第9話 リテーレ領侵攻の疑問

食堂に着くとそこには様々な本に囲まれながら何かの作業をしているミレットの姿があった。


「あれ? ミレット、帰ったんじゃないのか?」


俺がそう問いかけるとミレットは一瞬、こちらをチラッと見たが、無言で下を向いて何事もなかったかのように黙々と作業を再開している。


「(さっきは何気なく、呼び捨てで呼んだのが不味かったか?)」


ミレットの素っ気無い表情に俺は恐る恐るミレットの表情を覗き込む。


「もしかして……俺が「さん」付けで呼ばないから怒って、無視してる?」

「違ぇよ! 別に私は呼び捨てでイイつーの! アタシはあの鬼みたいに敬語使わないから! それくらいアンタにもわかるだろ? てか、アタシ勉強してるから邪魔しないでくんない?」

「あ、ああ……。勉強してたのか、悪い」


ミレットは、話は終わりだと言わんばかりに黙々と紙にミミズ文字を書いていた。

文字が読めないのでよくわからないが、六芒星を描いてそこに文字を書いてる時点で魔術関連の何かだろう。


その様子は「あのミレット」からは到底、想像できない程の集中力だ。

話しかけると怒られそうなので俺は次に厨房を覗きに行くことにした。


厨房の中は長いテーブルに加えて石釜が幾つも並べてあり、正しくアニメで見る中世風の厨房と言う感じだった。ルカはその中の石釜に置いたフライパンを使い、何かを炒めている。


その目は真剣で今、このタイミングで声をかけたら驚かせてしまいそうなので何も声をかけず見守る事にしたのだが、それも長くは続かなかった。


「まだご飯は出来ませんよ?」


唐突にルカがこちらを見ずに話しかけてきのだ。

恐らく俺の気配を感じ取ったのだろう。


「いや、あの……その……」


さすがにルカの料理が心配で来ましたとは口が裂けても言えない。俺がシドロモドロに答えているとルカが手を止め、こちらを見た。


「あと2、30分くらいで出来ますから、昼食の時と同じ席に座っていてください」


ルカはニコっと笑顔で答えた。それも何時ぞや見たような強かな笑い方だ。


「りょ。了解……」


完全にこちらの意思を見透かされたような気がして俺は食堂へと戻ろうしたが、そこでルカに呼び止められた。


「あっ、そうだ。達也さん。ちょっと待ってください!」


ルカはテーブルの下から鞄を取り出して一冊の本を俺に手渡した。


「申し訳ないんですが、この本と言伝をミレットにお願いできますか?」

「ああ、いいよ。何て伝えればいいんだ?」

「“鬼と言った罰です”と伝えてください。宜しくお願いしますね?」

「あ、ああ……了解だ」


さっきの話を聞いていたに違いない。正しく『壁に耳あり、障子に目あり』だ。

厨房を後にした俺はミレットが真剣にやっているところまで行ってその本を近くに置くとミレットはその本に疑問をもったようで顔を上げた。


「ん? ……って、魔術本!?」

「ああ、ルカからミレットに渡せって言われたんだよ」

「ほえ!? だって、今日のやる分はここにあるのに……?」

「……あとルカから伝言なんだけど……“鬼と言った罰です”だそうだ」


それを聞いてミレットは一瞬、固まった。


「えっ……。何、ルカ姉に聞こえて……た? アハ、アハハハハハハ! ハァ~……こりゃあ、今日は帰れそうに無いなぁ……」


ミレットの顔色がますます悪くなっていく。余程、ルカが怖いのだろう。

だけど、そんなに怖い思いまでしてルカに魔術を教えて欲しいのだろうか?


「そんなに、嫌そうなのにルカから魔術を教えて欲しいのか?」

「そりゃあ、当たり前だよ! ルカ姉はこのリテーレ領で最強だし……? アタシも軍の責任者だからな! それにルカ姉は教えるのが誰よりも丁寧で参考になるんだよ」

「つまり、ルカは教えるのが上手なのか……んじゃあ、いい先生ってわけだ」

「ん…………? ああ、そう! そうとも! まぁ、でも……ルカ姉は『父には敵わない』って言ってるんだけどね?」


なんだ、今の微妙な返事の間は……ルカに知れたら確実にミレットが痛い目に遭いそうだ。まぁ、それはさて置きルカの父親ってどんな人だったのだろうか?


「ルカの父親ってそんなに凄い人だったのか?」

「そりゃあ、もう他領に敵無し。リテーレ領に『リベルト』ありとまで言われるほど凄い人だったらしいよ……? アタシにとってはルカ姉の父親って優しい様にしか見えなかったけど、実際は幾多の戦場を駆け抜け、数十人が一斉に襲い掛かっても瞬殺しちまうほどの最強の魔術師だったらしいから……それに! ある時は飛んできた矢を全て空間ごと止めてそれを撃ち返して千人を殺した! なーんて逸話まであるくらいだからな!」

