第12話 繋がる

 どうやってそこにたどり着いたのかは分からない。気づくと僕は、曽根崎さんらが事件現場から出てきた所に出くわしていた。

 水晶で曽根崎さんを見るには、もっと近づかなければならない。夢の中にでもいるかのような心地で、ふわふわと僕は人気の無い道を進んでいた。


「――!」


 曽根崎さんがこちらに向かってくる。

 都合がいいな。今の僕は走れそうにないから。


「景清君! 何が起こった! 何を見た!?」


 両肩を掴んできた曽根崎さんの真っ黒な瞳に、髪の長い僕の姿が映り込んでいる。僕は、彼をなんとか安心させようとして言った。


「大丈夫ですよ」


 納得してくれたのか、彼は僕から手を離した。更に安心させるべく、僕は鈍い頭を回して彼に言い聞かせる。


「大丈夫です、大丈夫。……僕が、ちゃんと見ますから。あなたを、僕は、見なければ」


 ああ、うまく話せない。これでは彼に伝わらない。僕は救わなければならないのに。そうでないとここにいてはいけないのに。


 何故だか、急に泣きそうになった。


「だから、どうか、曽根崎さん……」


 だけど、そうして次に出てきた一言は、彼の身を慮るものでもなんでもない、ただ自分のエゴから来る懇願であった。


「――」


 驚いたことに、それを聞いた曽根崎さんは、黙って頷いてくれたのだ。


 だから僕は、ポケットの中に入れていた水晶を彼の前に掲げて――。



 ――。



 ……。



 ……あれ?


「え?」

「え?」


 僕の困惑と曽根崎さんの疑問が重なる。


 僕の手に、例の水晶は無かった。

 それもそのはずだ、水晶は僕のズボンのポケットに入っているのである。


 ワンピースに着替えさせられ、未だそれを脱げていない僕が、持っているはずがなかった。


 ぼんやりとしていた脳が、スッと冷えた。


「……」

「……」


 無表情に僕を眺める曽根崎さんに、片手を挙げる。


「それでは」

「待て待て待て待て」


 逃げようとした僕は、リーチでは勝る曽根崎さんに腕を掴まれた。


 いや、無理無理無理無理。今は無理。色々無理。


「ちょっと用事を思い出したんで……」

「嘘つけ! その格好でこなせる用事ってなんだよ!?」

「女装バーの面接受かったんで行ってきます」

「尚更行かせられるか! うちの事務所は副業禁止です!」

「本業は学業だよ! 事務所のバイトこそ副業だ!」

「よーしよしよしいつもの景清君になってきたぞ。その調子だ」

「ぶっ飛ばすぞ!」


 いや、いっそぶっ飛ばされたいのは僕の方だ。気絶でも何でもいいからこの状況から逃れたい。助けてくれ。


 両手で顔を覆う僕に、情け容赦無く曽根崎さんの平坦な声が飛んできた。


「……それで、あんなこと言って私に何しようとしてたんだ」

「もう思い出させないでください。死にたくなる」

「そう簡単に死ぬ死ぬ言うんじゃない。気持ちは分かるが」

「……曽根崎さんの、過去を見ようとしてたんです」


 両手の隙間から言葉を漏らす。なんとなく、曽根崎さんが不審に目を細める気配がした。


「過去を見る?」

「曽根崎さんが奈谷さんと抱き合ってたあの廊下で、手のひらに収まるぐらいの水晶を拾ったんです。で、それを事務所で曽根崎さんに掲げてみたら、若い時の曽根崎さんが見えて……」


 僕は、当時の状況とその後に起きた黒い男との顛末をザックリと話した。話が進むにつれて段々と曽根崎さんの怒りのオーラのようなものが膨れ上がっていくのを感じ、最後はもう顔を上げるに上げられなくなってしまっていた。


「へぇ」


 一言だけの反応が、逆に怖い。


「じゃあ君はアレか。私が何か隠しているのを暴こうとして、その過去視ができる水晶を使おうとしたわけか」


 低く沈んだ声だった。

 急いで頭を下げて謝ろうとしたが、その刹那見てしまった曽根崎さんの予想外の表情に、僕の全ての動作が縛り付けられる。


「……すまなかったな」


 彼は、沈痛な面持ちで、僕を見ていたのだ。


「私が、もっとちゃんと君の話を聞けていれば良かった。いや、そもそも最初から伝えておくべきだったんだ。君に余計な心配をかけまいと思ってのことだったが、こうして逆効果になってしまうなら意味が無い」


