文化祭当日 昼

「さて副部長、問題だ。テーブルの上には水の入ったコップがあるとする。二〇〇ミリリットル入るコップに一〇〇ミリリットルの水が入っている。『半分入っている』と『半分空である』とは量的には同じである。だが意味はまったく違う。とるべき行動も違う。世の中の認識が「半分入っている」から「半分空である」に変わるときイノベーションの機会が生まれる、という『コップの水理論』を解いたことでも知られるドイツの経営学者でマネジメントの発明者は誰か?」


 昼休み。

 クイズ研究部の展示室にいる部長は、椅子に座ってスマホ画面を覗きながら副部長に訊ねた。

 隣で焼きそばパンを頬張る副部長は、よく噛んで飲み込んでから答えた。


「ピーター・ファーディナンド・ドラッガーです」

「さすが副部長」

 部長はスマホをブレザーのポケットに入れ、小さく手をたたく。

「ところで、第一ゲームで我が部の部員が三名、通過した。この結果をどう見たらいいのだろう?」


 副部長は即答は避け、オレンジのパックジュースにストローを刺し、一口飲む。

「どちらでも良いと思います。どう見るにせよ、反対側からも物事を見なくてはいけないですから。二十七名はクイズが得意というより、成績優秀者かもしれません」

「たしかに」

 部長は持参した弁当箱を開けた。

 早起きして作ったサンドイッチが詰められている。

「問題の教科はランダムに組んだが、出題順は学年ごとにした。解きやすくした反面、問題の難易度は高めに設定したから」


 副部長は問題文を思い出していた。

 たしかにクイズ形式にはしたものの、内容はベタ問題というよりは、全教科の小テストといってよかった。

 しかも全学年同じ問題のため、習っていない範囲や選択していない教科からも平然と出題されていた。

 満点を取れる可能性があるのは三年生だけかもしれない。

 もう少しクイズらしいものを考えていたが、実行委員の要望にある程度沿ったものにしなければならなかったのだ。

 日頃、部活や例会なので目にしたことのあるベタ問題からだと、明らかにクイズ研究部が有利となる。

 それを嫌っての要望だったのだろう。


「第二ゲームに進めるのは上位三十人には違いないが、実行委員の奴らは公平を期すためといって、各学年上位十名を勝ち抜けにした。勝ち進めた連中は、学年ごとの成績優秀者といったところか」

 不服そうに部長はつぶやいた。


「それは仕方ないのでは。でなければ、上位三十名は三年生ばかりになりかねませんから。自分たちのクラスや部活、学年から勝ち上がったものがいなければ、企画が盛り上がらない可能性があります」

「たしかに。副部長のいうとおり。とはいえ、どれほどいたのだろう」

「なにがですか」

「我々が作成したクイズを楽しんでくれた者が」


 副部長は、部長が何を言おうとしているのか察した。

 一日しかない文化祭。

 当日の朝、三十分を使いペーパーテストをしたのだ。

 とっとと終わらせて、自分たちの準備や行きたい場所へ回りたいと思って解答していた生徒もいたに違いなかった。

 部長は憂いているのだ。

 これほどクイズを楽しんでいる人が他にいるだろうか。

 それ故に、微笑みながら土砂降りの雨のごとく嘆いているに違いない。

 本当に楽しんで解いたのは三十名もいないのではないのか、と。

 せめて部員全員が通過していたら、少しばかりは部長を慰めることができたやもしれぬというのに。

 副部長の涙腺が決壊寸前だった。


「どうした副部長、震えて。腹が痛いならトイレへ」

「いえ、大丈夫です。部長はお優しいですね」

「わたしはいつだって優しいぞ」


 たまごサンドを一つつまみ、副部長の口の前へと持っていく。

 いただきます、と食べようとする。

 そのタイミングを見計らい、部長は手を引っ込めた。


「だれが食べさせてやると言った?」

「すみません」


 部長の手からサンドイッチを受け取ると、副部長は口へ運んだ。

 おいしいですねと答えれば、当然だ、と部長はうれしそうな表情をした。


「三十分で回答できたとしても、全問正解者はゼロ。つまり通過した連中は、本当にできる人ばかりだったのだろう。その中に我がクイケンメンバーが三人いる。副部長はどう見る?」

「そうですね」


 副部長は、パックのオレンジジュースを飲みながら、部長の性格を考えていた。

 彼女は本当にクイズ研究部の発展と、みんなの成長を大事にしている。

 だからといって甘えは断じて許さない。

 最低限、彼女と同等の努力を皆に求めているのだ。


「クイズに明け暮れて普段の勉学が疎かになっている部員が三人いた、と指摘するには、全体のランキングを見てからにした方がいいでしょう」


 LINEで送られてきた結果には、上位三十名の名前と点数しか記載されていなかったのだ。

 それを思い出した部長は、サンドイッチを頬張りながらスマホを取り出す。

 LINEで実行委員に全校生徒のランキングについて尋ねるも、既読にならない。


「まあいい。それより参加した我が部員に言葉をかけてやりたいのがだ、なにがいいかな」


 焼きそばパンを食べ終えた副部長は、そうですね、と口にものをいれながらしゃべっては飲み込み、オレンジジュースで喉を潤し、息を吐いた。


「通過者には激励を、通らなかった者には励ましの言葉を送られたらどうですか」

「なるほど。それもそうだ。通過できなかった奴らを労っておくか。ついでに、文化祭が終わったら同じ問題を解いてもらい、八割以下はグランドを走ってからもう一度解いてもらおう。そうだ、満点が取れるまで何度もくり返すことにしよう。頭だけでなく体も鍛えられる。一石二鳥だし、彼らも喜んでくれるに違いない」

