父とアメリカ
第1話 イースト・ミーツ・ウェスト
二十五年前、私の父、武田真剣は日本で警察官をしていた。父は京都府警の刑事であった。
父が二十六歳のとき、父は、剣道の腕自慢の警察官がこぞって参加する全国警察剣道大会で優勝した。
賞品はハワイ旅行ならぬ、米連邦捜査局(FBI)での研修であった。英語のまったく話せない父は必死で辞退しようとしたが、面子を重んじる上司に無理やり参加させられたのであった。
ワシントン・ダレス空港に着くと、二メートル近い大柄な白人の警察官と小柄なアジア系の女性が父を迎えた。
この立派な体格の警察官は、トビー・ベイルと名乗った。ルーカスの父だ。そして、父の隣にいた女性は、後に私の母となる女性であった。母はFBIに雇われた通訳であった。当時、母は近くの大学で言語学を学ぶ大学院生であったようだ。
ルーカスの父、トビーは、当初、極東からやって来た英語も話せない小さな男をバカにしていた。しかし、ある日、その態度を一変させる出来事が起きた。
三人が昼食を取っていたFBI本部の近くのレストランに、FBIの長官がやって来ていた。トビーは私の父そっちのけで、長官のご機嫌とりをしていた。
その時、銃を持った三人の武装集団がレストランを急襲した。三人は全員黒い目出し帽をかぶっていた。
彼らの狙いはFBI長官であったようだ。武装集団はマフィアのメンバーであり、先日逮捕されたボスの釈放を求めた。
しかし、ここはFBIのお膝元だ。トビーをはじめ、拳銃を携帯している捜査官がレストラン内には数名いた。捜査官たちはすぐに拳銃を抜き、投降を呼びかけた。だが、目出し帽をかぶった武装集団は、レストランの三人の従業員を人質に取り、抵抗した。
武装集団は三人の人質を解放する代わりに、FBI長官を人質にすることを要求した
。FBI側はすぐにはこの要求をのまなかった。
トビー・ベイルは主犯格と思われる男の額に銃口を向けた。テキサス州出身のトビーは狙撃の名手として知られていた。しかし、レストランには大勢の一般人の客もいる。犠牲者をださずにこの状況を解決するには、一瞬で三人の武装集団を倒さなければならない。そんな時、日本から研修でやって来た小さな男が、静かにキッチンへと消えていく姿が視界に入った。
『あの野郎、逃げやがった』
トビーは怒りで顔を紅潮させた。
時間はじりじりと過ぎていく。レストランの外には次々に警察車両が到着し、特殊部隊が周りを囲んだ。しかし、人質を取られているため、簡単に動くことはできない。
その時、キッチンから清掃員姿の男がモップを持って姿を現した。この清掃員姿の男は父であった。そして、モップの先端の部分はなぜか取り外されていた。
武装集団の一人が父に気づき、人質を抑えつけたまま父に銃口を向ける。
「おい、お前、動くな!ぶっ殺されたいのか!」
父は首をかしげて、
「アイ・キャント・スピーク・イングリッシュ」
といった。
『あのバカ、何やってんだ。ここはアメリカだ。本当に殺されるぞ』
トビー・ベイルの額に汗が浮かぶ。
しかし、武装集団の注意が父に向いていることに気づいたトビーは、すぐに冷静さを取り戻し、いつでも撃てる態勢を取った。
一方の父は相変わらず惚けている。
「スピーク・スロー・プリーズ」
苛立った武装集団のボス格が手下と思われる男に、
「こいつを殺せ!」
と命じた。手下の男が銃を向ける。
その瞬間、武田真剣は、手に持っていたモップをひと振りした。
手下の男の手首にモップがヒットし、男は銃を落とした。
立て続けにモップはもう一人の男の頭を急襲していた。
慌てたボスが人質から父に銃を向けた瞬間、トビーの銃から放たれた銃弾がボスの腕に命中した。
その直後、三人の武装集団は突入した特殊部隊によって制圧され、連行されていった。
この日以来、トビーは態度を改め、母を通して、真剣にFBIの捜査ノウハウを私の父に伝えたという。そして、父の剣術の腕にすっかり惚れ込んだトビーは、FBIの上層部に掛け合い、父の研修の延長を求めた。
父に命を助けられているFBI長官は、この申し出を二つ返事で引き受けたそうだ。そして、研修終了後、父は晴れてFBIの職員となり、トビー・ベイルとコンビを組み、難事件を次々に解決していった。
この間に、父の通訳を務めていた母は父と結婚し、私が生まれた。そして、トビーもまた幼馴染みの女性と結婚し、ルーカスが生まれた。
しかし、幸せな日々は長続きはしなかった。
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