嫌われ者

 嘆きの壁から降りた三人は、カロイの街変わり様に愕然とした。街並みは崖の崩落による岩であちこち崩れており、辺りから人々の悲痛な声が聞こえてきた。

 怪我をしてうめく人々の声、建屋の下敷きなって必死に助けを呼ぶ声、家族とはぐれて泣き叫ぶ子供の声……街は阿鼻叫喚に包まれていた。


 人々の辛く哀しい声の中、一際大きく響く声がシャナンの耳に入ってきた。その声は、魔族の扇動に乗せられて勇者を罵る者の声であった。


「勇者だ!みんな勇者が悪いんだ!勇者がいなければ、こんな目に遭わなかった!」

「そうだ!勇者の奴を探せ!アイツさえ捕まえれば、俺たちは助かるんだ!」

「そうよ!みんな、勇者を捕まえるのよ!いや、殺してやる!私の家族を……恋人を殺した報いを受けさせてやる!」

「そうだ!殺せ!勇者なんて必要ない!」


 街の人々は手に手に武器を持ち、勇者探しに躍起になる。慣れない武器を抱えて必死な形相を見て、シャナンは自身が罪深い存在なのではないかと、悲しい気持ちになった。

 直接的な原因は魔族だが、自分がいなければ、街の惨状もなかっただろう。人々も今日という日々を平穏に過ごせていたに違いなかった。その発端が自分にある。シャナンは自己否定から暗い気持ちになってきた。


 傍にいるアチャンポンとンゲマは街の変わり様に驚いている。しかし、むしろ人々の荒々しさに驚きを隠せなかった。


「な、なぁ?ヤケに殺気だってないか?みんな”勇者のせい“にしているけど、悪いのは魔族だろ?」

「ンゲマの言う通りよ。どうして魔族を責めずに勇者様を責めてるの?」


 二人の話を聞いて、シャナンも同じ違和感を感じる。誰も魔族について言及していないのだ。しかし、街の惨状が自分にあると思い込んでいるシャナンは、直ぐに二人の意見に否定的な気持ちになる。


「……みんな、魔族の言うことに納得しているのよ……確かに、勇者がいなければ街はあんな風にはならなかったわ……」

「な!シャナンまで何言ってんだよ!悪いのは魔族だろ!?勇者じゃない!」


 ンゲマの怒りが混じった声に、シャナンはハッとする。ンゲマはシャナンが勇者であることを知らない。だからこそ、シャナンの言葉が自己否定でなく、勇者を貶める無責任な言葉に聞こえたのだろう。


「……シャナンちゃん。ンゲマの言う通りよ。勇者様は悪くない。悪いのは魔族よ。シャナンちゃんも勇者様を責めないであげて」


 アチャンポンの言葉に胸が熱くなる。街の人々が口々に勇者への呪いの言葉を投げ掛ける中、二人だけは勇者を擁護している。


 シャナンは自分の否定的な感情に蓋をする。今は落ち込んでいる場合ではない。一刻も早くトーマスたち四人と合流して対策を立てるべきだろう。“勇者”を庇ってくれる二人のために、であるシャナンは意を固める。


 だが、恐慌に陥った人々はを擁護はしない。むしろ、憎悪の対象として一様に呪詛の言葉を吐いている。


「……殺せ……勇者を……」

「家族の仇……勇者を殺せ……」

「殺せ……殺せ……」


 口々に殺意の篭った街の人々を見て、アチャンポンが首を傾げる。


「おかしいわ……もしかして、街の人たち、魔法にかかっているのかも?」

「魔法?どんな魔法なの?」


 シャナンがアチャンポンの言葉に疑問を投げかける。


「心がおかしくなる魔法かもね……不安(エンザイエティ)や擾乱(リボルト)の魔法みたい」


 シャナンは“Girl”は理解できないのに、英語読みの魔法をペラペラと話すアチャンポンに若干疑問を覚えた。しかし、今はそれどころでない。疑問は別の日に晴らすとして、アチャンポンの考えに対してシャナンは思考を巡らす。


「アチャンポン。それならば、どこかに魔法を掛けている人がいる、と言うことよね?ンゲマ、どこか分かる?」


 シャナンの問い掛けにンゲマが虚しく首を振る。


「ごめん、俺の探索(サーチ)や看破(ぺネトレーション)のレベルだと、そこまでは分かんねぇ。ただ……」

「ただ?」

「さっきから、人々の中で一際大きな声の奴がいるんだ。コイツの言葉を聞いてる奴は、みんなが勇者を罵り始めてるみたいなんだ」

「ンゲマ!?誰よそれ?」


 ンゲマの問い掛けにアチャンポンが指差す。その先には若い青年が、身振り手振りに勇者の悪辣ぶりを周りに喧伝していた。


 青年は周りの人々に勇者への非難の声を上げ続けている。先導された人々は手を掲げ、怒声を絡ませて勇者をなじっている。


「あの人ね……」


 アチャンポンが憎々しげに青年を睨む。まるで、この街を壊したのが、魔族ではなく、あの青年であるかの様に眼光鋭く睨みつけた。


 青年はアチャンポンの視線など意に介さずに人々へ語り掛ける。


「魔族が言っていた“Girl”ってのは、古代語で少女って意味だ。いいか?“目が大きくて黒髪の少女”が勇者だ!みんな探せ!」


 シャナンは”なんてことだ“と内心で舌打ちする。あの青年は魔族の言っていた“Girl”の意味を知っていた。これで街の人々はであるシャナンを探し始める。最悪な状況になってしまった、と歯噛みする。


