幸福薬

 三人は狭く、入り組んだ路地裏を駆けていく。路地裏の奥に行くほど、雰囲気は悪くなり、眼付きの悪いゴロツキや浮浪者が屯していた。

 浮浪者たちは街の喧騒など気にもせず、ただ自分たちの生にしがみつくのに必死なようだった。ボロ布を纏い、ゴミを漁っている。対して、ゴロツキたちは場にそぐわない三人に不愉快な好奇心を向けている。


「あ…また行き止まり。んもぅ、早くここを抜けてンゲマの家まで行きたいのに!」

「アチャンポン…オレは早く路地裏から出たいよ。方向は合ってるかもしれないけど、これ以上、こんな危なそうな場所に居たくないよ……」


 強気なアチャンポンに対して、ンゲマは弱気だった。


 だが、ンゲマの心配も無理からぬことでもある。

 カロイの街に限らず、街の路地裏は警備の目の行き届かない、治外法権の場所である。

 この場所で何かあっても悪党どもの小競り合いであり、例え善良な市民が巻き添えを食ったとしても、路地裏に足を踏み入れた者が“悪い“と言う風潮が王国には出来上がっている。


 路地裏の危険性を知っているために、ンゲマは気が気でない。キョロキョロと視線が泳ぎ、辺りを警戒している。しかし、ンゲマとは対照的に、アチャンポンはどこ吹く風だ。

 シャナンはアチャンポンの強気に、少しばかり疑問を覚える。


「ねぇ?アチャンポン…どうして、こんな路地裏で強気なの?ンゲマの言う通り、私もこんな所、早く出たいわ…」

「シャナンちゃん!何言ってるの?」

「え?」

「だって、シャナンちゃんは勇者様なんでしょ?だったら、この辺のゴロツキがチョッカイ掛けて来ても、チョチョイのちょいじゃない?」

「えぇ?私、全然強くないよ。それに、知らない人と喧嘩したくないよ……」


 アチャンポンはシャナンを誤解していた。確かに、超越魔法”闘気(オーラ)“を使えば、ゴロツキどころか街ごと吹き飛ばしかねない力がある。だからと言って、見ず知らずの人に暴力を振るうのは、シャナンにとって好ましいことではない。むしろ、争いの火種になることはしたくはなかった。

 それに、闘気オーラは体力の消耗が激しい。無闇やたらに使うべき魔法ではない。


 シャナンの言葉に、アチャンポンは聞く耳を持っているのか、いないのか分からなかった。


 シャナンはアチャンポンの妙な期待に応えることなく、路地裏をやり過ごしたかった。


 しかし、事はそう簡単に運ばない。三人が門を曲がった先に浮浪者の一人が鉈を持って佇んでいた。男は尋常では無い悪臭を放ち、三人は顔をしかめる。


 しかし、男は三人の不快な表情を意にも介さない。そんな些末なことよりも重要なことがあるとばかりに、口を開き尋ねてきた。


「……で騒いでる"黒髪で目が大きい少女"っで、オメのごどか?」


 濁った声で男が尋ねる。その口からは、鼻を突く臭いが漂う。三人は男の接近に警戒心を高め、身構える。

 男も三人の態度を見て、目的の相手だと察し、前のめりになり、鉈を軽く持ち上げた。


「オメだぢ、オデのこどばに反応じだな?やはり、ぞごにいる娘がそうなんだな?」

「だ、だとしたら、何だってんだよ!」


 ンゲマが強く反応する。だが、言葉には僅かながら震えが含まれている。子供にとって、どんな相手だろうと大人は怖いのだ。それが、明確に敵意を持つ相手ならば、尚更である。


