第2話 ベッドとソファー

 その日からミヤコと俺とネコの不思議な生活が始まった。少し走れば三重と岐阜と滋賀の県境、という山の奥だ。

 

 朝は日の出とともに起きる。起きるといつもネコが俺の上か横で寝ている。それを都はいつも羨ましがる。彼女はネコが好きなのに、いつも見つければ追いかけるので避けられているのだ。

 ネコは幹線道路でフラフラ歩いているところを都が見つけ、保護したまま名前も付けずに今に至るそうだ。とても礼儀正しく大人しいネコ。飼い猫だったのかも、と彼女は言った。

 ベッドは夕食の後にジャンケンして買ったほうがベッド、負けたらソファーだ。彼女は負けるとすごく悔しがった。子供みたいだ。聞くと27歳だと言う。俺と10歳違い?ウソだ、そんな大人には見えない。

「雨が降ったらベッド作ろうね」と言っているが、今は仕事が忙しいようで毎日深夜3時くらいに寝ているようだ。

 というのは、ここに来てから夜暗くなると眠れるようになってしまった。俺の不眠症はどこに行ってしまったんだろう。東京にまだいるのかもしれない。きっと急に俺がいなくて寂しがっている。付き合いが長いのだ。

 春は5時台に強く日が射すので(カーテンがない!)自動的にどうしても目が覚める。彼女は6時くらいにぼんやり起きてきて、俺が作ったお茶とトースト+スクランブルエッグやピザトーストを寝ぼけながら胃に流し込む。7時過ぎには目が覚めてきて作業着に着替え、道具をさっさと積んで軽トラックで現場に向かう。そのころには真剣な顔をしている。今日の仕事の段取りでも考えているのだろう。


 俺は天気がいいとネコと一緒に畑の草抜きをしたり、村を散歩する。長期引きこもりだった俺は、すんなり家から出られて驚いた。この森と林に囲まれた建物だと中も外もあまり変わらないからだろう。なんせカーテンもないのだ。

 畑には山からの湧き水がチロチロと流れ込んでおり、あまり手入れのされていないうねにはもうすぐ食べられそうなワイルドストロベリーが繁殖しまくっていた。後はレモングラスとネギ、ハーブなど強いものだけが生き残っているようだ。

 村を歩いているといろいろなものが目につく。

 先日は竜神祭り(農家総出でコメの豊作を神様にお願いするのだ)のあと、田んぼに水を入れていた。ザーザーとものすごい勢いだ。乾いてひび割れたガビガビの土に水が勢いよく入る瞬間を見ていると面白くて俺の時間が止まる。次の日には水が張られた田んぼにもう昆虫が住んでいた。あんなに固そうだった土は触るとゆるい粘土のようにねっとりしている。不思議だ。本当に不思議だ。

 ネコが水路から田んぼに流れ落ちる水を手でパンチしている。手ごたえがないから不思議そうに何度も試しているのが可愛い。

 ネコと一緒にふらふらしている俺を、地元の人たちはみやこの弟だと面白がった。毎日会うようになると、犬の散歩とか電球の交換を頼まれたりする。鍵は開いてるから勝手に入ってって替えといて、とか自由過ぎる。大体、近所に住んでる人の弟というだけで信用し過ぎだと思う。

 そして必ず「これ持ってけ」と卵やお肉、野菜、煮物などを手土産に持たせてくれる。

 俺はだんだんわかってきたが、彼らは俺たちを心配して食べ物をなるべく自然におすそ分けできる状態を作ってくれているのだ。今までの自分の部屋だけで構築した俺の世界は、ここにいたらアッという間に崩壊して跡形もなくなった。いつの間にか俺は人間というものを信用していて、ぎこちないが笑うこともできるようになっていた。


 そして都。

 俺の父が彼女の母と再婚したのは半年前だ。特に式もしていないので、一緒に住み始めた義母から少し聞いていた「姉」と会ったのは初めてだった。父は俺を人にさらしたくないのだろう。

 彼女は基本外の仕事なので日焼けしている。背は165くらい、髪は短い。結構筋肉質で動物のようにしなやかな肉体を持っている。何で知ってるかというと、彼女は今まで家では基本裸でいたせいでなかなか服を着てくれない。だから俺は彼女がお風呂から出て裸でぶらぶらしている時は眼をそらしていなければならない。最近は俺に気を使って早く服を着るようになったが。

 おならはしたいときにすぐする。出さないと体や血液中に拡散するから危険だと俺に言った。そして俺にもそうすることを強要する。それだけは止めて欲しい。まだ俺は17歳で恥ずかしがりなのだ。

