第5話 ミートイーター
ミートイーター。
それが、ライト・アンソニー博士によって付けられたその植物の名前だった。
南米アマゾンの奥地で発見されたミートイーターは、一見すると多肉植物の形によく似ていた。しかし肌色をした葉の組織の一部を観察した結果、驚くべきことに動物細胞のみで構成されていると判明したのである。
ライト博士の私見にはなるが、動物の中でも特に人間の細胞によく似ていたという。
より詳細なデータを取ろうと植わっていた土ごとミートイーターを持って帰った博士だったが、それがその後成長する事は無かった。水や肥料を与えても同じことで、日に日に植物は萎れていったのである。
そこで酔狂なライト博士は、もしやと思い自らの腕を傷をつけ、そしてそこに植物の根を沿わせてみた。
すると、ミートイーターはみるみるうちに彼の腕に根を張り、生気を取り戻した。博士は困惑しつつも、やはりこれは肉に寄生する植物なのだと確信した。
実験も済ませ、博士は植物を腕から引き抜こうとする。
だが、それは叶わなかった。
植物は体に張り付いており、無理に引き剥がそうとすると拒むように肉や血管を千切っていったのだ。
満足な治療を受けられる場所が無かったからか、もしくは植物を枯らせるのを躊躇ったからか。結局博士は、それをそのままにしておこうと決めたらしい。
そして博士は、研究助手として日本にいる自らの盟友を呼び寄せる。彼と共にミートイーター解明のため研究を深めていきたいという言葉と共に、博士のレポートは締めくくられていた。
「――だからそれ、絶対植物じゃないでしょ」
半ば無理矢理見せられたミートイーターの図に顔をしかめ、隣を歩く曽根崎さんにそんなツッコミを入れた。
朝、曽根崎さんと藤田さんに食事を与えた僕は、雇用主の「午前中だけ調査に付き合ってくれ」との頼みを引き受け、外に連れ出されていたのである。
僕の発言になんだかふてくされている曽根崎さんは、ぶっきらぼうに返した。
「そんなこと言われても知るかよ。私は植物方面に関しては殆ど知識が無いんだ。このレポートだって、藤田君やらインターネットやらに意味を解説してもらいながらやっとこさ読んだくらいで」
「へぇ。曽根崎さんにも分からないことってあるんですね」
「……五年くれ。そうすれば学会でひとかどの人物になってみせる」
「負けず嫌いもここまで来ると見応えがあるな……」
一から始めて五年じゃ無理だろ。
ところで、曽根崎さんは今から調査に行くって言ったけど……。
「……これから僕ら、大学に行くんでしたっけ」
「そうだよ」
「……今回、曽根崎さんが偽る予定の職業は?」
「新規刊行環境専門雑誌『ネイチャービーム』の記者」
「そこですよ! 専門知識無いのに大丈夫なんです!?」
「なに、インタビュー予定の教授本人は既に死んでるんだ。そう知識が入り用になる展開など無いだろう」
「アンタほんと世の中舐めすぎだと思うんですよ」
僕は長いため息をついて、曽根崎さんに尋ねた。
「……で、記者になりすましてまで、例の教授の大学に潜入する目的は何ですか? 何か解決の糸口のアテがあるとか」
「むしろアテ探しだな。キーとなるレポートが手元にあるとはいえ、分からないことが多過ぎる。なのにでかい穴は開くわ、目から植物が生えてくる人間は出るわ、エゲツない事件は二つも起きてるときた。これの発端がどこにあるのかは分からないが、とにかく今は動いて糸口を見つけねばならない」
「わかりました。……教授に植えられたタネを引き金に、日本でミートイーター大パンデミックというオチにならなきゃいいんですけどね」
「可能性は無くはないぞ。ま、そうなったらやる事は一つだが」
「え、何か手立てがあるんです?」
「海外逃亡」
「母国見捨てた!」
そうこうしている内に
「
相変わらず、不審な見た目から嘘みたいな饒舌である。一応、外出間際に「流石にそれは」とボサボサ髪を整えるだけはしてやったので、いつもよりマシかもしれないが……。
「……なんと、和井教授は無断欠勤中ですか? いや困りましたねぇ、必ずご寄稿いただくというお話だったのですが……。恐れながら、三十分ほど待たせてもらっても構いませんか。もしやという事もありますので」
なんやかんやと事務職員を言いくるめ、大学構内に入る許可を取り付けたようである。超絶権力者である田中さんや警察である阿蘇さんの力を借りれば早いのだろうが、今回の事件はまだ死体すら見つかっていない不明瞭極まりなさだ。彼らの力を借りられるほど事件が表面化する前に、先に動こうと曽根崎さんは判断した。
「よし、トイレ行くか」
待合所として用意された空き講義室に通されるや否や、行動を開始する。口ではそう言うが、向かう先は和井教授の部屋だろう。
「僕もついていった方がいいですか?」
「そうだな、私一人では迷子になるかもしれん。一緒に来てくれ」
「分かりました」
そうして、二人で講義棟内を探索する。首から許可証をぶら下げているからか、通りすがりの学生に教授室の場所を聞いても怪しまれることはなかった。
その中で、運良く和井教授の研究室に所属する学生を捕まえることができた。この機を逃す手は無いと思ったのだろう。教授室までの案内を申し出てくれた彼に、曽根崎さんは遠慮なく話しかけていた。