「ルカの父親ってすげぇ人だったんだな……っていうか、ミレットはやけに詳しいんだな? ルカの父さんの事」

「ああ! だってアタシのパッ……! んんっ! 父さんはリテーレ領の元軍事最高責任者だから!」

「(今、絶対「パパ」って言いかけたよな……?)」


まぁ、呼び方をとやかく言うのは差別だし、気にしないけれどミレットにもまだ幼さがあるようだ。


「なるほどな……父親から聞いたというわけか」


俺が納得しているとミレットに襟を掴まれて首元にまで寄せられ小声で囁かれた。


「ただ、ルカ姉には父親の話はあまりするなよ? 普段はルカ姉もなんてこと無いように見えるかもしんねぇけど……まだ、心の傷が癒えてねぇんだ。アンタもそこのところはわかってくれよ?」

「ああ、十分に分かってる……っていうか、アンタ呼ばわりはやめてくれ、俺は達也だ」

「わーったよ! タツヤな! だけど……もし、無神経な事言ってルカ姉を泣かせたら……ボコるからな!」

「はいはい……」


そんなやり取りをした後、ミレットは部屋の時計を見て大幅にロスした事に気付いたのか、凄いスピードで何かを書き始める。


「(……それにしても)」


俺は席に座ってミレットの様子を見ながら、あることを考えていた。

それは一年半前に亡くなったルカの父親、リベルトのことだ。さっきのミレットの話でごく単純な疑問が沸き上がる。


『なぜ、それほどの魔術師が死んだのか』


それが疑問だった。

まぁ、もちろん人間だからいずれは死ぬのは当たり前なのだが、戦場経験が豊富な男がいくら一騎打ちとはいえ、退くこともせずに殺られるだろうか……?


それによくよく思い返せば、戦況についても引っかかる点があった。

ルカの話では、領土境界線であるデオルト川を敵軍が越えてきたはずなのに一騎打ちをしたのはデオルト川ということだった。つまり、敵軍はリテーレ領内に踏み込んだが、あえて侵攻をせず、退いたということになる。


あくまでも俺のゲーム経験上の推測だが、そういう戦略は挟撃を行う場合に用いられることが多いはずだ。誘い込んだ上で獲物を蜂の巣にするには行軍が遅くなる川はちょうどいいという意味では条件が合致する。


だが、あくまでこれは推測でしかない。後々の戦略のためにもそこら辺の事情に詳しい者から話を聞く必要がある。そんなことを黙々と考えているとルカが昼間と同じカートを押してこちらに来た。


「お待たせしました! 夕食にしましょう! ミレットも片付けてくださいね?」


ミレットへの言葉と視線が殺意染みている。それを感じ取ったミレットは瞬時に片づけをして食事の用意を整えたのだった。


ルカは持ってきたカートから料理を取ってテーブルに並べていく。そのメニューは、ご飯にハンバーグやサラダなど多彩で昼食のリベンジ感が漲る料理たちだ。


そして三人で手を合わせ「頂きます!」と挨拶をして食べ始めた。


ルカには申し訳ないが、俺は恐る恐るご飯を食べ始めた。だが、意外なことに料理のほとんどがめちゃくちゃおいしい料理だった。ハンバーグはきちんと肉汁が中に入っていてジューシーで口の中でとろけていく。


「うん、おいしいな、これ!」


ルカは料理を頬張る俺の様子を見てホッとしたのか、単純に満足したのか分からないが、少し微笑みながらご飯を食べていた。ご飯を食べた後は昼食の後にも出てきたブラッティーが出てきて、まさに至れり尽くせりだ。


「達也さん。色々あって疲れたと思いますので先にお風呂へどうぞ。既に入れる状態になっていますので」

「ああ、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えていただくことにするよ」


俺はルカに薦められるまま、お屋敷のお風呂へと向かった。浴室内はすべて白色と黒色の大理石で作られており、清潔感漂うお風呂になっている。


「はぁ……」


浴槽に浸かっているとお湯に疲れがジワーッと滲み出てくるような感覚を覚えてしまうほどだ。だが、あまり浴槽に浸かりすぎるとのぼせてしまうので早々に寝着に着替えて食堂に戻ったのだが、そこではルカがミレットに魔術を教えていた。


「通常、この式を使って詠唱するとどうなる?」

「えーっと……持続時間が延びちまうとか……!」

「残念。逆で持続時間が短くなる。というか……ここ一週間前に教えたんだけど?」

「うぅ……」


何というか……まだ一日も共に過ごしていないけれどこんな風景を見ているとルカを少しは信頼してもいいのかもしれないと思う。俺は二人の会話が止まったタイミングを見計らってほんの少しだけ助け舟の意味も込めてわざとノックして入った。


「ルカ、お風呂頂いたよ。ありがとう。後は自分の部屋に行くけど大丈夫かな?」

「あ、はい。大丈夫です。九時半くらいになったら例の文字の件、対応しますね?」

「(例の文字の件……?)」 


ああ、恐らく午前中にルカが意味深に言っていた文字が読めるようになる“秘策”とやらの事だろう。


「わかった。じゃあ、俺は勉強の邪魔になりそうだから行くよ」

「すみません。お気遣いありがとうございます」


ルカは頭を少し下げたが、後ろのミレットは悲しげな目をしている。だが、ここでは何もミレットを開放してやる手段がないのですぐに背を向けて食堂を後にした。


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