ブージュルクからの刺客

 アチャンポンは吹き矢を受けて、ゆっくりと倒れ込んだ。


「アチャンポン!!」


 ンゲマが大声で叫びながらアチャンポンに駆け寄る。アチャンポンが自分を庇った結果、何者かの攻撃を受けてしまったことに、シャナンは強い後悔と罪悪感を覚える。


「アチャンポン!大丈夫か!?」


 ンゲマがアチャンポンを起き上がらせ、悲痛な表情で声を掛ける。つい先程まで平和な日常だったのに、何故こんなことになっているのか。混乱と絶望が入り混じった悲しい声だった。


「ン、ンゲマ…大丈夫よ。ちょっとびっくりしただけ」


 ンゲマの呼び掛けにアチャンポンが目を開ける。心無しか表情に力がない。


「ア、アチャンポン〜よかったぁ。ビックリしたよ。急に倒れるからさぁ。驚かすなよ」

「うん。ゴメンね。大した傷じゃなかったけど、ビックリしちゃった」


 アチャンポンはンゲマの声に応じて立ち上がる。しかし、直ぐにコロンと尻餅をついた。


「あ、あれ?おかしいなぁ」


 再びグィと立ち上がるアチャンポン。しかし、またコロンと尻餅を突く。


 グィ…コロン


 グィ……コロン


 グィ………コロン


 コロン


 コロン、コロン


 コロン、コロン、コロン……


 遂にアチャンポンは立ち上がる素振りも見せず、その場に突っ伏した。


「ア、アチャンポン!!おい、アチャンポン!しっかりしろ!」


 ンゲマがアチャンポンを抱き抱える。グッタリしたアチャンポンの顔色を見て、シャナンが眉根を寄せて呟く。


「もしかして……毒?さっきの吹き矢に毒が塗ってたのかも……」

「毒…毒だって!?なんだよそれ……なんでアチャンポンがそんな目に合わなきゃいけないんだ!!」


 ンゲマが掴みかからんばかりにシャナンに詰め寄る。


「ご、ごめん。ごめんなさい……」


 シャナンは伏目がちに謝る。咄嗟に出た謝罪は、感情に任せて怒りをぶつけるンゲマと青い顔して動かないアチャンポンの両方に向けられていた。


「シャナン!何とかならないのか!このままじゃ、アチャンポンが!」


 ンゲマの悲痛な声が響く。先ほどの怒りの感情から、今度は悲しみに満ちた表情が浮かんでいる。


 だが、シャナンは毒に対して、何か出来る訳では無い。ルディの様に異物除去クリアランスが使えるならば、毒を除去出来たかもしれない。

 しかし、シャナンは異物除去クリアランスどころか、回復に使える魔法は何も覚えていない。ンゲマも同様だ。だからと言って、このまま指を加えて良い訳が無い。


「ンゲマ!ルディなら……ルディなら何とか出来るかも知れないわ」

「ほ、本当か?ルディさんなら何とか出来るのか!?」

「多分。ルディなら異物除去クリアランスが使えるもの。何の毒かわからないけど、きっと何とかしてくれるわ!」

「で、でもよ、ここから私塾まで結構な距離があるぜ。アチャンポンの顔色見ただろ?私塾行くまでにアチャンポンが持たないんじゃないか?」


 ンゲマが不安そうにシャナンに尋ねる。ンゲマの疑問ももっともである。街外れから街の中心にある私塾まで子供の足なら10分は掛かる。それに、街にはシャナンを探し回る暴徒や、血肉を喰らわんばかりの薬物中毒者が跋扈している。危険を回避していけば、10分どころか1時間は掛かってしまう。