 謝罪する曽根崎さんに呆気にとられていた僕だったが、正気に返り慌てて否定する。


「いやいや、謝るべきは僕の方ですよ! 僕が曽根崎さん引きずり倒してでも言っておくべきだったんです! それに、曽根崎さんを過去視しようとしたのも、元はといえば僕の心の弱さが原因ですし……」

「そこは黒い男のせいだろう。あまり気に病むな」

「だからって……!」


 自責の言葉は、洪水のように喉までせり上がってくる。だが、今は何を言ってもこの雇用主に優しく返されそうで、それを望まない僕は全て胃の中に押し戻した。


 どうしようもなくなり、代わりに深く頭を垂れる。


「……すいません、曽根崎さん」

「……景清君、後で話そう。私もちゃんと君と話したい」

「はい」


 ひとまずの決着がついた所で、それまで遠くで様子を見ていた一人の警察官が走ってきた。

 その姿に、僕はつい曽根崎さんの影に隠れる。


「え、どうした君」

「いや、なんか阿蘇さんの前に出るの恥ずかしくて……」

「なんでだよ」


 そうこう言っている間に、阿蘇さんがやってくる。流石警察官、このくらいの距離では息も切れないらしい。

 彼は曽根崎さんの前に立つと、背中に潜む僕を心配そうに覗き込んできた。


「景清君、大丈夫か?」

「う……はい」

「なら良かった。でもこんな時間だ、外出は控えとくべきだったぜ。今の君、男に狙われてもおかしくないぐらい可愛いんだから」

「うわあああ」


 うわあああああああああああ。


 だから会いたくなかったんだよ!!


 しかも大真面目で言っているのが、この人のタチの悪い所である。


 曽根崎さんの体を盾に阿蘇さんから逃げる僕だったが、二周目あたりで冷たい右手にぐいと頬を挟まれた。

 曽根崎さんである。濃いクマを引いた鋭い目が、僕を見下ろしていた。


「……気に入らんなぁ」

「な、なにがでひゅ」

「君、どうして私と忠助でそんなに態度が違うんだ。え? コラ」

「いはいいはい、やめろしょねひゃひ」

「兄さん、男の嫉妬は見苦しいぞ」

「バカ嫉妬なもんかコレが。単純に弟への対抗心だよ」

「それを嫉妬っていうんじゃね?」


 時々子供っぽい人である。

 力尽くで手をどかせ、改めて阿蘇さんに顔を向けた。


「心配かけてすいませんでした。事務所で留守番してたら黒い男に出くわし、水晶で曽根崎さんを過去視するよう誘導させられたんです」

「うわ、またアイツが出たのか。……で、過去視できる水晶って?」

「占い館で拾ったものです」

「兄さん」

「ああ、恐らくは例の容疑者が落としたものだろう」

「本人に突きつけてみるか。景清君、今それ持ってるか?」

「ズボンのポケットに入れたまま忘れてたんで、事務所にあります」

「忘れ……マジか」

「取りに帰ってから彼女を訪ねるべきだな。少し遠回りになるが、仕方ない。忠助、すぐに車を出して……」


 言いかけて、突然曽根崎さんは動きを止めた。それから顎に手を当て、何やらブツブツと呟き始める。


「……そうか……だからあの時初めて彼女は視線を感じて……」


 胸がざわめいた。彼がこんな目をする時は、決まって何かとんでもないことが起こっている時なのだ。


「――まずい」


 顔を上げた曽根崎さんの顔は、真っ青になっている。


「忠助! 今すぐ柊に電話して、光坂さんの元へ行くように伝えろ! 私は光坂さんに連絡を取る! 景清君は、タクシーを手配してくれ!」

「な、なんだいきなり! ……柊だな? なんて言えばいい」

「光坂さんが危ない。一刻も早く彼女の家に行き、事務所と占い館以外の場所に連れ出すように言え」

「分かった」


 早口で会話する二人をよそに、スマートフォンすら置いてきた僕は道路に出てタクシーを止めた。幸い、すぐに一台のタクシーが捕まる。


「……繋がった。やっと、全ての点が一本の線に繋がったんだ」


 曽根崎さんを呼びに来た僕に、呼び出し音が延々と続くスマートフォンを耳に当てた彼は、うわ言のように言った。


「彼女は、ずっと光坂さんを見ていたんだ。彼女のいる空間に、見えない覗き穴をいくつも作ることで」

「……はい?」


 相手の出ない電話に舌打ちし、曽根崎さんは阿蘇さんを見る。阿蘇さんが指でオーケーサインを作ったのを確認すると、彼は僕の腕を掴みタクシーに乗り込んだ。


 押し込まれたタクシーの中で、僕は彼が出した結論の意味を考えていた。

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