第26話

「お姉ちゃんだ!」


 シシルの見上げた先には三階建ての家屋があり、その壁に取り付けられた長い梯子の途中にリルハがいた。松明を片手にスルスルと梯子を上っている真っ最中だ。

 この家の屋根の上に彼女の配置場所であるタライのような粗末な見張り台があった。

 シシルがもう一度呼びかけるとリルハがこちらに顔を向けた。


「シシル? と、昂雅様まで? どうして――っ、え!?」


 門の方でまたも大きな音が轟き、リルハの頭上、家屋の屋根を越えて何かがこちらへ吹っ飛んできた。

 闇夜の中で昂雅は放物線を描き落下するシルエットの正体を即座に見抜いた。


 人だ。


 夜空にくっきりと浮かぶシルエットは間違いなく人、鎧をまとった人間だった。人が向こう側の通りから三階建の家屋を超えて吹っ飛んできた。

 オドと戦っていた街の衛兵だろう。手足を投げ出したままジタバタさせたりしなければ、受け身をとろうとする様子もない。

 意識を失っているのだ。


「まずい!」


 昂雅は驚きながらも素早く兵士の落下点へと駈け出した。

 下っ腹と両腕に力を込め上半身全体で落下してきた兵士をドシッと受け止める。

 普通なら大怪我になりかねない行為だが、ナノマシンで身体強化されている昂雅には容易いことだった。

 もちろん怪我などするわけもない。兵士のまとう鎧の出っ張りが腕に当たって少々痛かったくらいだ。

「おお……!」と、昂雅の行動に窓から様子を見ていた住人達からどよめきが起こった。


「おい、何があった?」


 昂雅は受け止めた衛兵――呪いで顔が大型犬のようになっている――に呼びかけた。

 衛兵は息を詰まらせ白目をむいている。

 見れば男が胴体に装着している鉄甲冑の胸から腹部にかけてがボコリと大きくへこんでいた。棍棒か何か、それもかなり大きいサイズの物で殴りつけられたのだろう。

 このへこんだ甲冑が男の胸から腹を圧迫しているのだ。


 昂雅は男の腋の下の鎧の継ぎ目に指を潜り込ませ力まかせに引っ張った。

 鎧を固定している皮のベルトを引きちぎろうとし、ベルトを鎧につなぐ金具が先に弾け飛んだ。


 鎧を引き剥がすと男は大きく息を吸いこみ、苦しげに咳込んだ。咳の中に唾と血が混じっており、それが口周りの毛に赤い染みを作っていく。

 肋骨が折れて肺に突き刺さっているのかもしれない。

 昂雅がこの男にしてやれることはもう何も無かった。


「大丈夫なのかい?」


 昂雅のすぐそばの窓から老婆が声をかけてきた。その傍らには孫らしき娘の姿もある。蝋燭の明かりが昂雅の顔を照らすと老婆は驚き、孫娘は不思議そうに首を傾げて見せた。


「医者を呼んでくれ」そう出かかった言葉を昂雅は飲み込んだ。

 飛行タイプのオドが上空を巡回している可能性がある。老人や子どもは格好の獲物となるかもしれない。

 老婆が怪我人を中へ入れるように戸口を開けてくれた。


「何が起きているのでしょう? いつもならとうに終わっている頃合いなのですが……」

「空を飛ぶオドが来たらしい。更にもう一匹。家の中にいた方が安全だと思う」


 怪我をした衛兵を戸口に寝かせながらそう伝えると、少女が怯えた顔で老婆にしがみついた。


「心配しなくても大丈夫。すぐに終わらせるから」


 二人に頷き昂雅は広場に戻り、リルハの方を見上げて唖然とした。

 彼女は屋根の上にある見張り台によじ登ろうとしている真っ最中だ。


「何をしているんだ!?」

「向こうの様子を確認してみます! ここからなら安全です!」


 リルハが梯子から屋根の淵へ手をかけた。士気が高いのは結構だが、この状況で正気の沙汰では無い。そう思った後で、彼女は飛行型のオドや死神の使い魔が迫って来ていることをまだ知らないのでは? と気が付いた。

 この世界における非常時の情報伝達手段は口頭、もしくは文書による物だけだろう。現場が混乱しており兵士たちが各所に分散していては情報共有の徹底などまず不可能だ。


「いいから早く降りてこい!」そう叫びかけて、昂雅は夜空を横切るシルエットに気がついた。

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