 食べ物はいつもあるものですます。なかったら大量にストックしてあるサッポロラーメンだ。

 俺はあまりにも単調な料理(サッポロラーメンばかり、それも味噌と醤油と塩の交互)に飽きてきて、近所の人にパンの焼き方を教わって、暖炉で焼くようになった。もともと手先が器用で、粘土細工はとても得意だったし、母がいなかったので食べたい時に自分の分だけ料理していた。

 誰とも話せなかった引きこもりのこの俺がパンを焼いている。そのパンを彼女がとても美味しそうにほおばると、俺は幸せを感じる。人に食べさせるのがこれほど楽しいことだとは知らなかった。お世話になっている近所の人に俺が焼いたパンを食べて欲しくて、おすそ分けもなんとか頑張って出来るようになった。


 夜は夕食の準備をして、彼女が帰ってきたら簡単にパスタや丼ものを作った。ご飯の後にお風呂で都が寝てしまうので、俺はいつも彼女がおぼれていやしないか声をかける。お風呂から出ると彼女はちょっと元気になって、奥の小さな仕事スペースで造園の図面を引いたり見積もりを作成している。俺は彼女の仕事が終わるのを待てずに、いつもソファーで本を読みながら寝てしまう。ここには本と音楽しかない。


 彼女の仕事はガーデンプランナー(彼女は自分を造園屋さん、と呼んで欲しいみたいだが)だ。初めて聞く仕事。

 いつも製図版にくっついて、図面を楽しそうに引いている。パソコンでの見積もりはちょっと苦手みたいで、眉間に皺を寄せながらしている。植栽を決めるときは目が輝いている。

 彼女はとてもわかりやすい。

 そして俺が黙っていても空気でわかってくれているので安心する。それは最初からだ。


 たまに彼女と同い年の造園のパートナーの円造えんぞうさん(屋号だ)が迎えに来てくれて、嬉しそうに一緒にトラックに乗り込んで仕事にいく。よっぽど現場に行くのが楽しいのか、彼との仕事が楽しいのだろう。

 彼は以前に彼女が務めていた会社でも一緒に働いていて、同時期に会社を辞めてそれぞれ独立したそうだ。仕事を組むことが多いと言っていた。

 休みの日も勉強だと言って、いろいろな場所に彼と行っているようだった。彼女は何も言わないけど、財布から出したレシートにカフェの名前があると、俺はそのたびにもやもや変な気持ちになる。

 たぶん俺は彼女と過ごす週末や雨の日を楽しみにしているのだ。

 彼女といると時間がゆったり流れる。話はあまりしない。一緒に本を読むかネコと遊ぶだけだ。

 でも彼女が仕事に気がとられ始めるとすぐにわかる。俺は我慢できなくて、

「仕事したら」と言ってしまう。

 彼女が仕事で作業スペースに入ると寂しいけど、彼女が近くにいるだけでなんとなく嬉しい。


 気が付けば父親のことを全く思い出していなかった。



 ここに来て1ヶ月がたち、世間が浮かれるゴールデンウィークに入っていた。ここにいると日付がわからない。土曜祝日も仕事をする彼女だが、さすがにゴールデンウイークは休みのようだ。

「ゲンちゃん、家に帰りたい?良かったら送ってくよ」とお休みの初日の朝に都が確認した。笑っているけど、目が真剣だ。

「帰りたくない」

 俺は即答した。

 彼女は俺の発した言葉の響きから俺の気持ちを理解したようだった。彼女も、この土地の人たちも、俺の発した短いセンテンスや空気からかなりの情報を引き出す術を持っている。お腹が減ってるとか楽しいとか、寂しいとかだ。なぜかなんとなくわかってくれる。そういう土地なのだろう。

 彼女は少し考えて、

「わかった。じゃあ、明日京都に行くけど一緒にどう?庭の勉強だからつまんないだろうけど」と俺を誘った。

 彼女に外出に誘われたのは初めてだ。

「うん、行きたい」

 また俺が即答すると、彼女は急にお腹を抱えて笑い出した。

「なんだよ…」

 俺が怒ったように聞くと、

「だってさ…ゲンちゃん外行きたかったんだ、と思って。ずっと引きこもってたって聞いてたから、出たくないんだと思ってたよ、ハハ。なんでもっと早く言わないのさ、バカね…ハハハ」とまだ笑いながら言った。化粧っ気のない目に涙がにじんでる。

 俺は悔しくて頬を膨らませた。

 都の子供っぽさが伝染うつってきた。

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