第10話 その尊大こそが

 そうやって二人で話し込んでいたら、気づけばすっかり夜も更けてしまっていた。


「そろそろ寝るか」

「そうだね」


 慎司の提案に全面的に同意する。

 元の世界に帰る方法や、異次元に繋がる絵について。考えるべきことは山ほどあったが、さりとて四六時中動けるものではない。今はただ、難しい話で疲れ切った脳を早く休めたかった。


 だが、そう思った僕が横になった瞬間、慎司に布団を引っ剥がされた。


「何お前俺のベッドで寝ようとしてんの!?」


 あ、忘れてた。


「使う?」

「使うに決まってんだろ!!」

「ごめん、未来の曽根崎さんっていつもソファーで寝てたからさ。つい癖で」

「どういう力関係!? つーか俺最初に床で寝ろっつったよな!?」

「そうかもしれない」


 家主には逆らえないので、僕は大人しくベッドから下りることにした。

 とはいえ、床にはカーペットが敷かれているし、慎司が適当な上着を出してくれてもいる。これなら問題無く寝られるだろう。


 上着を引き寄せ、くるまる。

 そうすると溜まっていた疲れが出てきて、すぐにまぶたが重たくなってきた。


「……なぁ、景清」


 慎司が話しかけてくる。が、僕にはもう会話を続ける気力は残っていなかった。なんとか「おやすみ」とだけ返し、文句を垂れる慎司を放置して眠りの世界に落ちていったのである。










 ――雨が降っている。


 冷たくて嫌な雨だ。肌を鋭く刺して、じわじわと内側に滲んでいくような。


 ふと、前を見た。

 誰かが立っている。


 その影に見覚えがあって、駆け足で近づいた。

 ……曽根崎さんだ。

 曽根崎さんがこちらに背を向けて、穴の縁に立っている。


 ――そんな所にいると危ないですよ。


 そう言うと、彼は振り返った。

 僕の姿を視認したいつもの不審者面が、奇妙に歪む。


 それは、あの日に見た笑顔だった。


 そして、彼の体はゆっくりと、大きく口を開けた穴に落ちていく。


 僕は悲鳴を上げようとする。だけど喉は押し潰されて、掠れた声しか出てこない。

 体が重たかった。息ができなかった。苦しくて堪らず、喉に手を当てる。


 けれど、僕は彼を助けなければならない。


 穴に走り寄り、腕を伸ばす。しかしそこにあったのは、前方がべこべこにひしゃげた一台の自動車だった。

 運転席では、誰かがハンドルに体を預けてうつむいている。その人は女性のようで、僕と同じく苦しそうな呻き声を上げていた。


 ……助けた方が、いいのだろうか。


 僕は、恐る恐る運転席の女性に声をかけようとして――。


「景清!」


 誰かの声に、現実に引き戻された。


「景清! 起きろ! 朝だぞ!」

「……ううん?」


 目を開けると、若い曽根崎さんが僕を見つめていた。あれ? なんで若返ってんだ、この人。


「……あーなるほど、これはまだ夢……」

「じゃねぇぞー。起きろー」


 ガクガクと揺さぶられては寝られようがないので、渋々起きることにした。

 ……そうだ。僕は今、過去に来てるんだった。

 時計を見てみると、もう朝の七時である。


「なんか酷くうなされてたぜ」


 慎司は寝癖のついた頭をかいて、憮然と教えてくれた。


「寝言で“フジョウ”がどうのこうの言ってたな。ストレス溜まってんじゃねぇか」

「そうかな」


 生返事をして、窓の外を見る。

 ……今日の天気は雨だ。

 見ていた夢を思い出す。ぼやけて、薄暗くて、絶望的な光景。朝から一気に落ち込んだ気持ちになった僕は、急いで頭を振ってそれをかき消そうとした。


 ――メソメソするだけなら誰でもできる。僕は、絶対に諦めないと決めたではないか。


 けれど。


 ……あの時失敗した僕だ。慎司に呆れられるほど何も持っていない僕なのに、今度こそ本当にやり遂げられるのだろうか。


 どうしようもない思いに沈む僕をよそに、慎司は携帯食を咥えて何やらガサゴソとやっている。


「……何してんの」

「もーひゃむひゃむひゃ」

「食べてから言えよ」

「……今日は、あの廃墟にカメラを仕掛けに行こうと思う」


 僕と違って絶好調だな、アンタは。

 っていうか大学は?


「今日から長期休みに入った」


 ならいいのか。

 いや、いいのか?


