魔法の特訓
生命の賢人から魔法を教わってから十日が経った。
生命の賢人は経験主義らしく、講義の大半は魔法の原理ではなく、魔法を使うためにはどの様に頭を思考するか、体をどう動かすかと言う実践に重きを置いていた。
講義から三日目、ルディが瞑想(メディテーション)の魔法を覚えた。
四日目にはセシルが分析(アナライズ)と飛翔体防御(ミサイルバリア)の魔法が使える様になった。
六日目にはカタリナが閃光(フラッシュ)の魔法を覚えたと同時に火焔魔法が強化され、魔法触媒無しでも対象を高熱で焼き尽くす程度まで強化された。
皆、短期間で魔法の習得や強化を成し遂げている。シャナンはチラとトーマスを見る。
トーマスは、戦士の素養が高く、戦士としての研鑽のみを積み、魔法に関しては空っきしだった男である。しかし、このトーマスでさえ、十日目の朝、筋力強化(マッスルブースト)の魔法を使えるに至っている。
「シャナン!見てください!遂に私も魔法が!」
「……そう。よかったね。トーマス」
シャナンは自身の感情を悟られまいとする。しかし、どうしても素っ気ない態度でトーマスに返事をしてしまう。
だが、当のトーマスはそんなことに気付きもしない。シャナンは自身の嫉妬心を恥じ、下を向いてしまった。
「…………トーマス、私、ちょっとお水を飲んでくるね」
「おや、シャナン。飲み物ならここに水筒が……」
トーマスの言葉を無視してシャナンは背を向けて私塾の中に入っていく。
「どうしたのだろうか?なあ、ルディ」
「トーマスよぉ〜、アレはまずいだろう?」
シャナンの態度が腑に落ちないトーマスがルディに尋ねると、呆れた表情を向けてルディが言葉を返す。
「アレ……とは?」
「オイオイオイ、トーマスよ、浮かれすぎだぜ」
状況に気づいていないトーマスにルディが嘆息する。
「シャナンはなぁ、お前が先に魔法を覚えたことでショックを受けてんだよ。だってよ、お前魔力5くらいしかないだろ?対してシャナンは90以上だぜ。そんな奴に負けたとあれば、ショック受けない訳ないだろ?」
「負けた?何を言っている?私はシャナンと勝負などしてないぞ」
状況を飲み込めないトーマスはルディの言葉の意味を理解できていなかった。言葉選びを誤ったとルディが言い直す。
「負けた……ってのは語弊があったな。あのな、シャナンとしてはお前よりは先に魔法を使える様になりたかったんだよ。だってよ、魔法の才能から言ったらどう考えてもシャナンの方が上だろ?対して、お前には魔法の才能らしきものが全く見えない。そんな奴に先を越されたら普通はどう思う?」
「……それは……悔しいな」
「ああ。それ以上に、お前に魔法が出来て自身が出来ない現状にシャナンはショックなんだろうな。もしかすると、魔法を覚えるのは無理なんじゃないかとすら思っているんじゃないか?」
やっと状況を呑み込めたトーマスが先ほどの自分の無思慮な発言を強く後悔する。それと同時に天を仰ぎ、大声で叫んだ。
「……世界の理よ!先ほどの魔法は無しで!」
「そりゃ無理だろ……」
ルディがトーマスに冷静な言葉を浴びせる。
その光景を見ていた生命の賢人は手を顎に乗せて首を傾げた。そして、ボソリと気になる一言をつぶやいた。
「うーん?おかしいなぁ。やはりこの世界に転移した時に何かあったのかなぁ……」
───
──
─
私塾の中庭にシャナンはいた。中庭の中央には井戸があり、釣瓶を落とせば水をすくい上げて飲むことができる仕組みになっている。だが、シャナンは井戸に近づこうともしない。むしろ、壁を背にして井戸を見つめている。
「はあ……」
シャナンはため息をつき、そのまましゃがみ込んだ。
「トーマスでも出来たのに……何で私には魔法が使えなんだろう……」
泣きたくなる気持ちをグッと抑え、頭を膝で抱えてうずくまる。
生命の賢人が言っていたことを思い出す。
───
──
─
「魔法ってのはね、魔法が発動するまでの現象と発動してからの現象を分けて考えるべきなんだよ」
「どういうこと?」
生命の賢人の初めての講義での言葉を思い出す。生命の賢人の言っている意味がわからず、シャナンは自身の疑問を聞いてみる。
「そうだな。例えば、“物を投げる”という動きを見てみよう。シャナン。今から僕が白墨を投げてみるから受けとめてみて。ほら」
生命の賢人が白墨を放り投げる。放物線を描いて飛んできた白墨をシャナンは発止と受け止める。
