第20話
「滅びようとしている――か」
昂雅はぼそりとつぶやいた。
「昂雅様にもこの呪いは降りかかりました。森で気を失った時に。全身がみるみる内に赤茶色の毛に覆われて手の形も変形して――」
「ああ、ボンヤリと覚えているよ」
意識を失う寸前、自分の手が膨れ上がり毛で覆われていたように見えたがアレは幻覚じゃなかったワケだ。
「でもその直後、呪いの侵攻が急に止まり体が元に戻り始めたんです。手の形が戻って、毛もあっという間に消えてしまい……。まるで呪いを体から押し出したように。これはここにいる三人全員が目にしています」
リルハの言葉に子供二人が神妙な顔つきで頷いてみせた。
そんなことができる存在は一つしかない。ナノマシンだ。
宿主の生命維持を至上命題とする七千億のオーバーテクノロジーの群れは『呪い』という未知のオカルトからも昂雅を守り抜いてみせた。
ただ、この処理はナノマシンにとってもかなりの負担がかかる物だったらしく、そのために起きたオーバーフローにより昂雅が気絶する事態となった。
彼らに感情があるのならば、さぞかし慌てふためいたことだろう。
「つまり五年経ったいまも『呪い』はまだ地上に蔓延しているわけか。」
昂雅は道端に腰かけている獣化した男を見た。自分はあの状態から映像を逆再生するようにまた元の姿へと戻っていったのだ。頭の中でその様子を想像してみる。
直に目にしたリルハたちにとってそれは奇跡に等しい光景だっただろう。
「呪いをかけた奴に心当たりとかは?」
「候補がありすぎて何とも……。邪神、悪神の存在はラクラッドの教典にいくつも仄めかされていますから」
話しながらしばらく通りを行くと、リルハたちは右側に建つ三階建の木造家屋へ足を向けた。
「こっちです」と、そのまま建て付けの悪いドアを開けて中へ入っていく。中は隅にかまどを据え付けた正方形の部屋で、酸っぱい汗の臭いが充満している。
ここがリルハの家なのかと思いきや、リルハは部屋を横切り奥にあるドアから別の通りに出て行った。
他人の家の中を通り近道にしたのだ。シシルとカティナも当然のように後に続く。唖然としながら昂雅も三人を追いかけた。
「今の家は、空家? それとも知り合いの家?」
「いえ。挨拶くらいなら二度ほどしたことがありますが。両側に入口があるんで皆近道に使ってますよ」
「お、おう」
通り道にすることを住人が認めているのか。確かに盗られるような物は一つも置いてなさそうだったが……、プライバシーとかどうなっているのか。
シシルの言葉にカルチャーショックを受けながら昂雅は三人と一緒に、中を通り抜けた家の前にある石段をのぼり始めた。蛇行して伸びるそれを上がると街の下層部を抜けて白い石造りの家が並ぶ通りとなった。
「街の上層部か」
白い石の壁と赤煉瓦の屋根。
家屋は小奇麗な感じになったが通りの石畳の通りは下と同じようにへこんでおり、道の脇には雑草が頭を覗かせている。
道行く人の衣服もさしたる変化は見られない。通りに満ちる活気も似たような物で、建物が木造が石造りになっただけ街の雰囲気は下層部と差が無かった。
家屋の窓も木窓ばかり。
電柱や電線があるとは思っていなかったが、見える家屋の窓が木の戸を開け閉めするものばかりでガラス窓が一つも見当たらないのは少し予想外だった。
アテイナが昂雅の携帯端末をガラスの板と表現していたので、この世界にもガラスは存在しているようだが、発明されたばかりで貴重品だったりするのだろうか? どれとも大量に生産することができないのか?
知識の乏しい昂雅にはその辺りの判断がつかなかった。
そんな風にさほど重要でもないことを考えていると家屋に囲まれた屋台の並ぶ広場に出た。
学校のグラウンドの半分程度の広さで歪んだ楕円形をしており、中央には二メートルほどの石像が安置されている。ローブを着て円形の盾とランタンを手にした老人の像だ。それを囲むように屋台が並び、いまから夕飯時なのか買い物客と彼らを呼び込む屋台主たちの声で賑わっている。
この広場を囲む建物の中で一際大きな建築物が二つあった。
どちらも四階建てでその白い壁面に大きなタペストリーを掲げている。教会とそのガーデン本部だ。
前者の壁には左側には三本の縦線、右側には角が一本はえた大蛇が描かれた赤いタペストリーが吊るされ、その下に両開きのドアが二つ並んでいる。
扉の間には広場中央に立っている石像と同じものが置かれていた。
「その隣の建物がガーデンの本部棟です」
リルハが指さした建物の壁にはタンバリンのような丸い模様を染め抜いた青いタペストリーが吊るされ、同じ文様を彫刻した金属製の盾が入口である扉の上に飾られている。
その入口の前ではテーブルが置かれて女性二人と、呪いにより狸のような外見となった男が雑談に興じているのが見えた。何かの受付場所のようだ。
このガーデン本部がリルハたちの最初の目的地だ。
リルハは受付の前に行くと声を張り上げた。
「ガーデン見回り組第七班、戻りました。中型オドと遭遇。成果有り!」
「ドゥーム・ダ・ドューグ。泉の方へ。管理長も喜ばれることでしょう」
受付の女性が一礼しテーブルの上から木札を一枚リルハに手渡した。どうやら見回り業務の事務手続きらしい。
リルハを本部の中へと誘うと受付嬢の視線が昂雅に向けられ、狸のような男が昂雅の元へやって来た。
教会の神父らしく、飾り気のない黒一色の服を着ている。
「紫電昂雅殿ですね。使いの者から話は伺っております。長い旅路でお疲れでしょう。託所でホットワインでも飲みませんか?」
神父は聖職者らしい柔らかな物腰で昂雅にアルコールを進めてきた。
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