第6話 リンチの輪の中

 突如、街のど真ん中に出現した大きな穴。

 そこで目の当たりにした不気味な事件。

 僕自身に起こったこと。

 曽根崎さんに起こったこと。


 ――そして、曽根崎さんを助ける為に未来から過去へ来たこと。


 それらをかいつまんで、僕は目の前の青年に説明してやった。

 終始愉快そうに僕の話を聞いていた慎司であったが、聞き終えた今では難しい顔をして腕を組んでいる。

 ハラハラする僕を前に、彼は結論を下した。


「……まあ、論理の破綻は無いかな」

「良かった、信じてくれるんだね」

「嘘を言っているようにも見えないしな」


 よし。とんでもない話ではあるが、警察も救急車も呼ばないでいてくれるようだ。

 痺れた足を伸ばす僕の隣で、慎司は小さく嘆息する。


「ということは、俺はあと十年の命なのか」

「縁起でもないこと言うんじゃない。延ばしてみせるわ。あと五十年ぐらい健康に生きてもらうわ」

「でもそれには特定の観測点に移らねぇといけないんだろ。どうやって行くんだよ」

「……」

「景清?」


 慎司の指摘に、はたと思考が止まる。

 ……どう、やって……?


「どうした?」

「……いや……そこまで考えてなかったなぁと思って」

「はあぁ!? おまっ……えぇ!?」

「や、だって黒い男はこの場所を経由して戻れって言ってたから……え!? なんかこう、不思議な力で自動的に戻れるとかじゃないの!?」

「俺に聞かれても知るかよ。……うわー……未来の俺、こんな奴助けて死んだのかよ。愚断にも程があるだろ」

「そういうこと言うな。泣きそうになるから」


 頭を抱える僕の隣で、慎司は心の底から呆れた顔をしている。

 しょうがないだろ。こちとら時をかけるのなんて初めてだったんだ。


「……俺には黒い男とやらがよく分からんが、こちらに勝ち目の無いゲームを仕掛けるような奴じゃなさそうだ」


 僕の落胆っぷりに少し心が動いたのだろうか。慎司はポケットから水晶を取り出し、言った。


「だから今持っている物と、この世界で得られるだろう物。ゲーム的に言えば、それらを活用すればクリアできるんじゃないか?」

「この世界で得られるだろう物って……そんなん探してたら帰れるのいつになるんだよ」

「さぁなぁ」

「あ、もしくはそれも一つの方法かな? 十年経って慎司がピンチになったら、僕が改めて助けるっていう」

「……」


 慎司は顎に手を当てて考え始めた。どうしたのだろうと見る僕に、小さな声で尋ねる。


「確か黒い男は、“かつてお前が観測した曽根崎慎司”に会う為にここを経由しろと言ったんだったな?」

「うん」

「……だとしたら、たとえ景清が十年ここにいたとしても、俺がその事件に遭遇する可能性は限りなく低いと思う」

「え?」


 慎司の言葉に、僕は目を丸くした。

 なんだそれ。僕の目の前にいる人は、曽根崎慎司その人じゃないのか?

 それともコイツは、僕の知らない何かを知っているのだろうか。


 狼狽する僕を、慎司は小馬鹿にしたような目で見た。


「知ってるも何も、量子力学かじってたら多少なりとも想像できるだろ。コペンハーゲン解釈に則って考える必要があるが、男の話ではそこで証明されていない部分についても言及されている。時間を遡るんだ、それも当然……ああ違うか、遡りはしないのか。観測者である景清が水晶を通して俺が存在する面を確定させたことで、観測された俺自身の観測点が擬似的に生成され……」

「待って慎司。僕お前が何言ってるか全然分かんない」


 黒い男と同じく、観測観測と言い始めた彼を慌てて止める。しばらく止まらなかった慎司だが、僕にビンタされた所でようやく口を閉じた。


「未来の日本では思い通りにならなかったら暴力を振るっていい法律でもあるのか?」

「うるせぇ、僕にも分かるように言ってくれ」

「なんで俺がお前の知能レベルに合わせてやらないといけないんだよ」

「本当に頭のいい人なら、思考の言い換えぐらいできるだろ」

「頭のいい人だと? その言葉は引っかかるな。教えといてやるが、“頭のいい人間”ってのは幻想に過ぎない。全ては相対的であるからして、あらゆる視点から捉えられるべきである」

「どういうこと?」


 僕の問いに、ますますもって人を見下した冷たい目をする慎司である。


「少しは自分で考えろよ。とある科学者が砂糖と塩を間違えて塩辛いケーキを作っただけで、量子力学さえご存じないお前は居丈高に自分の能力の方が上だとほざくのか、という話だ」

