第18話 ルール

 それがゲームの体をなしていると気づいたのは、男が異次元に飲み込まれた日の翌日だったという。


 いや、言えよ。


「確証は何一つ無かったからな。俺ほどの頭脳を持った人間にもなると一言一言に重みが出てくるから、発言も慎重にならざるを得ない」

「言ってること自体はアホみたいだけどな」

「え、アホ? ……ま、まあいい。とにかくここ数日、俺は絵やビデオを見ながら、このゲームのルールを理解しようとしてたんだ」

「へぇー。で、分かったの?」

「ヒヒヒ、愚問」


 嫌な笑い方をするヤツである。もう少し丸くなれよ二十一歳。

 まるでシャーロック・ホームズのように両手を口の前で合わせ、奴は解説を続けた。


「クルクルパーの愚民に一つずつ説明してやろう。今回のゲームを理解するにあたり、まず気になったのは“勝敗を決する基準”だ」

「勝敗を決する基準?」

「そう、これだよ」


 彼はあるものを取り出し、硬い音を響かせてテーブルに転がした。


「水晶?」

「……を、使ってお前が行く先だな」

「つまり“異次元”のこと?」

「その通り。あの場所が開いた条件は覚えているか? 一つは、男が妨害行為で黒い線を消した時。そしてもう一つは、白い浮浪者が白線を引いた時だ」


 それはしっかり覚えている。どちらの場合も、その後黒い浮浪者が黒線を引いたら元の壁に戻っていたことも。


「この事から、白は異次元を解放しようとし、逆に黒は封印しようとしていたということが分かる。“異次元を開いたら白の勝ち”。“それを防げたら黒の勝ち”。これが、ゲームの要だったんだ」

「……ええー……」


 彼の出した結論を、僕は苦虫を噛み潰したような顔で聞いていた。


 ――不気味な緑の目が無数に瞬く、危険極まりない空間。そんな世界へと繋がってしまう行為を、あの謎の浮浪者らはゲームの一部として組み込んでいるというのか?


 意味が分からなかった。何が目的で、ヤツらはそんなゲームに興じているのだろう。


「ハッ。ンなもん、“面白いから”以外に理由がいるのかよ」


 尋ねると、慎司は皮肉的に笑って吐き捨てた。


「この世界に住む人間なんざどうでもいいんだ。いっそ大変なことになるからこそ、スリルがあって楽しいのかもしれん」


 聞くだに無茶苦茶な理屈である。それでもあながち的外れでない気がしたのは、あの浮浪者らに人間らしい倫理観が存在するとは僕自身微塵も思ってなかったからだろう。

 僕は、彼らのゲーム盤である壁の写真を見た。


「……そうだよな。異次元を塞ごうとしてるからって、黒い浮浪者が人間の味方なわけじゃないんだ」

「人間の味方をするヤツが人間を異次元に突っ込むかよ。改めて言ってやるが、ヤツらはただゲームで楽しく遊んでいるだけだ」

「……」


 宙を掻く血まみれの腕を思い返し、僕はぶるりと身を震わせる。

 そんな僕を放置し、慎司はまた解説の続きに戻った。


「……目的が見えれば、ルールを探るのは簡単なはずだったんだけどな。ここで案外時間がかかってしまった。単純なようで複雑、複雑なようで単純。陣取りゲームかと思えば、線を重ねていいパターンと重ねてはいけないパターンがあるらしい。特定の角度と太さで意味が全く違ってきたり、線が掠るだけで本来の意味を失ったりもあったな。未知の魔法陣を読んでるみたいで、ほんとめんどくさかったよ」


 内容とは裏腹に平然と言うものである。過去形で話しているということは、ゲームのルールは粗方理解できたのだろうか。

 ……まったく、頭のいいヤツである。

 心の中で舌を巻いた僕だったが、慎司の本領はそれだけに終わらない。手元の写真に目を落とすと、彼は指先を黒い線に這わせた。


「……けれど、それだけじゃダメなんだ。安全に異次元を通るには、ヤツらの先手を打たないといけない」

「先手?」

「そう。線を一部消して異次元を開くだけなら簡単なんだがな、そうなると例の男よろしくヤツらに襲われかねない。だからゲームの先を予想し、白い浮浪者の線が異次元を開くタイミングを狙って突入する必要がある」

「でもそんなことってできるのか? ルールの把握だけじゃなくて、ヤツらの手を読むなんて……」

「フン、この俺を誰だと思ってるんだ。頭脳明達聡明叡智、曽根崎慎司様だぞ」


 突然の上から目線な声に顔を上げる。

 この数日ですっかり見慣れた不遜な笑みが、僕を見下ろしていた。


「ゲームは既に最終局面まで来ており、残された手は少ない。それも、昨日までの資料で三十四パターンにまで絞れた。これに今日の分のデータが追加されれば、更に打つ手が限定できる。――うまくいけば、今日中にお前を帰すことも可能かもしれない」

「え、すごい」

「ふふふ、そうだろう。まぁ俺だからこそできたことだが……」

「いや本当にすごいよ。さすが慎司だ。僕一人じゃ絶対にこの謎は解けなかった」


 手放しで褒める僕に、慎司はキョトンとした顔をする。表情の真意は分からなかったが、きちんとお礼を言いたくて僕は彼に頭を下げた。


「僕がここまで来れたのは、慎司のお陰だ。協力してくれてありがとう。すごく感謝してる」

「……おう。うん、まあ、俺って偉いから」


 いやどんな返しだよ。あとやっぱなんだその顔。なんで干してたシャツから虫が見つかった時みたいな目ぇしてるんだ。言葉に裏は無いよ。素直に受け取れ。


 しかしなるほど、今日は慎司にとって“答え合わせ”の日だったのである。ならば尚更、ビデオデータを回収しに行かねばならない。

 そんな僕の考えを悟ったのか、ヤツは僕に服を投げつけてきた。


「貸してやる。着替えたら廃墟に行くぞ」

「ありがたくお借りします。でもこうなったらもう急がなきゃだね。四つ足は廃墟じゃなくても出てくるんだし」

「ああ。とっととパターンを読んだら、お前の頭を丁寧に異次元に突っ込んでやる。それで全部終わりだ」


 僕が着替えている間に、慎司はあれこれ荷造りを始めた。……きっと彼なりの狙いがあるんだろう。さっきうちわのようなものが見えたが、あれも高度な思考から導き出された答えの一つに違いない。僕はツッこまないぞ。


 着てみた服は、やはり僕には大きめだった。そういえばすっかり彼の煙草の匂いが気にならなくなっており、少しだけ驚いたのである。

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