「さて、シャナン。白墨を投げたのは僕だけど、地面まで落ちていったのは何の力かな?」
「えっと……重力の力……だよね?」
「ピンポーン!大正解!」
生命の賢人がシャナンを指差して声を上げる。その光景を見て他の四人は何が何だか分からないと言った表情を浮かべる。
「魔法の発動までには使用者の魔力で発生させるんだ。でも、起きた後は自然の力次第なんだ。だから、魔法触媒を使ってその力を高める。これがこの世界の魔法だね」
「じゃあ、魔法自体はそこまで強い力が無いの?」
「お、いい質問。またまた正解!……と言う訳でも無いけどね。強力な魔法を発動させるためには、自然の力の原理を知らなくてはいけない。その原理を知るには君たちでは難しいのさ」
生命の賢人がシャナンに投げた物とは別の白墨で黒板に文字を書き始める。書き終わると“トン”と音を立てて皆に向き直る。
「さて、カタリナ。君の魔法はどうやって炎を出していると思う?」
「え……あの。こう頭で何かを縮める様な感じで……その縮め様としている場所と魔法触媒を合わせると炎が出てきます」
「ありがとう。カタリナ。さて、カタリナに限らずこの世界の人たちは火焔魔法と言っているが、これは間違いだ。正しくは高熱魔法が正解だろうな」
生命の賢人のひとことにカタリナはアッとした顔をする。
「そうなのです。魔法を使っても燃える物が無ければ、炎は出ません。おっしゃる通り高熱魔法が正しいかもしれません」
「そう。カタリナ。断熱圧縮と言う言葉を知っているかい?」
「え……すいません。知りません。何でしょうか、それは?」
そこからの会話をシャナンはあまり理解出来なかった。体積とか気圧がどうとか複雑な数式を黒板に書き始めたからだ。だが、その文字を見て逆に四人は理解を深めたのか、“なるほど”と言う表情を浮かべる。
───断熱変化───
気体と体積には一定の状態を保とうとする関係性がある。例えば、体積を下げると気圧が上がり、その過程で熱が発生する。物理学的には状態方程式や熱力学の第一法則、ポアソン方程式などで表される。
断熱圧縮とは先に述べた現象を指す。圧縮過程で発生する熱は馬鹿にできない。例えば、フェーン現象では断熱圧縮で山火事を起こす。また、宇宙船の大気圏突入では、大気の急激な圧縮は突入角を誤ると金属を崩壊させる熱量をも生む。
───────────
カタリナが使っている魔法も断熱圧縮の応用である。魔法により固定した空間内の大気を急激に圧縮させ、高熱を発生させる。その熱に魔法触媒が反応して炎を生み出していたのである。
シャナンは生命の賢人に何度も聞き直し、そう言う現象があることをやっと理解できた。学校では成績は悪い方ではなかった。いや、むしろシャナンはトップクラスの成績を誇っていた。
しかし……生命の賢人は少女には難しすぎる。一次関数の意味も知らない少女に数式で物理現象を説明しても理解できないことは当然だろう。
それ以降、生命の賢人はどちらかと言うと体感的且つ実証的な説明を持って魔法を教えてくれた。実体験を持って魔法の使い方を何となく理解してきたシャナンであったが、違和感は拭えない。
何故に四人は難しい数式をすんなり理解できたのだろうか。シャナンには何が何だか分からないのに、さも当然といった風で頷いていた。
それに気になることも言っていた。セシルが“ジュウリョクってなに?”と尋ねたことだ。重力自体の原理は分からないが、言葉くらいは知っている。だが、難しい数式を理解できる四人が何故重力すら知らないのだろうか。
───
──
─
この世界に来て一年以上経って様々なことがあった。シャナンは懸命に耐えて生きてきたが、ここ数ヶ月の出来事も合間って心の桶に限界が迫ってきた。少女の感情は桶の淵まで迫っている。これ以上の精神的な負担には限界だろう。
知らず知らずに涙が溢れる。“キョウコ”から“泣けばいいと思っている”と言われてから、泣かない様に頑張って来たが、もう限界だった。
溢れんばかりの感情を押し殺し、声を殺してシャナンは泣き始めた。
その時……
「何だよ。お前、何で泣いてるんだ?」
ハッとして顔を見上げると自分と同じ年齢くらいの男の子と少し年上なのか発育の良い女の子が心配そうにシャナンを見つめていた。
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