 部長は鼻歌を歌いながら、LINEで各部員へコメントを送った。




    ☆     ☆     ☆




 午後。

 グラウンドの朝礼台前に通過者三十名は集められた。

 そこに、クイケンの一年生男子三人の姿はなかった。


「あれだけ自信ありげに語っていたんですけどね」


 まさか自分が残るとは信じられない、とぼやいたのは、クイケン部部員一年生の伊藤だった。

 隣に立つ、クイケン部部員の二年生、田中と渡辺が小さく笑う。


「問題。英語で『旗』を意味する単語で、ストーリーにおいて後に特定の展開や状況を引き出す事柄を指し、伏線と同義とされる『お決まりのパターン』の含意があるとされるものは?」

「フラグ、ですね」


 つまり先輩たちは、彼らはフラグを立てたから勝ち上がれなかった、と言いたいのだろうと伊藤は察した。

 それにしても順応とは恐ろしい。

 急に出題されても、動じず、答えられてしまう。

 まだまだ未熟とはいえ、それだけクイズ漬けの日々を過ごしてきたと彼女自身、感心してしまう。

 

「ということは、ここでわたしが『このクイズが終わったら、あの子に告白するんだ』とか、『さようなら。先輩たちに会えて本当に良かったです』とか言っちゃうと、あの三人みたいに通過できなくなるんですか」

「それは知らないけど、告白したい相手がいるんだ」

 クイケン部部員の先輩二人が、頬にうつろな笑みを浮かべた。

「いませんよ。先輩たちはいるんですか?」

 二人は顔を見合わせ、静かに笑った。

「否定しない……ってことは、いるんですか?」

 おのれリア充、フラグを立てて落ちてしまえ、と密かに思う伊藤だった。


 文化祭実行委員の説明の後、スタートホイッスルが鳴り響いた。

 三十名が一斉に封筒を取りに走り出す。 

 実行委員の手により、陸上トラック内側には無数の赤い封筒がばらまかれていた。

 朝礼台近くにあった封筒を拾って持ってきた人たちは、同封されていた「ハズレ」や「減点」といった文字に頭を抱え、走り出していく。

 部長の性格を把握しているクイケン部の三人は、遠くに置かれた封筒を拾いに走っていた。

 朝礼台の上に待つ実行委員に持ち帰った封筒を手渡し、開封してもらったのち、クイズが出題される。


「問題。ダイニテン、この動物はなに?」


 制限時間は五秒。

 実行委員はストップウォッチのボタンを押した。

 カウントスタート。

 五、四、三、二……。


「犬!」

「正解」


 実行委員が手にもつピンポン・ブーの機器から間の抜けた正解音が鳴った。

 遠くに配布された封筒には、難しめのなぞなぞが入っていた。

 さほど遠くないところに置かれた封筒ならどうなのか。

 再び封筒を拾って戻ってくると、朝礼台前にできた列に並び、先に答える人の問題に耳を傾けた。


「問題。失笑するとはどういう意味? A:あまりのおかしさに思わず笑ってしまうこと。B:笑いもでないくらいあきれること」


 制限時間は五秒。

 実行委員はストップウォッチで計測する。


「B」

「不正解です」


 実行委員が手にもつピンポン・ブーの機器から、小馬鹿にするような不正解音が鳴った。

 平成二十三年度の「国語に関する世論調査」で「失笑する」の意味を尋ねた結果、本来の意味である「こらえ切れず吹き出して笑う」と答えたのが三割弱。本来の意味とはちがう「笑いもでないくらいあきれる」と答えた人が六割もいたという。

 中間地域にばらまかれた封筒には、誤答しやすい問題が封入されているのかもしれない。


「問題。ギリシャ語で『焼き焦がす』という言葉に由来する、おおいぬ座にある最も明るい恒星といえばなに?」


 制限時間は五秒。

 実行委員がストップウォッチで計測しはじめた。


「シリウス」

「正解」


 実行委員が手にもつピンポン・ブーの機器から間の抜けた正解音が鳴った。

 ほっ、と伊藤は胸をなでおろす。

 知っている問題が出て助かった。

 二問正解。

 しかも三番目に通過できた。

 だが、上位二人は知らない先輩だった。

 クイケンの先輩たちの姿がない。

 グラウンドへ目を向けると、必死に走る姿がみえた。

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