「オメはおどごだ。それにスジ張って不味そうだ。ぞごの娘二人はやわらがくでうまぞうだ」

「う、うまそう?」


 シャナンは男の言葉に強く違和感と警戒心を覚える。“うまぞう”とは一体どう言う意味だ?臭いに耐えてシャナンは思考する。

 一方、アチャンポンは男の姿と言動から何か思い出したのか、ボソリと呟いた。


「もしかして…この人たち、ブージュルクの”幸福薬“を使ってるの……?」

「!?知っているのか?アチャンポン!」


 ンゲマがアチャンポンに大きな声で話し掛ける。しかし、アチャンポンも確証が無いのか、少し躊躇いがちに言葉を紡ぐ。


「……ブージュルク家の七賢人の一角に、リランスラン家という分家があるの。そこは……良くない……薬を扱ってるらしいの」

「な、何だよ!良くない薬って!?」


 アチャンポンのはぐらかす様な言葉にンゲマは語気を強めて問い掛ける。アチャンポンは言っても良いのかどうか答えあぐねていた。


 だが、シャナンはアチャンポンの言いたい言葉を代弁する。


「もしかして、麻薬……よね?アチャンポン」

「……うん」


 アチャンポンは両親が籍を置くブージュルク家の裏の顔を、あまり快く思ってなかった。


 カロイの街に来るまで、ブージュルク家は魔法を拠り所に、どこにも属さず高潔で誇り高い独立した勢力だと思っていた。両親も魔法の腕が確かで、ブージュルク家の魔法部隊を率いる勇将ということで鼻高々に思っていた。


 しかし、街には様々な風聞が訪れる。街の人々は無遠慮にアチャンポンの前でブージュルクの噂を話す。

 曰く、風の噂でブージュルクが麻薬を売り捌いている……曰く、親がいない子供を拐って人身売買している……そして、曰く、各地で起きる“不審な死”に、ブージュルクが関わっている……様々な噂はアチャンポンの心を少しずつ傷つけていた。


 ブージュルクの闇を語る行為に躊躇いを覚えつつ、アチャンポンは辿々しく話を始めた。


「幸福薬……ってのはね。ブージュルクで作っていると言う麻薬なんだ。お母さまが言ってらっしゃったの。幸福薬を使えば、臆病な兵士も、たちまち勇敢な兵士になるって……」

「何だよ。良い薬じゃないか」


 ンゲマが脳天気に言葉を返す。しかし、アチャンポンはンゲマの発言にため息で返す。


「な、何だよ?アチャンポン……オレ、何か変なこと言ったか?」

「……ううん。私も最初はそうだったから。でも、お母さまとお父様が影で話していることを聞いてしまったの……」

「話って……何?」


 シャナンがアチャンポンの話を促す。


「そ、それは……」

「オイ!オメだぢ!オレを無視じで、何を話でルンだ!」


 突如、浮浪者がアチャンポンの話を遮り、大きな声で三人を恫喝する。


 声に驚き、三人は一斉に浮浪者の方に顔を向けた。そこには、路地裏の端から数人の浮浪者が手に手に武器を持って集結していたのだった。


「オメだぢが騒ぎのヤヅだろうどガンゲイねぇ!オレだぢ、ハラが減っでる。むずめ二人は丸焼きにじで食っでやる!鶏ガラの小僧は、犬のエザだ!」


 そう述べると、浮浪者の男たちが一斉に躍り掛かってきた。


「わ、わ、わ!や、やばい!」

「話どころじゃ無さそうね…… ンゲマ、アチャンポン!、逃げましょう」

「う、うん。そうね……」


 アチャンポンは少し安心した顔を見せる。ンゲマは理解していない様だが、シャナンはアチャンポンの話の途中で何となく状況を察した。


 おそらく、幸福薬は麻薬の中でも脳に甚大なダメージを与える物なのだろう。シャナンは元の世界で、麻薬を服用した者が人の顔を食べると言うショッキングなニュースを聞いた覚えがあった。