「き、聞いたかよ!シャナン、アチャンポン!勇者の特徴を!」

「え、ええ……」


 シャナンは力なく応える。対して、アチャンポンはやっと言葉の意味が分かったのか、ンゲマに元気よく応える。


「もちろんよ!ンゲマ!勇者様は、“目が大きくて……”」

「ああ!“黒髪の……”」


 ふと二人が言葉を止める。それと同時にシャナンを見つめ始めた。シャナンは視線を下に落として顔を見られない様にした。


「シャナン……お前……」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って!いやいやいや、ンゲマ、それはちょっと……」


 察したかの様に呟くンゲマにアチャンポンが手を振り否定する。


「い、いや。だってよ、アチャンポン。よくよく考えたら、シャナンって闘気(オーラ)って言う凄い魔法が使えるんだぜ。そう考えると、シャナンが……」


 ンゲマが先に続く言葉を出そうとした時、人々の中から泣き叫ぶ女の子の声がした。


「ち、違うわ!私は勇者じゃない!」

「黙れ!“目が大きくて黒髪の少女”……お前、特徴通りじゃないか!」


 男に髪を掴まれ、見知らぬ少女が引き倒される。年の頃からすると、十代後半だろうか。この少女も“黒髪で目が大きい少女”であった。

 群衆に囲まれ、多くの人々の視線が少女を刺す。視線の槍に貫かれた少女は言葉を詰まらせ、必死に弁明する。


「ちょ、ちょっと待ってよ!め、目が…“目が大きくて黒髪の少女”なんて、どこにでもいるわ!私……私じゃない!それに、私は生まれてから、ずっとこの街にいるもの!勇者の様に召喚なんかされてないわ!」

「口だけでは何とでも言えるぜ」


 少女の弁明虚しく、狂乱状態の人々は少女の言葉を無碍に否定する。だが、少女は何とか誤解を解こうと、尚も弁明を続ける。


「確かに勇者は召喚された奴だからな。お前の言葉を信じるなら、お前は勇者じゃない」

「じゃ、じゃあ……!」

「だがよ、誰がお前を”この街にずっといた“と証明できるんだよ!?」

「そ……それなら!パパとママ、それに……友達なら!」


 少女が活路を見出したのか、人々の言葉に応える。しかし、暴徒と化した人々は、少女の言葉を意に介さずに否定する。


「ソイツらは、お前の仲間かもしれないだろ?信用できるか!」

「そ、そんな!そんなこと言ったら、誰の言葉も信用できないじゃない!」


 少女が金切り声に近い声を上げる。その声には絶望に彩られた悲痛な嘆きが含まれていた。


「みんな!コイツは勇者に違いない!殺せ!」


 青年がいきり立つ人々を煽り始める。その声につられて、人々が少女を囲み始めた。


「や、やめて!そんな!……ゆ、勇者様!いるなら、どうか助けて!」

「黙れ!この期に及んで、往生際が悪いぞ!」


 狂乱の群衆の中から、少しガタイのいい男が前に出てきた。街の人々とは違い、普段から鍛えているだろう体躯は、冒険者か兵士なのではないかと感じられた。


「カロイの街にお前なぞ……勇者なぞ必要ない!死ね!」


 男が剣を上段に構えて、今にも振り下そうとしていた。


 無辜の人が殺される。それも自分と勘違いされて……シャナンは考える間も無く、男に向かって大声で静止する。


「待って!その子は勇者じゃない!」

「アン?なんだ……お前?ん……」


 男がシャナンに向き直り、マジマジと見つめ始めた。


「その子は勇者じゃないの。勇者は……勇者は私よ!だから、その子を離してあげて!」


 言ってしまった……シャナンはトーマスたちに軽い罪悪感を覚えつつも、この場では仕方がないと自己を正当化する。


「“目が大きくて黒髪の少女”……お前もそうだな。だけどよ……おい!お前みたいなガキが勇者だと!?笑わせるな!?」


 男が凄みを聞かせて否定する。信じてもらえないとは思ってもいなかった。このままでは、自分の身代わりになる少女が殺されてしまう。


 どうすべきか考えていると、ふと、群衆から虚な瞳をした男が出てきた。


「……カシム……」


 シャナンは顔を歪ませる。嫌なところで嫌な人にあったと、心の中で毒づく。だが、当のカシムは土気色の顔をシャナンに向け、指を指して辿々しく言葉を紡ぐ。


「ア……ア…アイツ……ガ……ユウシャ……ダ…。オウコクノ…ヘイシデアル、コノオレ……ナラ……ワカル……」


 カシムは拙い操り人形の様に生気がない顔を見せる。カシムの普段の様子とは違うとシャナンは違和感を覚える。


 だが、周りの人々はカシムの異常性を気にしていない。むしろ、その指先にいる少女に視線が集まっていた。


「……アイツが……?」


 鉈を持った男がボソリと呟く。


「……勇者……?」


 包丁を持った女がシャナンを睨む。


「勇者……」

「勇者…」

「殺せ……」

「殺せ…」

「街をこんな目に合わせた……」

「勇者を殺せ!」

「殺せ!殺せ!」

「殺せ!殺せ!殺せ!」

「殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!」


 人々が口々にシャナンに殺意を向ける。期待通り、身代わりになった少女から視線を逸らすことができた。しかし、シャナンには暴徒と化した群衆を前に為す術を持っていなかった。


「うまくいったのはいいけど……どうしよう…?」


 その時、シャナンの手をグイと引っ張る者がいた。


「シャナンちゃん!ここにいちゃ危ないよ!路地裏に逃げよう!」


 アチャンポンがシャナンの手を強引に引き寄せ、狭い路地裏に引き込んでいった。

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