 だが、シャナンは策があるのか、意志の篭った視線をンゲマに向ける。


「闘気(オーラ)の魔法で屋根伝いに駆けていくわ。ちょっと乱暴だけど、我慢してね」


 先ほどの跳躍を思い出し、ンゲマが少し身震いする。だが、アチャンポンの生死には変えられない。“ドン”と胸を叩き、“当然だ”と強く応える。


「超越魔法、オー……!」


 しかし、シャナンが魔法を唱えようとした刹那、建物の暗がりから、シャナンの背後目掛けて白刃が音もなく飛んできた。


「!?シャナン!危ない!」


“え?”とシャナンが振り向いた時、全てが遅かった。ンゲマの胸には分厚いナイフが深々と突き刺さっていた。


「あ、あれ?な、何が刺さって……?」


 咄嗟に身を挺して庇ったためにか、ンゲマには自身の結末が想像できていなかった。自分の胸に刺さる異物に、目を見開いて不思議そうに見つめている。


「ン、ンゲマ……あ、あなたの胸に……ナイフが…」


 シャナンが痛々しく言葉を発する。ンゲマもシャナンの辛そうな表情を見て、客観的に自信の身に起こった出来事を悟った。

 途端、ンゲマは口から大きく吐血し、膝から崩れ落ちた。


「ンゲマ!」

「シャ…シャナン……俺、死ぬのかな……アチャンポンも……守れずに…」

「ンゲマ!しっかりして!」


 だが、その言葉を最後にンゲマは虚な瞳を下に向けて薄い呼吸を続けるのみとなる。アチャンポンに続きンゲマも窮地に陥ってしまった。


 二人の顔を見ると、もはや抱えて行ける程の状態では無さそうである。微かに膨らむ胸の呼吸を見て、辛うじて生きていることだけが分かるくらいであった。


 こうなったら、ルディを連れてくるしか無い。シャナンは二人を励ますために、大きな声を上げた。


「二人とも、大丈夫!私がルディを連れてくるわ。直ぐ戻るから、待ってて!」


 だが、二人の返事は無い。しかし、返事を期待している訳ではなかった。シャナンはただ二人に見捨てた訳ではないことを理解して欲しかったのである。

 それに、あからさまにシャナン目掛けての攻撃が何処かからか放たれている現状、二人を連れて行くことは更なる被害を招きかねなかった。


 シャナンは深く呼吸を吸い、魔法を唱え始める。


「超越魔法、闘気オーラ!」


 眩い光がシャナンから放たれ、全身から力が漲ってきた。シャナンは魔法が全身に行き届いたことを確認して、勢い良く屋根を蹴り上げて駆けようとした。


 その時、シャナンは体に何か硬い物が当たった感じがした。振り向くと折れた矢が落ちている。


「?」


 疑問に思っていると、側面から風切り音を上げて刃物が飛んできた。


“ガイン”


 刃物はシャナンの体に弾かれ、明後日の方向に飛んでいった。


「!?簡単には行かしてくれないのね……邪魔ばかりして……許せない!」


 シャナンは屋根から木片を引き剥がし、刃物が飛んできた方向に投げつける。木片が建物の壁に当たると、轟音と共に壁が崩壊した。


 壁の崩壊により、土煙を上げる建物の中から、フードを被った男が出てきた。右手には歪な形をした刃物を持っている。


“ジャリ”という音が背後からする。体を少し反転して、視線を後方に向けると、弓矢を構えた男女が居た。


 ふと左を見ると、建物の影に隠れていた吹き矢を持った男が出てくる。別の建物からも、鎖分銅を持った少し大柄な男が出てきた。


「あなたたち……魔族なの!?」


 だが、怪しげな者たちは答えない。黙して語らず、シャナンとの距離を坦々と詰めてきていた。


「それ以上、近づかないで!また物を投げるわよ!」


 シャナンが屋根の板をまた引き剥がして、投げる構えをとる。だが、彼らは止まらない。


「ほ、本当よ!近寄らないで!」

「シャ……シャナン…ちゃん……無駄……よ」


 シャナンの荒げた声に反応したのか、アチャンポンが息も絶え絶えで言葉を紡いだ。


「あ、あの人…たち……ブージュルクの刺客…よ。使っている武器や……雰囲気で分かる……」

「ア、アチャンポン!ブージュルクってアチャンポンのお家の?」

「に、逃げて……シャナンちゃん……ブージュルクの……暗殺者は……危険…よ」


 言い終えると、アチャンポンはガクリと頭を下げた。シャナンはアチャンポンが死んでしまったのかと、一瞬焦りを見せた。しかし、微かな呼吸音があることから、気を失っただけだと分かる。