「和井教授が無断欠勤しているというのは本当ですか?」
「いや、俺はあんまりその辺り知らなくて……」
「弱ったなぁ。せっかく鳴り物入りで刊行される雑誌なのに、穴が開いてしまうとは。君、何か原稿について聞いていませんか?」
「残念ながら……」
「電話では殆どできていると聞いていたんですがね。……ああ、そうだ」
曽根崎さんは、白々しくポンと手を打った。
「図々しいことをお願いしているのは百も承知なのですが、一度教授の机を見てきていただけませんか? 勿論、私は外で待っておりますので」
「え……机の上ですか?」
「可能であれば、机の中も。原稿があればしめたものです。強引な手ではありますが、教授の記事は雑誌の目玉でして、どうしても逃したくないんですよ」
長身を折り曲げて、深々と頭を下げる。それを見せられて心が動いたのか、学生は少し迷った後、肯首し教授室に入っていった。
しかし、そんな架空の原稿などあるはずもない。この人は何を狙っているのだろう。
「……すいません。見当たらないのですが」
しばらくして、申し訳なさそうな声が聞こえてきた。それに曽根崎さんは、部屋に頭を突っ込んで返す。
「そんなに大きなものではないと思います。……ああ、彼の性格を考えれば、添削前提で長く書いているかも? 封筒に入っているかもしれません。私曽根崎というのですが、私宛の封書など……」
「ちょ、ちょっと分からないので、一度こちらで見てもらえませんか?」
彼の要請に、曽根崎さんは僕を見てニヤリとした。なるほど、最初からこれが目的だったらしい。悪い顔をする三十路である。
「お手数をかけて申し訳ない。小林君、君はここで待っていてくれ」
いつのまにか小林君になっていた僕は、「はい」と短く返事をしその場で待機することにした。
「……和井教授はなかなか雑な方だったんですね。こんなに散らかして……。ではちょっと失礼」
「その辺りはもう探したんですが……」
「もしやということもありますから。……おや、この封筒……これはエアーメールでは……」
「そこで何をしている!?」
中の会話に耳を澄ませていた僕は、突然真後ろで聞こえた野太い声に飛び上がった。振り返ると、少し腹の出た壮年の男が仁王立ちでこちらを睨みつけていた。
マズい、ここの教員の一人だろうか。僕は動揺がバレぬよう、先ほどの曽根崎さんの如く深く頭を下げた。
「す、すいません! 僕らは四方竹出版の者なんですが、和井教授に用があって……」
「和井教授は今日も出勤していません。事務を通してきたならそれを聞かされたのでは? にも関わらず、何故あなたがたはこの部屋にまで侵入しているんだ。場合によっては警察に……」
「なんです、和井教授は今日 “ も ” 出勤されていないんですか? てっきり遅刻しているだけのことと思い、構内で待たせてもらっていたのですが」
あわあわとする僕を押しのけ、曽根崎さんが現れた。威圧感のある長身の男に、僕より背が低い彼は「うっ」と一瞬怯む。
「和井教授は、本日私と重要な約束を交わしていたのです。まさか違えるはずは無いと待たせてもらっていたのですが、何日も留守となれば話が違ってくる。彼はどこに行っているのです?」
「そ、それは知らない。私もおとといの学会で会ったのが最後で……」
「そうなんですね。二日も無断欠勤するようでは、今日中に会えるとは思わない方が良さそうだ。ありがとうございます、では私は記事の穴埋めに急ぎます。小林君、お暇するとするよ」
「え? あ、はい!」
自分が小林君だということを忘れていたので、反応が遅れてしまった。……曽根崎さんのお陰で、ギリギリ通報されずには済んだだろうか。廊下を走る三十路の背中に追いつき、小さく謝る。
「……すいません。僕がちゃんと見張っていれば、もう少し調査できたかもしれないのに」
「同じことだよ。むしろ君がクッションになってくれたからこそ、多少調べる時間ができた」
「あんな短時間で収穫があったんですか?」
「まあ、一つな」
そう言う曽根崎さんの指には、一枚の封筒が挟み込まれている。
泥棒だ!
「泥棒じゃない。びっくりした拍子にうっかり指に挟まってしまっただけだ」
泥棒もしないような稚拙な言い訳だ!
「うるさい。いいからほら、ここんとこ見てみろ」
人気のない場所まで来た曽根崎さんは、僕にエアーメールを差し出す。……一見何の変哲も無い封筒だ。ハサミで丁寧に開けられており、反対側もしっかりテープで止められていて……。
……ん? テープ?
「うむ、君も気づいたな。――そう、こいつは不自然にも、一度反対側から開けられた形跡があるんだ」
「でもこんなの、普通受け取った側も気づくでしょ」
「気づかれて指摘されたら、間違えて開けてしまったとでも言うつもりだったのかもな。とにかく、これで一つ取っ掛かりができたぞ」
曽根崎さんは人差し指を立てて、妖しく笑う。
「――少なくとも一人、この不気味な新種植物・ミートイーターについて知ってしまったヤツが、教授と我々以外に日本にいる」
それが何を意味するのか。まだ僕には皆目見当がつかなかったが、曽根崎さんの迫力になんとなく頷いてしまったのであった。
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