第6話 ついてるのかついてないのか

 都の父は『都はるみ』の大ファンで、彼女にみやこと名付けた。なぜ名前に名字を付けたかは不明だが、兄に晴海はるみと付けたそうなので、ちょっと変わっていたのだろう。

 彼は都が高校2年の時にガンで亡くなった。

 改装される以前のこの水族館に家族でよく訪れており、そして死の直前までここに来たがっていたそうだ。ここの何が彼をそこまできつけたかは誰にもわからない。

 元気な時は、さっきのレストランでエビフライを食べるのが定番だったんだ、だから今日どうしても食べたくて、と彼女は申し訳なさそうに小さな声で言った。

 都はバカだ、そんなの全然かまわない。

 俺は黙って都が泣き止むまで背中をなでた。


 彼女が泣き終わったのでお店に戻ると、丁度俺たちの前の人が呼ばれたとこだった。ついてる。

 すぐに名前を呼ばれて、かなり薄暗い店内でエビフライ定食を二人で食べた。びっくりするくらい大きくて美味しい。しかしなぜここがこれほど薄暗いのかはわからない。エビフライが美味しく食べられるためのこの暗さなのか?大きすぎて隠されなければいけないエビフライ?なんだかいやらしいな。

 まあいい、都が美味しそうに食べているので俺は幸せだ。

 

 午後からはまた水族館に戻って館内をめぐり、イルカ・アシカショーを見た。

 ショーの前に、『前列は水がかかります』と高い女性の声でアナウンスしていたが、本当に前列の人は頭っからビタビタになっていた。彼らがキャーキャー言って嬉しそうだったので、少し羨ましくなる。

 都は彼らを見て「あれ見て、カップルの黒のブラジャーがめっちゃ透けてるよ」と楽しそうに俺に教えてくれた。やっぱりちょっと変わってる。

 彼女が海を見たいというので、水族館を出て、砂浜を探して海岸線を走り、適当な場所を見つけて軽トラを止めた。小さいからどこにでも止められて便利だ。

 車を降りると、海の匂いが身体を包んでワクワクしてきた。海なんて何年振りだろう。5年?もっとだ。

 砂浜で靴下を脱いでスニーカーに入れ、ジーンズを出来るだけたくし上げた。足首まで海に浸すと中身が溶け出そうなくらい気持ちがいい。まだ春なのに全身を海に入れたくなる。

「きっと人は海から生まれてきたから」と都は心を読んだように言う。彼女も同じように足首まで浸かって気持ちよさそうだ。

「ねえ、前から思ってたんだけど、なんでわかるの?」と聞いてみた。

「ん…なんとなくだよ」と言って笑う。不思議だ。

 しばらく海でズボンを濡らさないように歩いていると、都が、いたっつ、と小さく叫んで砂浜に座り込んだ。足の裏を見るとパックリ切れて血が流れ出ている。血が砂に赤く染み込んだ。

「貝を踏んだみたい…ごめん」

「なに謝ってんのさ、大丈夫?痛い?」

「ん…ハンカチで強く結んでおけばとりあえず大丈夫かな、心配しないで」と言って、車に取りに行こうとする。俺は、

「じっとしてて。持ってくるから」と言って、彼女から車のキーをもらってカバンを取ってきた。戻ると彼女は消毒のつもりか足を海に漬けて、眉間に皺を寄せてじっとしていた。

「塩水はしみるでしょ」

 俺は彼女を抱き上げて座れるような流木がある場所まで運んだ。都はびっくりしたように俺を見ているので、彼女を直視出来ない。近すぎる。

「大丈夫かな…」

 座らせて足の裏を見ると、結構な深さで切れているし血も止まらない。強く巻いたハンカチはあっという間に真っ赤に染まってしまった。こんなハンカチでなんとかなるんだろうか?と不安になっていると、地元のおじさんが寄ってきて、都の傷をみた。

「あー、あんたついてないな、誰かが捨てたカキの殻で切ったんだ。これは深いから車は無理だよ。もしよかったらそこに俺の旅館があるから今日は泊ってきな、一部屋空いてる」