 ホッとしていたのも束の間、ブージュルクからの刺客たちがシャナンに一太刀浴びせるには十分な距離まで詰め寄ってきた。


「……!こうなったら……!」


 シャナンは覚悟を決める。大勢から飛び掛かられても、撃退する自信がシャナンにはあった。しかし、闘気オーラを使っているシャナンは、力の細かな制御は出来なかった。むしろ、常にフルパワーで動くことになる。


 今のシャナンならば、その辺りの建物ならば、10分以内に崩壊させる程度の力がある。そんな力を人に振るえば如何なるか。


 当然、死が訪れる。


 だが、シャナンは人を殺したいとは微塵にも思っていない。出来れば必要最小限の被害で済ませたかった。


 なれば、如何するか。シャナンは思い付いたかの様に暗殺者の男の元に駆け寄り、胸ぐらを掴んだ。


「あっち行って!」


 暗殺者の男は、一瞬戸惑いを見せる。だが、流石に訓練された者なのだろう。直ぐに状況を理解し、シャナンに刃物を振り下ろす。だが、刃物は鋼鉄を叩いたかの様に弾かれ、手には強い衝撃が残った。

 そして、次の瞬間、男は凄まじい勢いで天地が回り始めた感覚がした。平衡感覚が狂い、状況がわからない男は暫くして全身を叩きつけられる衝撃に襲われた。


“ドガシャーン”と言う音と共に、向かいの建物に暗殺者の男が倒れている姿が見える。シャナンは暗殺者を力任せに投げ飛ばし、隣の建物に叩き込んだのだった。


 男は全身を強く打ち、苦痛に喘ぎ始める。その光景を見て、少女は指を指して妙な言葉を口にした。


「……よし、生きてる!」


 シャナンは軽くガッツポーズをとる。しかし、生きているのは、相手が鍛え上げたブージュルクの暗殺者だからである。道行き交う一般人ならば、複雑骨折レベル、運が悪ければ、死んでしまう可能性があった。


 しかし、そんなことは露も知らずに、シャナンは次の暗殺者に掴み掛かる。暗殺者は先ほどの光景を目にしたためか、シャナンの思惑を理解して必死に引き剥がそうとする。しかし、まるでシャナンは深く根差した巨木の様に、ビクともしない。暗殺者は焦りを見せて、持っているナイフを振り下ろすが、シャナンはナイフを掴み、そのまま握り潰した。

 驚いた暗殺者は“ヒッ…”と軽く息を漏らしたと同時にシャナンに投げ捨てられた。


「次!……次!」


 暗殺者たちに動揺が走る。この少女は自分たちの持っている武器を素の状態で弾き返す。剣や盾で受け止めるのでない。素手で鋭利な刃物を受け止め、握り潰すのだ。

 それに、掴まれると引き剥がせない。凄まじい力で強引に放り投げられるしかないのである。


 勇者がこんなだとは、暗殺者たちは想像だにしていなかった。


「次!次!次ぃ!時間がないの!あっちに行って!」


 最後の一人が慌てふためき、足を踏み外して体勢を崩す。シャナンの手が空振りして空を切る。暗殺者は助かったと思った。しかし、踏み外した場所は建物の二階、当然ながら、地面まで落ちるしかない。


“ドサ“と音がして、暗殺者が地面に叩きつけられる。


「あ……ごめんなさい」


 咄嗟に謝罪の言葉を発してしまった。暗殺者は地面に仰向けで倒れ、僅かに痙攣していた。”生きている“とシャナンは思い、少し胸を撫で下ろした。確かに、暗殺者は生きている。しかし、落下による衝撃での後遺症を考えると、特段無事ではない。下手をすると寝たきりになる可能性もある。


 だが、シャナンにはそこまで思考する余裕がなかった。何よりも友達二人の命が掛かっている。生死を確認しているだけ、マシと言う物だろう。


「…少しお腹減っちゃった……」


 シャナンは腰袋から豆菓子を取り出してポリポリと食べる。少しばかり力が戻たと感じられる。回復した力で、一気に駆け抜けようとシャナンは足に力を込める。


 その時、空から何かが飛来し、シャナンのいる屋根に勢い良く飛び込んだ。


「な……何?」

「やはり人間などあてに出来ん!勇者相手はこの我輩、義氏が適任よ!」


 義氏と名乗る男が体半分を屋根にめり込ませて叫んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る