第10話 カウントダウン
「何、私の死体が上がっただと!?」
「うわぁぁぁぁぁ!?」
勢いよく駆け込んできた人物に腰を抜かしかけた。落としそうになったスマートフォンを握りしめ、僕はまじまじと彼の姿を見つめる。
「どうして!? え!? なんで死んでないんですか!?」
「なんかすごい罵倒を浴びせられた」
「あ、阿蘇さん、一体これどういう……!」
今し方信じられない情報を伝えてきた阿蘇さんに、その真偽を確認する。いや、真偽も何も目の前にピンピンしてる曽根崎さんがいるんだけど。
――区内のとある河川敷で、曽根崎さんの死体が発見された。
警察官である阿蘇さんが僕に告げたのは、そんな内容だったのである。
『……そうか、そこにも兄さんはいるんだな』
阿蘇さんの声はこわばっている。
彼と電話している事に気づいた曽根崎さんはスマートフォンを自分によこすよう手振りで訴えたが、僕はそれを拒否し会話を続けた。
「はい、どこからどう見てもいつもの曽根崎さんです」
『……。だが、俺も直接死体を確認した。あれは確かに……兄さんだったと思う』
「思うって……」
『とにかく、俺は今すぐにはそっちに行けない。一旦電話は切るが、くれぐれもそこにいる兄さんが本物と分かるまで油断するんじゃないぞ』
「え、いや、阿蘇さん!?」
慌ただしく電話は切れてしまった。もはや何のやり取りも繋がなくなったスマートフォンを下ろし、僕はギュッと胸元を掴む。
――本物と分かるまで、だと?
掴んだ服の真下にある心臓は、さっきとは違う恐怖に大きく脈打っていた。
「……景清君?」
背中から彼の声がする。低くて淡々とした、いつもの彼の声が。
だけど、今の僕には振り返ることができない。
――言われてみれば、そうなのだ。
曽根崎さんの死体が見つかったのである。ならば、今僕の後ろに立っている人が、昼まで一緒だった曽根崎さんである保証なんてどこにも無いではないか。
いや、もしかしたら人間であるかどうかすらも――。
黙ったままの僕に、曽根崎さんは困ったようなため息をついた。
「……答えなくても分かるよ。君は、私を偽物じゃないかと疑ってるんだな」
「……」
「私自身はちゃんと本物のつもりだけどな。それを証明しろと言われると難しい。……が、そうだな……」
足音が、僕の背後から次第に遠ざかっていく。彼は事務机に向かったようだ。
「? 曽根崎さん、何を……」
つい声をかけてしまう。曽根崎さんはその長身を折り曲げ、ガサゴソと何かを探しているようだった。
「……一つ、君に私が曽根崎慎司であるという証明する方法を思いついた」
彼の動きが止まる。
その右手には、ハサミが握られていた。
何をする気だ? 戸惑う僕に、曽根崎さんはあっさりと言い放つ。
「――さて、少し血が出るが、あんまり驚くんじゃないぞ」
そして僕が止めるより先に、彼は自分の左肩にハサミを突き刺したのである。
『……よく分かったな。確かに、死体の兄さんも左肩に傷を負ってたよ』
曽根崎さんの傷の手当てを終えた僕は、再び阿蘇さんに電話をかけていた。今度は設定をスピーカーフォンに変え、曽根崎さんも会話に加われるようにしている。
オッサンは阿蘇さんの言葉を聞くと、「ほらな?」という顔で僕を見た。
「これでここにいる私は本物と証明されただろ」
「どういうことです」
「死体にある肩の傷は先ほど私がつけたばかりの傷だ。となると、少なくとも死体の存在由来は現在の私にあるという裏付けになる」
「……えーと、それはつまり、ここにいる曽根崎さんが傷ついたから、死体も傷ついたってことですか」
「そうそう」
曽根崎さんは満足げに頷いた。
……いや、なんでそんな顔ができるんだよ。それって要するに、発見された死体もしっかり曽根崎さんってことじゃん。えらいことだよ。
僕は阿蘇さんにも聞こえるよう声のボリュームを上げて、曽根崎さんに確認する。
「でもおかしいでしょう。今ここで曽根崎さんが生きてるってのに、どうして死体が現れたんですか」
「そのヒントは教授が教えてくれる。そうだろ、忠助?」
『ああ』
呼び掛けられた阿蘇さんの声は酷く憔悴しており、あまり張りが無かった。
『実は今日、和井教授の死体も隣の区で見つかってな。検視の結果、彼は死んでから四日経っているとわかった』
「え? でも阿蘇さんが教授を見たのって昨日でしたよね?」
『そう。だから三日のタイムラグが出ていることになる』
「……曽根崎さんの死後経過日数はどれくらいだったんですか」
『そっちは今日死にたてのホヤホヤだよ。通りがかった人が物音に気付いて通報したらしい。死因は高所からの落下による全身打撲やら内臓破裂だったから、きっと地面にぶつかった時の音が聞こえたんだろうな』
阿蘇さんの言葉に思わずその光景を想像し、僕はブルリと震えてしまった。頭を振ってイメージをかき消し、情報を整理する方向に脳を切り替える。
……昨日穴に落ちたはずなのに、死後四日で発見された教授。
そして、今ここで生きている曽根崎さんがいるにも関わらず、今日高所から落ちて死んでしまったというもう一人の曽根崎さん。
タイムラグと、同時存在の矛盾。それに常識では考えられない力の存在が加わった時、導き出される答えはあるのだろうか。
――考えていた僕の頭に、ピンと一つの解が浮かんだ。
「……曽根崎さん」
また、無意識に拳を握りしめていた。傷になっていた手の平に爪が食い込み、強く痛む。だけど、そんな痛みでも無ければどうかなってしまいそうだった。
そんな僕を、曽根崎さんは無表情に見下ろしている。
「うん、君も気づいたようだな」
「でも、そんなことがあるわけ……!」
「あってもおかしくないだろ。穴の近くまで寄った忠助曰く、周辺は時間の流れが歪んでいたんだ。ならばいざその穴に人間が落ちた時、君の想像する通りのことが起こったとしてもおかしくはない」
その指摘に、頭から水をかけられたように体が冷えた。
それでもやっとの思いで、僕は彼に解を投げる。
「それは……過去に……戻ってしまうと……?」
「そう」
あっさりした肯定に、息が止まった。
それが何を示唆するか、当然彼には分かっているのだろう。
だというのに、なおも曽根崎さんは他人事のように淡々と答え合わせをしていく。
「思うに、穴に落ちた人間は、三日前にその体を飛ばされてしまうんだ。だから昨日死んだ教授は死後四日が経過しており、私の死体は今出現した。故に……」
その先を聞きたくなかった。聞けば、瞬く間に現実になってしまうのではないかと思えたからだ。
だが、そんな僕の空虚な悲鳴が曽根崎さんに届くはずもない。
彼の声は、平然と僕の胸を貫いた。
「――三日後、私の命は穴に落ちて潰えることになる」
――その結論は、僕が最も恐れる事態へのカウントダウンでもあった。
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