聞けなかったコントラバス。#23

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このところの2回に続き、同じく恋愛三部作の第三部。2007年の別ブログから転載します。

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ある人のブログを読んで、恋愛三部作を書こうと思った。(正確には、書き留めておこうと思った)。

これが、その3つめだ。


言い訳しておくと、いい加減長い人生、決して3つしか恋愛してないわけじゃない。音楽がらみネタで行こうとしたら、たまたま3人が思い浮かんだわけだ。


最後の登場人物は、コントラバスを弾く人だった。私が袖振り合った中では、最もインテリに分類されるタイプだったかもしれない。

ハッキリ言って、見るからにインテリっぽいタイプは、私のタイプから最も遠い。強いて言うなら、知性的であってそのインテリジェンスを隠しているタイプであれば、それはそれで逆に魅力的だと思うかもしれないが。


なぜ、その人とつき合ったのか。それは、向こうがかなりホレてくれたからだった。自分は小学生のころのモテピークから徐々に下降し、今は万人ウケしないと自覚しているけれど、それでも、たまにそういうことが起こる。


いったい、どこがそんなに気に入られてるのか、最初は半信半疑だった。

実際、訊いてみたくらいだった。彼の答えは、「一生、キミと一緒に○○したいと思ったんだ。そうしたら、ぼくの人生は楽しいだろうな、と」というものだった。○○の部分は、いろいろだった。美術館で絵を見る、映画を見る、コンサートへ行くなどなど。

それは、なかなかいい答えだった。本当にそうだったら、きっと私も楽しいだろうなと思えるような。


思えば、私のことを「キミ」と呼ぶ人は二人めで、一人めの時は、双方まだ学生という間柄だった。そして、その「キミ」という呼び方が取ってつけたように感じられて、その分、彼との間に距離がある気もして、ダメになった。

あとでわかったことだが、関西出身の彼は、関西弁圏外で相手をどう呼んでいいかわからず、たまたま小説などで目にした「キミ」を使っていただけだったようだ。

しかし、ダメになる時は、一見しょうもない理由の後ろに、もっと深い理由が潜んでいるもの。この時も、「キミ」だけが問題だったわけではなく、ほかの理由もあって、「キミ」もまた引っかかっただけのことだ。


コントラバスの人がダメになった理由は、もちろん、「キミ」のせいではなかった。


具体的な理由は、ここに書くのははばかられるので、書かない。ただそれは、ホレてくれたはずの彼が、外部の圧力に屈した結果だった。先方の家に結婚前提の挨拶に行く直前のことだった。

理不尽だと思ったけれど、理解できなくもない理由だった。だからその日、私は彼の結論に従い、黙って別れた。そのあと、テナントビルのトイレで、いつまでも泣いた。


別れてから1カ月して、突然、連絡があった。

意外だったけど、その1カ月ずっと苦しんだと言う。確かに、痩せていた。

話のはじめは、やり直したい意向が見えた。でも、よく聞いていると、自信はまったくないようだった。おそらく安易に復活しても、彼はすぐにまた悩み始めるだろう。そんな感じだった。


今にしてみれば、結論を急ぐ必要もなかったし、彼が再び悩んだら、その時はその時でまた別れればよかっただけとも思う。

でも私は、同じ相手に同じ理由で2度傷つくのがイヤだったのかもしれない。

だから、正論で話をしてしまった。案の定、その正論を覆す情熱は彼にはなく、最後には納得したように「やっぱり、やり直すのはやめよう」と言った。

結局その時も、私は傷ついた。どっちにしろ、2回、傷ついたのだ。


カップに残った最後のコーヒーを飲み干した時、奇しくも彼は言った。

「傷つけて、ごめん」。

聞いたことがないくらい、ストレートな言葉だった。

彼は、私を傷つけたと思ってるんだ。それが、逆に悲しかった。傷つけるとわかっていて、その反対の選択を彼はしなかったということだ。

「傷ついてなんかないよ。それ(今回別れる理由となった事態)が起こった時に私は十分傷ついたから、今さら、さらにそのことで傷ついたりしないよ」。

それを聞いた時の、彼の安堵した表情が印象的だった。この人、何か違う…と、その時わかった。きっと、彼とは結婚しなくてよかったのだ。


それなのに私は、本当はその「理由」にいつまでも傷ついていた。彼に、私は傷ついてないと言ったのは、人を傷つけたかもしれないことに自ら傷ついている彼を、ちょっと慰めただけだった。


しばらく立ち直れないでいた間、私はあまり泣かなかった。それよりも、茫然としていた。単なる失恋のショックとは違って、自分の存在価値を完全に否定された気がしていた。私のことを、人としてあんなに好いてくれた人が、どちらかというと、自分ではどうしようもない、人間性とは別の部分で最後の結論を出したのだ。こちらはなす術がないじゃないか。


よく聞く話ではあるけど、実際に自分がなってみると、うまく処理できなかった。

「私には何もない」。

そう感じた。仮に、人としてはよくても、ほかの条件で否定されるのであれば、私には勝負する武器は、もう何もないことになる。まさに、自分には価値がない、という感覚のまま、長い間うつろな日々を送っていた。


今、時間が経ってみれば、イヤな目に遭っちゃったな、という出来事だった。

だけど、つき合ってる時の彼は、幸せそうだった。恋してる人のトキメキが、こっちにも伝わってくるようだった。

ドライブ中、コントラバスの話をしながら、「放っておいたら、コントラバスのCDを延々とかけちゃうから、人といる時は絶対にかけないようにしてるんだ」と言った。

「いいから、かけてみて」と私は言った。ぜひ、聞きたいと思ったのだ。

「でも、かけると、たいてい嫌われるんだ」と笑った。そんなことで嫌わないよ、と私は思った。


結局、彼は、本当に絶対かけなかった。

ドライブでは聞けなくても、一緒に暮らしたらナマで聞かせてもらおうと思っていた。それは、想像してみると、なかなか幸せな光景だった。けど、実現しなかった。


コントラバスは、好きな楽器の一つだ。何より、それを弾く人の、楽器を後ろからエスコートするようなたたずまいが、よい。

今コントラバスを見ると、やっぱり、どうしても彼を思い出してしまう。だけど、コントラバス自体は、変わらず好きなままだ。

あの時、聞かせてもらえなかったことは、かえってよかったのかもしれない。

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そういえば、今はコントラバスを見ても、前ほど思い出さなくなっている気がします。

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