27 どんと来い
六屋さんの言葉にドキリとする。……いよいよだ。いよいよ、計画が始まるのだ。
失敗は許されない、やり直せない、取りこぼしの一つもきかないこの計画が。
「じゃ、車ごと曽根崎の所に行きますかね」
だが緊張する僕と違って、烏丸先生は飄々としたものである。ビッと後方を親指で指すと、彼は言い放った。
「そんなわけでロックさん、運転よろしく」
「きゅ、救急車なんて運転できるか!」
「運転だけなら普通免許持ってりゃ問題無いスよ。さぁ乗った乗った」
「ぬ、ぬぬぬ」
烏丸先生に急かされ運転席に乗り込んだ六屋さんは、少し迷った後エンジンをかけて発進させた。足の裏から伝わる車の振動に、胃の中がまぜっかえりそうになる。
「さぁ行くわよ、景清! この勝負、絶対勝ってやるんだから!」
一方絶世の美女は元気いっぱいである。闘志をみなぎらせる彼女に、僕は青い顔で問いかけた。
「柊ちゃん、勝負って何の事です?」
「もっちろん、この計画に決まってんじゃない!」
背中をバンバンと叩かれる。決して弱い力ではなかったが、心臓に届く打撃に不思議と気持ちが落ち着いてきた。
睫毛の長い目が、僕の顔を覗き込む。
「……ねぇ景清。アンタもそうだろうけど、ボクだって今すっごく怖いのよ? その辺りちゃんと分かってる?」
「え……そうなんですか?」
「そうよ! だってナオカズも前清も助けなきゃいけないのよ!? 命かかってる分、責任重大ですんごく怖いわ!」
救急車がカーブに差し掛かる。大きく体が傾いたが、柊ちゃんがさりげなく肩を支えてくれた。
ふわりと優しい香水の匂いが鼻腔をくすぐる。
「でもね、ボクは大丈夫なの! だって絶対勝つって決めたもの! どんな奴らが相手でも、ボクは絶対負けてやらないのよ!」
「……」
「だからいいこと!? このボクと一緒にいるってんなら、アンタもへなちょこキメんじゃないわよ! 分かった!?」
「柊ちゃん……」
「返事は!?」
「は、はい!」
「よーし、それじゃあ行ってらっしゃい!」
ブレーキがかかり、僕は車が目的地に到着した事を知る。
最後に二回ポンポンと肩を叩き、柊ちゃんは僕を押し出した。しっかりと足に力を入れて立ち、僕は彼女を振り返って頷く。
両手でパチンと頬を叩いて、雨の中に飛び出した。目指すは曽根崎さんのいる場所だ。
曽根崎さんが待機しているのは、深馬がいる所とはまた別の空きビルである。
四階建てのビルの三階まで一気に駆け上がった僕は、ノックもせずにドアを開けた。
「やぁ、準備は上々かな」
電気のつかない部屋に佇む曽根崎さんは、双眼鏡を手にこちらを見た。息を整えることもなく、僕は彼の側まで歩いていく。
「はい、問題ありません。そちらも?」
「ああ、出力装置はこのビルの四階に設置した。後はタブレットを使えば、どこからでも封印の図式が描けるようになっている」
「それは良かった。なら時間までここに……」
そう言いかけた所で、曽根崎さんのスマートフォンに着信が入る。応答しながら、彼は窓に寄って身を乗り出した。
「……どうやら、結構ギリギリだったようだな」
――“彼”が到着したのだ。
跳ね上がる心臓を服の上から押さえつける。大きく深呼吸をし、僕は必死で平気なふりをした。
「……なんとか間に合って良かったです」
「全くだ。ではこっちに来い、景清君」
「はい」
呼ばれて、窓の側まで行く。ぽっかりと口を開けた大穴に、ふらふらと近づいていく影が一つ見えた。
――ああ、藤田さんだ。
僕の叔父で、阿蘇さんの友達で、色々と緩いクセに、人一倍優しい人。
けれど、僕の知る彼とあそこにいる人はまるで違っていた。虚ろで覇気の無い後ろ姿に訳の分からない悔しさが込み上げ、唇を噛み締める。
