第9話 決別

 夕方、俺が作ったカレーを二人で食べながら、都が「新しく出来たカフェに明後日一緒に行かない?明日はじっとしてるから、どうかな…」と遠慮がちに言い出した。傷がひらくからダメと俺が言いそうだからだろう。でも、いつもなら円造さんと行くのになぜ俺なんだろう?

「だって、連休だから円造も奥さんとこに行ってるしね。ダメ?さすがにカフェはだよね…」と俺のイマイチな反応を見て少しがっかりしたように言った。

「カフェも甘いものも嫌いじゃないよ、全然。なんだ、円造さん奥さんいるんだ!独身だと思ってた」と俺は焦って答えた。カフェがどんなところかいまいちわからないが、混み合う水族館も行けたのだから多分大丈夫だろう。

「奥さん出産で静岡の実家に帰ってるの。とても綺麗な人でね、ちょっと体が弱いんだ。すんごく追いかけまくってやっと結婚できて泣いてたくせに、あいつは浮気性だから、浮気しないように私が見張ってるの。病気だよ、困ったやつでしょ」と心配そうに都が言う。なんで浮気してるってわかるんだろう?

「ああ、高校の時にあいつと付き合ってたから、けっこう風俗の話とか下世話なことも私に打ち明けてくるの。これは奥さんには内緒だけど」とあっさり言ったので、俺は口の中にたまたま入っていた水を霧状に噴き出した。漫画のように。本当にこんな風になるんだって感心してしまったくらいだ。水で良かった…。

「こらこら、本当に子供だね。でも風俗とか刺激が強かったね、ごめん」と言って、都が立ち上がって布巾ふきんを取りに行こうとするので、手で止めた。まだ歩いて欲しくない。

「だ、大丈夫だから…」

 俺はふきんを取りに行って口を拭いてから、机を拭いた。付き合ってた…?ってことは元彼ってやつじゃないか!そんな人と一緒に仕事してるんだ…。いくら都がおっさんとはいえ、俺は急激に心配になってきた。

「俺、甘いもの好きだから、だからこれからはカフェは俺と行こう。円造さんの奥さんにも悪いし、ね」

「う…ん、庭の相談相手が欲しいんだけど…じゃあ、ゲンちゃん少しは勉強して意見してくれる?」

 仕方ない。

「わかったよ。じゃあさ、スケッチとかしてもいい?俺ちょっと絵が描きたくなってきて」

「スケッチ?いいね。じゃさ、文房屋さんで道具を買ってからカフェにいこう」

「やった、ありがと。でもお金大丈夫?」

「バカね、子供はそんなこと気にしないんだよ」

「あのさ…まあいいや」

 俺はまた子ども扱いされて膨れたが、明後日は都とカフェだと思うと嬉しくて、なんだか足元がフワフワした。引きこもりの俺でも都とだったらどこへでも行けそうだ。

 それに、誕生日に都といられるなんて!

 今までで一番最高の誕生日になりそうだ。そう思ってた。



 連休最終日、都が運転ができるようになったので、近くの住宅地に出来たというカフェにランチに出かける準備をしていた。さあ出かけようか、という時、

「ごめんください」という少し怒ったような男の声が聞こえたので俺は一気に心が冷えた。間違えようがない、父の声だった。


「どうぞ、コーヒーです」と都が父と義母(都の母親だ)にすすめた。

「ありがとう」と父が言ったが、暗に都にこの部屋を出てけと言っているのだわかる。父は俺と二人きりになりたいのだ。彼女が俺の意図をくみ取って頑として動かないので、一緒に付いてきた義母が、

「都、ちょっと散歩しようか」と彼女を無理やり連れ出した。都は心配そうな表情で俺を見ながら出て行った。ネコは不穏な空気を感じ取ったのか、とっととどこかへ避難していた。


