ライカ

ひばり

ライカ

私は、今でも君のことを、彼女と言っていいのか、彼と言っていいのか、わからない。言葉というものは不自由だ。だって三人称には、「彼」と「彼女」しかない。君のための言葉は、何処にも存在しない。「君」と呼ぶには、「あなた」と呼ぶには、その言葉の距離はあまりにも近すぎて、気持ちが悪い。君の名は、ライカ。彼でも彼女でもない、ライカ。あたしの親友。あたしの最愛。何にも縛られない、ライカ。あたしはあなたが、欲しかった。


 高二の春、雷に撃たれた。

橘ライカとの出会いは、始業式だ。新しいクラスの、男女別、五十音順に配列された生徒達の一番後ろ、不規則的に、ライカは座っていた。あたしの後ろに。

新しい担任から挨拶があり、一人一人自己紹介が始まる。男子の「あ」の人から女子の「あ」の人へ。お決まりの拍手、騒音。皆、同じ匂いがした。春なのに灰色の匂い、誰も見えない。

そんな中、私の背中に、ただならぬ空気がずっと、障り続ける。よくわからない、ただ、彼らよりよっぽど、「生きている」匂いがする。

「野宮ヒナです。よろしくお願いします。」

ちょうど45°を目指して腰を折る。長く伸びた黒い髪の毛が顔にかかる。3つ数えて顔を上げると、灰色の人たちがあたしを見ていた。その顔を、去年の今頃も見たことがある。「羨望」の目、「憧れ」の目。さっきまでと空気が何となく違う。

 そう、人が「綺麗なもの」を認識した時にあらわれる空気。ずっとずっとあたしを覆う空気。この後、彼らが私の話題で持ちきりになるであろうことまでは想像できた。

 あたしが欲しいのはこんなものじゃない。

 窓の外、散りゆく桜並木を眺めている透明なその目。後ろの席の君は、立ち上がる。

「橘ライカです。」

また彼らの空気が揺れる。それもそうだ。この箱の中、規則的に詰められた生徒達の中で、君だけが反乱分子だからだ。五十音順に並べられた女の子達の一番後ろ、「た」のあなた。

「『僕』は橘ライカです。よろしく。」

そうしてライカは着席する。お決まりの騒音は鳴り響かない。彼らは凍る。私の手足も、きっと凍った。沈黙が通り過ぎるのを、待った。

 やがて、担任は一つ咳払いをし、話し始める。凍りついていた空気が少しずつ溶け出す。やっと動けるようになったあたしは、全神経を後ろに集中させる。あなたの空気が触れる。

「出席番号順に、健康カードを後ろから送ってください。」

担任の無機質な声が聞こえる。

 とん、と一度だけ指が肩に触れ、振り返る。ライカは私に白い紙を渡す。何気なく目に入った、「性別」の項目。「男・女」のところ。君は「・」に丸を付けていた。私は思わずライカを見た。すると、ライカはニヒルに片方の頬を引き上げて微笑んだ。

 その瞬間、あたしは君を、好きだと思った。

私はその時どうしたっけ。確か、微笑み返してしまった。すると君は、一瞬だけ目を丸くして、子供みたいにくしゃっと笑った。まあ、私たちは子供なんだけれど。


休み時間、沈黙。誰ひとりまだその手札を明かさず、探り探り。私は後ろを振り返る。セーラー服、膨らみのない胸元のスカーフが少し緩い。ショートカットの黒髪、前髪から耳に落ちる斜めの線が美しい。目が合った。

「野宮、だっけ?よろしく。」

あなたは片頬を上げて笑って見せる。

「ヒナ。」

「ヒナ?」

「ヒナって、呼んで。」

君はきょとんとした顔。やがて嬉しそうに、

「ヒナ、」と呼ぶ。

「僕はライカ、」

「ライカ、って呼んでもいい?」

「もちろん。…野宮って、そういうタイプじゃないと思った。」

「どういう意味?」

「橘さん、って呼ばれると思った。」

君は、照れくさそうに目を伏せた。机の上に無造作に置かれた、白く細い人形のような手。握ると、君は不思議そうに首をかしげる。その指先に、私の指をそっと絡める。華奢なのに、骨っぽい。

 その白い地平を、ずっとずっと裸足で歩いていきたい。ライカの手の甲の骨は少し浮き出ていて、真ん中に青い筋が透けて見えるのが、綺麗。その骨を優しくなぞると、

「…ヒナは、僕のことをどう思った?」

その目はあたしを試すかのように、青く、燃える。

「綺麗だと、思った。」

と、呟くと、ライカは目を丸くして。やがて笑った。

「ごめん、ありがとう。ヒナ。」

楽しそうに涙を拭っている。

「君はなんだか、綺麗な花みたいだね。」

そう言うと、左の頬が吊り上がる。

「鋭い棘のある。」

おそらく余計な一言を付け加えて、ライカはニッ、と笑った。

 これが、私とライカの出会いだった


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ライカ ひばり @tenjyou-hibari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る