第11話 逃亡者 その2
私が鴨川デルタで敗北を喫した日、私は道場で何が起きたのか知らなかった。
松尾女史やメンバーからひっきりなしにメールが送られてきたが、私は開封する気にならなかった。メールが通じないことが分かると、メンバーたちは電話をかけてきた。しかし、私が電話に出ることはなかった。電話作戦が失敗すると、今度は私の部屋にやって来た。しかし、私は居留守を使った。ただし、不思議なことに、一番に殴りこんでくるであろうルーカスの気配は全く感じられなかった。メンバーたちの気持ちは嬉しかったが、どうしても竹刀を握る気にはなれなかった。
松尾女史と冷泉堂大学剣道部改め剣道サークルのメンバーたちは、ルーカスにも同じことをしていた。しかし、私と同様にルーカスも一切メンバーからの連絡には応じなかった。
ちょうどその頃、松竹寺道場では異変が起きていた。昼間は、中心メンバーの私とルーカスが不在にもかかわらず、稽古は続いていた。そして、夜になると、必ず一人の剣士が道場に現れ、何十回、何百回と竹刀で素振りを繰り返していた。
一方、私とルーカスが無断欠勤を始めてから一週間が経過した頃、留学プログラムの担当者として、そして、剣道サークルの責任者として、松尾女史は学校の上司と相談の上、強硬的な手段に打って出る決断を下した。
松尾女史、そして、佐々木由紀マネージャーをのぞく剣道サークルのメンバーがアパートの私の部屋の前にやって来た。インターホンの音色が空しく部屋に鳴り響く。
松尾女史はため息を一つつくと、大きく息を吸い込み、
「オラー!!武田!!いるのは分かってるんやぞ、出てこいや!!!」
とアパート全体が揺れるほどの大声で叫んだ。
同じ階の部屋に下宿する留学生たちが、何事かと思い、ドアを開けて様子をうかがっている。しかし、部屋からは何の反応もない。
業を煮やした松尾女史は、鞄から学校で保管していた合いかぎを取り出すと、鍵穴に差し、ノブを回した。ドアが開き、松尾女史とメンバーたちが部屋になだれ込んでくる。しかし、部屋はもぬけの殻であった。そう、私はもう部屋にはいなかった。その時、私は関西空港からアメリカに向かう飛行機の中にいた。
私はアメリカに逃げたのだ。
松尾女史は地面にへたり込み、絶望した。
『ウソでしょ』
「松尾さん、これを見て下さい」
私の居場所の手掛かりを探していた浦賀氏が一通の手紙を持ってきた。私が冷蔵庫にマグネットで貼っておいた置手紙だ。
茶封筒にボールペンで「辞表」と書かれている。
松尾女史は急いで茶封筒から一切れの紙を取り出した。
「松尾さん、ルーカス、そして、冷泉堂大学剣道部改め剣道サークルの皆さん。稽古をさぼってしまい、申し訳ありません。実は私は元旦に京仙院大学の北村雄平という男と勝負しました。そして、完敗を喫しました。あそこまで完膚なきまでに叩き潰されたことはありません。身体も心もボロボロになりました。尋常な勝負に負けたこと、そして、この勝負に負けたことで失ったものの大きさを考えると、私はどうしても剣道を続ける気にはなれませんでした。何度も竹刀を握り直そうとしましたが、やはり駄目でした。松尾さん、ルーカス、木田さん、浦賀さん、トモッチ、ダンディー、そして、佐々木さん・・・皆さんと過ごした日々は掛けがえのないものでした。本当にありがとうございました。京都市剣道競技会での皆さんの健闘を心よりお祈り申し上げます。武田」
松尾女史が読み上げると、メンバーは愕然とした。この時になって初めて私が無断欠勤を続けていた理由を知ったからだ。しかし、一人首をかしげているメンバーがいた。ダンディー霧島だ。
「変だな」
「何が?」
半泣きのトモッチがダンディーに訊いた。
「俺の名前がない」
ダンディー霧島の声が怒りで震えている。ダンディー霧島をのぞく全員が、私が陰でダンディー霧島というあだ名を使っていることは知っていたが、全員が口をつぐんだ。
「ルーカスも帰国してしまったのでしょうか?」
ダンディーの声が聞こえなかったように、浦賀氏が松尾女史に尋ねた。その声で我に返った松尾女史は、私の部屋を飛び出した。
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