「白い浮浪者と黒い浮浪者の行動スパンを調べたいんだよな。規則性があるのか、そうでないのか。その辺りが見えたらまた考察の材料を増やせる」

「でも、そんな長時間録画できるカメラとか持ってるの?」

「持ってなきゃ提案してねぇだろ。少しは考えろ」

「ムカつくー」


 相変わらず人を馬鹿にした態度である。根は悪いヤツではないのだが、普段の会話からコレではなかなか良好な人間関係を築くことは難しいだろう。

 湧き上がったモヤモヤをまた飲み込むのも難しく、僕は携帯食をかじりながら図々しく慎司に物申してやった。


「お前ねー、そうやって偉そうにしてたらどんどん人が離れてっちゃうよ? だーれも慎司とコミュニケーションを取る観測者がいないから、お前を残して皆ズレていく。そんな寂しい人生でいいのかよ」

「あ? 相互利益が獲得できねぇ関係なら維持するだけ無駄に決まってんだろうが」

「正論」

「あと間違えるな。俺は“偉そう”なんじゃない。実際に偉いんだ」

「どういうこと?」


 僕の疑問に、慎司はつっけどんに答えてくれる。


「“偉さ”というのは地位ではなく、相対的な順位だ。社長なら偉いか? 取引先には頭を下げるだろう。政治家なら偉いか? 誰も支持しなければすぐに職を追われるだろう。絶対的なる“地位”などこの世に存在しない。だが、思考や決定という負担を避けるヒトの脳は極力他者に判断基準を委ねるべく、何かとこういった順位をつけたがる」

「順位」

「そう。社長であるこの人は自分より素晴らしい人間だろう、言う通りにしていれば間違いない、とな。しかし、それはあくまで考えることをやめたバカが夢見る妄想に過ぎない。同じ社会的ルールを遵守した者同士が他者と己を比較し、よもや個の順位をつけるなど実に馬鹿げた話だ。それぐらいはお前にだって分かるだろ」


 傍若無人で尊大な言葉を、慎司はつらつらと吐いていく。それを僕は、じっと黙って聞いていた。


「故に俺は、俺自身がこの世で最も偉いと定義づけることにしているんだ。自らで考え、選択し、己の意思を最優先とする。俺以上に必要な命は無いし、そんな存在もあり得ないからだ」

「……」


 この時の僕はといえば、別に彼の言葉に共感したわけでも、幻滅したわけでもなかった。

 ただ、長ったらしい屁理屈を聞いている内に、何故だか妙に懐かしい感情がこみ上げてきて、


「……ぶぇふっ」


 最後、とうとう耐えきれずに噴き出してしまったのである。


「うぇへ、へへへへへ」

「え、何!?」

「ふへっ、ふふ、ふふふふふ」

「めっちゃ笑ってる! 怖っ! なんだよ今の話のどこに笑う要素あったんだよ!?」


 突然笑い始めた僕を前に、慎司はオロオロとしている。


 ――ああ。

 この人はほんと、どこにいようと骨の髄まで曽根崎慎司なんだなぁ。


 いくら面がズレようとも、未来の自分と辿る歴史が違っていたとしても。

 不遜で、偉そうで、もうなんか今だってこんな感じで。

 つまり、どこにいたって芯が変わらないのだ。


 水晶から出てきたバケモノや、謎の浮浪者。そんな人知を超えた奴らに脅かされた世界に落ち、その上元の世界に戻る方法まで探さねばならない状況が今の僕だった。

 それなりに平気なつもりだった。歯を食いしばってやり抜く覚悟もできていた。けれども、漠然とした不安感はずっと僕の中で膨れ上がり続け、立っている場所は常にグラグラとしていたのである。


 だというのに、この僕が観測する曽根崎慎司という男だけは、どんな世界にあっても微動だにしない。ケロッとした顔で「自分は偉い」と言ってのけ、肩で風をきって歩いている。


 ――たったそれだけのことが。

 驚くべきことにそれだけのことが、暗い雨の降る僕の世界を笑えるほど一瞬で安定させてしまったのだ。


 もっとも、当の本人はドン引きしていたが。


「えっへへへへへふひひ」

「ちょ、マジで怖い。未来の俺、今すぐコイツの説明書を送ってくれ。間違いなく脳バグってるぞ」

「失礼なぐらいがアンタですよね。よし、今日もとことん付き合ってあげますよ。行きましょう、曽根崎さん」

「ええー……急にどうしたんだよ。あ、もしかしてコレ? コレ食ったからか? 賞味期限切れとはいえ、そんな弊害が起こるとかクレームもんだけど……」

「客人になんてもん食わしてんだアンタ」


 携帯食の箱を持って僕の顔を見比べる慎司を小突く。

 ……これは、後でお金を借りてまともな食材を買ってきてやった方がいいかもしれない。慎司の栄養バランス的にも、僕の健康的にも。


 機材を詰め込んだ鞄を担いだ慎司と共に部屋を出ながら、パラシュートを背負った僕は今晩の献立を考えている。


 僕の目に映る雨は、もう誰の死も連想させないいつもの色をしていた。

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