「おまえ治ったんならなんで言わないんだ、早く帰って来い。学校に行く準備をしないと。自動車学校に行ってる場合じゃないぞ」

 俺が黙っていると、了解したと勝手に思ったようだ。

「じゃあ、今から帰るから用意しなさい。お義母さんが戻ってきたらすぐに出るからな。こんな場所、まともな人間の住むところじゃないぞ」

 俺は頭の中が真っ白になった。

 いつもなんでも勝手に決めるし決めつける。俺の事なんて何も見ていない。このままでは俺は東京で父親の満足のための消耗品として長い年月をかけて静かにすり減っていき、静かにこの世から抹殺されてしまう。(もしくは自分で自分を抹殺するか父を抹殺するのだろう)

 身体中の血が沸騰しながら頭に集まってきて気分が悪くなってきた。俺はふと、ログハウスのとなりの倉庫にマチュテというメキシコの手刀があるのを思い出して、ドアから出て倉庫に向かった。背の高い草をぎ払うのに使うのだ。

 倉庫でそのずしりと重い刀を手に取ると、と感じた。

 それを持って部屋に戻ると、父は美味しくなさそうにコーヒーを飲んでいた。美味しくなければ飲まなければいいのに。俺が素直に荷物を取りに行ったと思っていたのだろう、手に握られたマチュテを見て目を見開いて立ち上がった。父のそんな顔、初めてだ。

「ど、どうするんだ、その…」と言って絶句している。俺はゆっくり父との間合いを詰めた。獲物を逃がさないようにじっと目を見る。父はもう俺の父でなく、ただの駆逐くちくしなければならない対象物にしか見えなくなっていた。俺は刃物を両手で振り下ろせるようにゆっくり構えた。

 振り下ろせ、という命令が脳から発信される直前、後ろから何か言われて羽交い絞めにされた。俺はその邪魔者を《ひじ》で力任せに振り払った。地面にごろりと転がって壁にぶつかったを見て、俺は完全に正気を取り戻した。それは痛みに顔をしかめている都だった。

「み、都…俺…ああ、どうしたんだろ、俺…ごめん、大丈夫?ごめん、痛かったよね?」

 俺は刀を放して都に駆け寄った。都を抱き起こして、ぎゅっと抱きしめた。温かい。

「私は大丈夫。それより、ゲンちゃん…さすがにそれは」と都が床に転がるマチュテを見て言うと、

「お前…父親に刃物を…おとなしいいい子だったのに。…そうか、ここに来たせいで乱暴になったんだな!その女にそそのかされたのか?!」と父がやっと激高げきこうしだした。さっきまでの青ざめた顔が今は真っ赤になっている。

 俺はもう都がそばにいるから冷静になっていた。そうだ、こんな奴のために俺の人生を棒に振るのは間違っている。

「お、俺はもう家には戻らない。あんたには今まで育ててもらったけど、憎しみしか感じてないんだ。ずっとあんたを殺すことばかり考えてあの家で引きこもっていた。でもあんたなんてもういらない。俺は今日18歳になったんだ。だから二度と俺に顔を見せないで欲しい。あと、今度都のことを悪く言ったら絶対に許さない。さ、帰りなよ。あんたの顔を見てたらまたキレて刀を振り回すかもしれない」

 ビビって虚勢きょせいを張りながらも、俺は生まれて初めて父にたくさんの言葉を浴びせた。最初で最後の長い言葉。全然届かないかもしれないけど、今の俺の精一杯だった。


 父とお義母さんは何も言わずに車に乗って帰っていった。

 俺は緊張が解けて床にへたり込んだ。

 娘を侮辱ぶじょくされたお義母さんは家に帰ってどうするのだろう?離婚するかもしれないし、じっと我慢するかもしれない。どっちも俺のせいだ。そう思っていたら、

「ゲンちゃんのせいじゃないよ。二人の問題だから、二人で解決するでしょ。お母さんも大人だから大丈夫だよ。それよりゲンちゃんさ、お父さんに言いたいこと言えたじゃない!さすが18歳」と言って、都がふわりと抱き着いた。

「18歳、おめでと!本当はカフェで誕生日のサプライズケーキを用意してもらってたんだけど」と言って笑った。見たら俺が振り払った時に出来たり傷が手足に出来て醜く血がにじんでいた。俺はそれを申し訳ない気持ちで触りながら、

「あ、りがと…誕生日って知ってたんだ」と言って泣いた。最近泣いてばかりだ。カッコ悪過ぎる誕生日。でも悪くない。そう思った。

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