「ああ……」

「物事の一面しか見ないってのはそういうことだ。……もっとも、そうした所で擁護不能のバカは存在するけどな」

「どんなヤツ?」

「あ? どっかの誰かさんみたいに、自分で考えることをやめた脳みそお飾り野郎のことだよ」

「お、よもや僕のことか? 僕のことなのか? 残念ながら舌ばっかり回るスットコ嫌味野郎に言われても僕なんにも響かないからな」

「スットコ!? 俺が!?」


 安い挑発には安い挑発で返すのが僕の流儀である。ところで慎司にはあまり煽り耐性が無いらしく、言い返したら案外動揺した反応をする。なら言わなきゃいいのにコイツ。


 つーか結局最初の説明をしてくれてねぇじゃん。そう思ったが、ふてくされた慎司はこれ以上会話を続ける気が無いと見え、もう僕が何を言っても答えてくれなかった。


 が、そんな中、ヤツはまた何かを感知したようである。パッと顔を上げると、入り口の方に目を向けた。


「……どうしたの」

「何か聞こえないか」


 言われて、耳をすませてみた。……微かに、どこか遠くで男の怒声が聞こえる。


「誰かいるみたいだね」

「行ってみよう」

「え、ここで見張らなくていいの?」

「あの浮浪者は歩いてここまで来た。ならば、もう一人も歩いてやってくる可能性が高い」


 水晶をポケットに入れ、慎司は服についた埃を払う。


「だったら、気を張っていれば見過ごすことは無いだろう」


 変な所で楽天的である。まあ僕としては、慎司についていくしかないのでどちらにしても同じなのであるが。

 痺れの治った足に力を入れ、僕は身を起こしたのであった。










 若い男が、四人。いずれも品行方正とは微塵も言い難い見た目である。

 そんな彼らは輪になり、思わず目を背けたくなるような罵倒と乱暴をその輪の中心に向かって浴びせていた。


「……あれ、ヤバいんじゃない?」


 どこからどう見てもリンチだ。輪の中心人物は柱の影からだと見えないが、あんなことをされて無事なはずはないだろう。

 だが危機感を募らせる僕に、慎司はつまらなそうに頬杖をついて言った。


「珍しいことじゃない。人から打ち捨てられた薄暗い場所には、相応の虫が湧くものだ」

「早く助けなきゃ」

「腕に覚えがあるのか? 無いなら大人しく警察に電話だな」

「僕、携帯電話持ってないんだよ」

「じゃあ諦めろ。俺も持ってない」

「なんで?」

「必要無いからだ。金出してまで、維持したくもねぇ人付き合いをしなきゃならない理由が分からん」

「うっわ出たよ曽根崎イズム」

「なんだその主義。とにかくそれでも助けが欲しいなら、外に行って人を呼ぶしかない。が、出口に行くにはアイツらの横を通る必要がある。勿論そんなことをしようもんなら、お前は一瞬であのパーティーの中心人物になれるだろうがな」

「……ぐ」

「見捨てた方がいい」

「……」


 慎司の言うことは正しい。相手が四人とあらば多勢に無勢、僕ごときなどほんの一捻りでやられてしまうだろう。

 ……けれど、一度見てしまったのなら、もう無かったことにはできない。

 僕は拳を握って気合いを入れると、立ち上がった。


「……ごめん。僕、行ってくる」

「俺は助けねぇぞ」

「いい。見つからないように隠れてて」

「……」


 だが、いざ一歩を踏み出そうとしたその時、慎司が僕の服を引っ張った。


「何」

「……行くな」

「なんで」

「事情が変わった」


 事情が?

 真意が分からず慎司を見ると、彼はまたあの好奇心に満ちた子供の目をしていた。


「……アレだ。真ん中で蹴られてるアイツ。お前も見てみろ、今ならよく見えるから」


 頷き、恐る恐るリンチの被害者に目をやる。途端に「あ」と小さく声が出た。


 蹴られているのは、薄汚れた黒い服を着てぼうぼうに髭を生やした浮浪者だった。だぼだぼの服は、地面で擦り切れたせいか裾がほつれてしまっている。

 ……けれど、それだけじゃない。

 僕は、湧き上がる恐怖を抑えようと唇を噛んだ。


 ――彼のその姿は、僕の脳内であの白い浮浪者と重なって見えていたのだ。


「景清も気づいたか」

「……」

「だが、まだ見るべき点は残っている」


 低い体勢に戻った僕に、慎司は顔を寄せる。


「あいつは少し小柄だな。あれぐらいの体格の人間なら、体重は五十キロからその後半といった所だ。普段から力にモノを言わせることを生業としているアホであれば、余裕で蹴り動かすことのできる重さだというのに……」

「……体が、全然動いていない」

「そう。死体ですら反動で動くのに、だ。つまりあれは――」


 興奮を一呼吸置いて冷まし、彼は続ける。


「――とてつもなく重たいんだ。人間では、到底ありえないほどにな」


 もう少し見ていようぜ、と弾む声が言う。

 僕の肩を掴んだ手は、ほのかに温かかった。

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