――柊ちゃんの言う通りだ。絶対に負けてやるものか。
「曽根崎さん」
「うん」
曽根崎さんは、黒いヘッドセットを頭に装着する。マイクの位置を調整し、双眼鏡を構えた。
「君も」
耳栓を渡され、つける。一切の音が無くなり、もう僕はすぐ側にいる彼の声すら聞き取れなくなった。
今からする事は一つだ。藤田さんの助命率を上げる為、彼のつけているイヤホンを通して曽根崎さんが“体の自由を奪う呪文”を唱えるのである。
『……神経に呪文を作用させれば、多少痛覚を麻痺させる事ができるかもしれない』
昨日の晩、張り詰めた声で曽根崎さんは言った。
『それに、ミートイーターは今、藤田君とDNAを同じくしているんだ。寄生植物を彼の体の一部と見做せるなら、呪文の影響を与えられる可能性は高い』
『でも具体的には何をするんですか?』
『まずは剥離させやすいよう、ミートイーター周りの組織を固定させる。それができたら本体を固めて、忠助が処置をするタイミングで……』
医者も舌を巻くような繊細な作業を、曽根崎さんは説明してくれた。……そりゃあ、一度は自分の心臓すら止めて仮死状態になった人である。この人ならできるかもしれないと思わないではない。
けれど、黒い霧に巻き込まれた時の彼を思い出すとどうしても不安だった。僕と違って、曽根崎さんはこの三日間を二回繰り返しているのである。僕が想像する以上に、体も精神も消耗しているだろう。
そう。
だからこそ、昨晩の彼は言ったのだ。
『側にいてくれ。呪文を唱えている間、私が正気を繋いでいられるように』と。
「……」
少し違うな。
実際は、こう言っていた。
『骨を折ってもいい。爪を剥いでもいい。藤田君を助けたいのなら、何が何でも私を狂気の果てから連れ戻せ。後のことはなんとでもなる。私は決して怒りはしない。だから君は、私の隣で私を正気を繋ぎ止めることだけに無心になってくれればいい』
――それを聞いた僕は、怒りを爆発させたのだ。
「なんて滅茶苦茶な事を言うんだ」「アンタ自分はどうなってもいいのか」と。
骨折りだとか爪剥ぎだとか、実際僕がアンタにできるはずがない。ほんと何も分かってねぇなコイツは。
しかしそう言うと、彼は困ったように目を伏せたのである。
『……君の言う事も一理ある。だが、成功率が最も高そうなのもこの方法なんだ』
『どういうことです』
『これは経験における推測、あるいは希望的観測でしかないんだがね。強烈な痛みでもショックでも、何でもいい。一瞬だけでも、狂気の中で自我を取り戻せるなら。……私は、きっと君の声を逃さず掴み、戻って来られると思ったんだ』
『……』
『それだけだよ』
――僕の声“なら”。
その一言に、当時の僕は大いに動揺したのだろう。つい、彼にも分かるぐらいはっきりと頷いてしまっていたのだ。
けれどやっぱり、自分がそんな大層な役割を担えるとは思えない。
かといって曽根崎さんを骨折させる覚悟も爪を剥ぐ覚悟も持てないまま、僕はここに来てしまっていたのだ。
「――」
行くぞ、と曽根崎さんの口が動く。怖いのか、頬が引き攣り不気味な笑顔になってしまっている。
――アンタの正気の錨でいられる自信も、アンタの体をボロボロにしてまで呪文を唱えさせる覚悟も、無い。もしかしたら、アンタの期待に沿えず酷く失望させてしまうかもしれない。
けれど。
「……どんと来いですよ」
……大丈夫ですよ。曽根崎さんはうまくやれますし、僕だってちゃんと正気に繋ぎ止めてみせます。
貴方と僕の仲でしょう。今だけでも、僕は曽根崎慎司が頼るにふさわしい人間になってやりますよ。
口角の上がったその顔を真似して、僕は返してやった。
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