第3話 何かの影
「ンだよ無事じゃねぇか!!」
「な、何が!?」
息を切らせて自分の部屋に戻ってきた阿蘇は、菓子パンを貪り食べていた藤田の前で崩れ落ちた。
……てっきり、あの男よろしく植物ゾンビになっていると思ったのである。それが自分の思い過ごしだと分かり、阿蘇は胸をなで下ろした。
つーかそのパン俺のだよな? 勝手に食うなや。
「いただいています」
うるせぇわ。
変わらぬ藤田の様子に脱力しつつも、阿蘇は手を洗う為に洗面台へ行こうとする。
が、その前に不審げな顔をした藤田に引き止められた。
「……阿蘇、今朝ヒゲ剃った?」
「剃ったけど、なんだよいきなり」
「めっちゃ伸びてるぜ。鏡見てみ?」
言われて、見てみる。確かに、鏡の中の自分は一週間ほど剃らなかった時の髭面になっていた。
「なんで?」
「オレが知るわけないだろ。竜宮城に短期留学でもした?」
「してない」
「冗談に決まってるだろ。なんで真顔で返すんだ」
ツッコミを無視して阿蘇は丁寧に手を洗う。タオルでよく拭いた所でさて戻ろうかと顔を上げると、整った顔立ちの男と鏡越しに目が合った。
「……何」
「いや、男前だなあと思って」
「あ?」
「お前さぁ、ただでさえ異常に同性モテするってのに、ヒゲまで生やしたらもう死ぬぞ。外に出た瞬間、百人の男に迫られて圧死だ。早く剃れ。どうなっても知らねぇぞ」
「お前が何を言ってるのかさっぱり分からん」
ヒゲを抜こうと手を伸ばしてくる藤田を蹴飛ばし、とりあえずヒゲを剃る。原因は分からないが、あるとすればあの穴の存在だろう。
……やはり、ただの穴ではなさそうだ。
「そういやさ、さっきの地震、結構揺れたよなー。阿蘇は大丈夫だった?」
一方の藤田はといえば、阿蘇が急いで帰ってきた理由を地震のせいだと解釈しているらしかった。
阿蘇は大きく息を吸い込んで、ベッドに座る。
「俺は平気だったけど、外はヤベェことになってたぞ」
「え、何。そんなに被害出てたの」
「おう。でっかい落とし穴ができてた」
「地盤沈下?」
「かもなぁ」
俺の言葉を受け、早速藤田はテレビをつける。
なぁ、ここお前の家かな?
まあ元家ではあるのか。
「……ニュース、地震があったとは言ってるけど、地盤沈下の話は全然してないぜ」
カチカチとチャンネルを変えながら、藤田は不思議そうに言う。そうだろうなと予想していた阿蘇は、さほど驚くこともなかった。
――藤田の話と、レポートのコピーと、見えない巨大な穴と、瀕死の男から生えてきた植物。
想像の遥か上をいく事ばかり起きてしまってこんがらがる頭を、がくりと落とす。早く兄の元に行かねばならないと分かっているのに、そこに行けばまた日常が壊れてしまうと自分の脳が警告を発していた。
できることなら、こうしている間に全てが終わってくれないものか。
「……阿蘇?」
そんな自分の異変に気づいた藤田が、床に座ったまま顔を見上げてくる。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「そんな風には見えないけどね」
「そうかねぇ」
「そうですよ」
ヤツは二つ目の菓子パンをかじり、頷いた。
オイいつの間に新しいの開けたんだ。だから俺のだぞそれ。
懸念することに疲れ、見慣れた顔をしばしぼーっと眺めていた阿蘇だったが、あることに気づき藤田の頭をガシリと掴んだ。
「ちょ、なんだよ!?」
「動くな。俺の目を見ろ」
「……え、いや、なんで?」
「いいから。まばたきもするな。黙って俺の目ェだけ見るんだ」
「……わ、わかった」
ただならぬ阿蘇の剣幕に、藤田は大人しく従う。その間、阿蘇は彼の目に自分の目を近づけて中を注視した。
ごく一般的な日本人の目だ。焦げ茶色の瞳に、睡眠不足が尾を引いているのか多少充血している。
その、奥に。
――阿蘇は、何か別の影を見た気がした。
「……藤田」
「は、はい」
「お前、例の教授といた時に妙なことされなかったか」
「妙なこと?」
頭を捻ろうとするが、阿蘇に押さえられている為わずかしか動かない。最初は何とか思い出そうとしていた藤田だったが、段々とその目に恐怖の色が帯びてきた。
そして、ぽつりと呟く。
「……分からない」
「分からない?」
「覚えていないんだ。オレ、パーティーで教授から植物の話を聞いて、説得しようと思って……。それから、オレはどうした? なんで、オレはこのレポートを持ってるんだ?」
当惑する藤田の顔を、阿蘇は強引に上げさせる。
「落ち着け。お前今朝俺に言ってたろ? 教授とアレコレ致してる隙をついて盗んできたって」
「そうだと思ってた。でも、 “ そうした ” 気はするのに、肝心の記憶が無いんだよ」
肝心の記憶が無い?
どういうことかと怪しむ阿蘇に、藤田は説明をする。
「昨日のオレは、酒も入っていなかった。だから、忘れるはずがないんだ。あんなことやこんなことをしたなら……!」
「でけぇ声ですげぇ事言ってんな……」
「……なぁ阿蘇。なんでいきなりそんな事を聞いてきたんだ。お前、オレの中に何か見たのか?」
藤田の問いに、阿蘇は言葉を詰まらせた。だが、黙っているわけにもいかない。
阿蘇は迷いを振り切ると、藤田の肩を掴んだ。
「藤田。落ち着いて……聞けよ」
「……」
そして阿蘇は、自分の見たものの一部始終を彼に語って聞かせていった。
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