「ありがとうございます」と俺と都がはもった。すごく助かる。都もホッとした顔をしている。きっと運転が不安だったのだろう。俺が運転出来たら…そう思うと悔しい。

 俺は都をおぶって、本当ににあったおじさんの旅館に向かった。


「あらまー、えらい切っちゃって。誰かが捨ててったからを踏んだんやね、かわいそに…」

 旅館の女将おかみが慣れた手つきで手当てしてくれた。

 雰囲気のいい旅館は見た目より中は立派でなにより清潔だった。高そうだ…俺が心配そうにしていると、

「お金は大丈夫、子供はそんな心配しなくていい」と都が言った。

「あらま、カップルかと思ったら、家族かね?名字が一緒やったもんね」

「はい、年の離れた弟です」と都が言う。都が俺の名前を勝手に書いたのだ。家族…。なんかしっくりこない。俺が変な顔をしていると、

「ゲンちゃん、心配かけてごめん」と謝った。そして、

「女将さん、今夜はお世話になります。ちゃんとお金を払えますので安心してください。手当までして頂いて助かりました」と深く頭を下げた。


 通された部屋は角部屋で最高に眺望がよく、なんと露天風呂まで付いていた。ゴールデンウイークなのにいていたなんてラッキーだ。

「な、なんて素敵…」

 都が俺の背中で感動の声をあげた。俺はおぶっている彼女をゆっくり座椅子のクッションに降ろす。

「いいでしょ、この部屋。昔からここの旅館は一部屋だけ空けておく習慣があるんだよ。先代も先々代もそうしてた」と女将が自慢げに言った。そんなの俺ならもったいないと思ってしまいそうだ。

「それはね、この岬に住む精霊のためなんだ」と後から入ってきたさっきのおじさん、つまりこの旅館の大将たいしょうが車のキーを持ってきてくれて都に渡した。軽トラをここの駐車場に移動させてくれたのだ。

「精霊がいるんですか!」と都が子供のように素直に感動している。

「そうさな、だから周りがどんどん廃業してもここは無事に残ってる。部屋を1つ空けるってことは、心に余裕があるってことだ。その余裕をお客様は居心地よく感じてまた来て下さる。精霊がこの旅館を守っているんだ」

「でも…私たちが泊まったら精霊の部屋がなくなっちゃうんじゃないですか?大丈夫かな…」と都が真剣に心配している。やっぱり子供だ。大将が言ってるのは、精霊という名のこの旅館の経営システムだろう。本物がいるわけじゃない。

「いいのよ、精霊だってケガ人は仕方ないって思うでしょ。足も痛いだろうし夕飯はお部屋に持ってこさせるから、それまでごゆっくり」

 温かい空気を残して夫婦は部屋から出ていった。


 二人きりになると俺はにわかに緊張してきた。きっとシチュエーションが変わったからだ。俺が戸惑っていると、

「ね、ゲンちゃん。今日だけは甘えてもいいかな」と急に都が上目遣いでしおらしく頼んだ。心臓がひゅん、となる。可愛い…と思ってしまった。

「いいけど…な、なにしたらいい?」と緊張でかすれた声で聞くと、

「抱っこして」と唇を少し出し気味にして甘えて言った。

 は?

「ベランダに連れてって欲しい。海が見たいの」

 なんだ…俺はホッとして、都を抱き上げた。すると彼女がするりと俺の首に手を巻き付けてピトリと抱き着いた。柔らかい都の肉体を感じて飛び上がりそうになる。ななな…なんなんだ!焦った俺は、ふと都の顔を見た。赤くなっている。

「都、まさか…お酒飲んだ?」

「ん…さっき女将さんが、痛み止めだって言って、日本酒を…少しだけ」

 都はお酒に弱い。すごく弱い。ちょびっとでも飲むとすぐに酔ってしまう。この前、剪定せんていに伺ったお宅からビールをお土産にもらったので食後に飲んだら、すぐに真っ赤になって一瞬で寝てしまったのだ。

「バカだな、弱いくせに。ほら、着いた」と言って、ベランダの椅子に座らせた。

「ゲンちゃん、ありがとう」

 椅子の横には露天風呂がある。まさか…入らないよな、怪我してるし。俺は彼女が寝たらゆっくり入るけど、もし都が今から入りたいなんて言ったら…俺はどうしたらいいんだろう。都ならケガしてるし入るのを手伝えって言いそうで怖い。

 俺が彼女の腕をほどくと、都は俺のTシャツの裾を引っ張った。都の上に俺がのしかかる格好になってしまう。顔が近い。彼女の息をほおで感じる。

 俺はなんとか体勢を立て直して、彼女が重くないようにした。そんな俺を都がにやにや見ている。手には俺の服がぎゅっと握り締められていた。

 楽しんでる…お義母さん、あなたのむすめをどうにかして下さい!

 俺は心の中で叫んだ。

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