第46話 師匠
その建物、もう館とよんでも遜色ない立派な構えなのだが、どこかしら暗いとも違う、ゾワゾワとした雰囲気をたたえていた。
江奈は、そんな館に軽い足取りで近づくと、勝手知った様子で鍵を開けて中へと入っていく。
すぐあとに続く俺。
入り口を入ると、吹き抜けのホール。中央アジア特有の、東洋と西洋の様式が絶妙に混ざりあった室内の様相。
そこかしこに見られるオリエンタルな雰囲気は、芸術的センスなど皆無の俺にも、不思議な感傷を呼び起こす。
「ただいま帰還しましたー。」
江奈の普段よりも一段明るい声が、館に不釣り合いに響く。
「はいはい。江奈か、おかえり。」
流暢な日本語を話しながら、杖をついた初老の女性がホールの階段を下りてくる。背筋の伸びた、静かな威厳さえ醸し出している女性。
「師匠ー。」
勢いよく階段を駆け上がり、その初老の女性に抱きつく江奈。
(あの江奈が、子供みたいだ……。)
俺はそんな江奈の様子に驚きの視線を向ける。
江奈に抱きつかれた初老の女性も顔を僅かに綻ばせている。そうすると、巌のような厳しさが一気に払拭され、二人の間に確かに存在する絆が、目に見えるようだった。
「ほら、江奈がわざわざここまで連れてきたんだ。大事なお客様なんだろ。放りっぱなしにしてないで、早く紹介しておくれ。」
初老の女性が抱きついたままの江奈に促す。
「はい、師匠。」
抱きつくのを止めた江奈が初老の女性の手を取り、共に階段を下ってくる。
(どうやら右足が悪いみたいだな。)
姿勢を正して待ち受ける俺。
階段を下りきり、こちらを向く江奈。
「師匠、こちらは朽木竜胆。私の……まあ、その、大事な友人です。」
後半早口になって俺を紹介する江奈。俺が江奈の顔を伺うと何故か目が合い、軽く睨まれる。そのあと、恭しげに江奈は初老の女性の方を手で示し口を開く。
「クチキ、こちらが私の師匠にして、ガンスリンガーを統括する9人のナインマズルの2位 一射絶魂(ワンショットアセンション)のマスター・オリーブハイブ。」
江奈のマスター・オリーブハイブを紹介するその声は、どこか誇らしげだった。
「そんな大したもんじゃないよ。年取って肩書きが増えただけさ。」
飄々と答えるマスター・オリーブハイブ。
その差し出された右手にたいし、俺も急いで右手を差し出す。
優しく、しかし力強く、マスター・オリーブハイブは握手をしてくる。
「良い手だ。だが、少し喰われてるね。」
そんな呟きが聞こえたと思った瞬間、急に手首を返してくるマスター・オリーブハイブ。
杖がひらりとまるで風のように薙ぎ払われる。
俺はまるで合気道の空気投げをかけられたかのような、不思議な飛翔感を伴う感覚に襲われる。
それは、ふわりとした感覚。
気がついたときには反転する天地。
次の瞬間、全ての動きが急にゆっくり流れ始める。
(ああ、これはあれか。ダンジョン最深部で巨大なスライムと遭遇した時。まだ、イド生体変化でデータ処理器官を作る前に鑑定を使った時と似ている。そう、頭の中のギアが一段上がった感覚。)
俺はのんびりと重力軽減操作をかける。ついでにもう1つ、スキルを発動させておく。
反転した視界の中、江奈がニヤニヤ笑っている顔がマスター・オリーブハイブ越しに見える。
(エナさん、絶体面白がってるよ、あの顔は。どおせ、通過儀礼とか言うんだろうな)
全てが緩やかに動く世界。俺は小まめに重力軽減操作を体の各部に使い、マスター・オリーブハイブの意図する軌道から、自身の重心をずらしていく。
(この、世界の速度を置き去りにした状態。前は極限状態で、起きた。一度経験したことで、起きやすくなった? それとも、意識下のどこか、そう、本能に根差す部分で俺は目の前の相手が、同じくらいの生命の脅威だと認識しているってことかな。)
そう思い、体をゆっくり空中で捻りながら蹴りを繰り出しながら、マスター・オリーブハイブをまじまじと見る。
(……わからないな。ただ、ゾワゾワする。)
俺の繰り出した蹴りは軽くマスター・オリーブハイブの操る杖に絡め取られる。一気に膨れ上がるマスター・オリーブハイブの気配。
(ああ、この建物見た最初のゾワゾワした感じは、マスター・オリーブハイブの殺気か。)
ようやく発動する、飛行スキル。
(重力軽減操作と同時に使ってこのタイムラグはなかなか致命的だよね。)
飛行スキルで一気に離脱した俺。俺の頭が直前まであった場所を、強烈な死の気配を纏った何かが、突き抜けるように通りすぎた。
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