりは絶対に負けられない。北村雄平だけには負けたくない。今まで一緒に汗を流してきた仲間のため、私を弟のようにかわいがってくれた松尾女史のため、竹馬の友のルーカスのため、そして、愛する人のため。
私は静かに目を閉じ、心を落ち着かせるため、先ほどマンガで目にしたフレーズを小さく口ずさんだ。
「風林火山」
すると、再び辺りは暗闇に包まれ、あの赤い甲冑が目の前に現れた。そして、甲冑の仮面の目の部分が赤い光りを放った。私が手を伸ばすと、赤い甲冑は姿を消した。
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