 実際の真偽の程は定かでない。しかし、向かってくる男たちの虚で焦点が合ってない表情を見ると、アチャンポンの懸念も間違ってないと感じた。

 幸福薬とは、人の理性を奪い、人肉食に向かわせる恐ろしい麻薬なのだと……


「にぐ、にぐ!新鮮な肉だー!!」


 浮浪者たちが武器を持って駆けてくる。さながら、血肉を求めて疾駆する屍食鬼グールかの様に。


「ア、アチャンポン!その幸福薬だか何だか知らないけど、アイツらを元に戻せないのか!?」

「わ、分かんない。分かんないよ!とにかく、逃げようよ!」


 ンゲマの悲痛な質問に、アチャンポンは半狂乱で応える。アチャンポンは幸福薬が危険な存在であることは知っていても、対抗策を知っている訳ではない。


「うまぞうな肉だー」

「お、お、お、オデの肉だぞ!最初はオデだ!オメだちが食うんじゃねぇ!」


 浮浪者たちが口々にシャナンたちの後ろ姿を品評する。背後から聞こえる声は、三人の精神を削る不快な言葉であった。


「シャ、シャナン……ヤベェよ!闘気オーラを使って何とかしてくれ!」


 ンゲマが必死の形相でシャナンに叫ぶ。シャナンも、この場を乗り切るためには、闘気オーラしかないと考えていたところだった。


「分かったわ!世界の理に代わり勇者が命じる。我が身に秘められし力を解放せよ!超越魔法!闘気オーラ!」


 いつもは“勇者”の箇所をゴニョゴニョと誤魔化していた。しかし、正体が分かった今ならば、隠す必要はない。

 大きな声で魔法を詠唱した。


 瞬間、シャナンの体から眩い光が放たれる。全身に力が満ちる。全ての感覚が鋭敏になるのをシャナンは感じた。


「やった!シャナンちゃんの闘気オーラよ!さあ、シャナンちゃん!あんな奴ら、ぶっ飛ばして!」

「よっしゃ!行け!シャナン!思いっきり殴り飛ばしてやれ!」


 アチャンポンとンゲマが待ってましたとばかりに、シャナンの闘気オーラに喝采する。しかし、今のシャナンが浮浪者に殴り掛かったら、ぶっ飛ばす所かバラバラになってしまう。当然、人殺しなどしたくないシャナンは、ぶっ飛ばすことを躊躇った。それ以前に、あんな汚らしい人たちに、触りたくないとシャナンは考えている。


「わー!シャナン!何やってんだよ!アイツら来ちゃうよ」


 悩んでいる暇はない。シャナンは仕方なく二人を抱え込む。


「え?え?シャナンちゃん?どうしたの?」

「二人とも、一気に飛ぶわよ!それッ!」


 掛け声と共に、シャナンは二人と共に大きくジャンプした。


「わ、わ、高い!」


 アチャンポンは、突然、空高く舞い上がった自分に驚きを隠せなかった。シャナンは一体何をしようとしているのか。その答えはすぐに分かった。


 ドスンという音と共に、三人は二階建ての建物の屋根に降り立った。


「オメだち!ヒギョウだぞ!降りてごい!」


 浮浪者たちが下から大きな声で喚いている。何が卑怯なのか分からないが、どうやら、浮浪者たちは建物の屋根まで来れない様だった。


「た、助かったぁぁあ」


 ンゲマがドスンと尻餅をつく。


「本当ね……でも、この屋根の上も安全とは言えないわ。アイツらが屋根までの行き方を探して来るかも知れないもの。シャナンちゃん。早くここから離れましょう?」

「そうね。私の闘気オーラも、そんなに保たないし。早く逃げましょう」


 シャナンはまた二人を抱えて別の建屋に飛び移ろうと考えた。どこが良いだろうかと考えていると、突然、アチャンポンの悲鳴の様な声が聞こえて突き飛ばされた。


「シャナンちゃん!危ない!」


 よろめき、体勢を崩して倒れ込む瞬間、シャナンは見てしまった。アチャンポンが自分を庇って突き飛ばした手に、吹き矢を受けている光景を………

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