醒めた気持ち

 セシルやルディ達が回復する数日の間、シャナンはトーマスとカタリナと共にフォレストダンジョンでレベルアップに勤しんでいた。

 回復役のルディがいない点と斥候役のセシルがいないため、三人は危険なダンジョンの奥地まで行かず、比較的出口から近い場所を根拠地としていた。


 ダンジョンに潜って二日目の朝、軽い朝食を終えた三人はそれぞれの道具を点検して冒険に備えていた。


 柔軟体操を終えたトーマスは新調した盾と片手斧がまだしっくりこないのか、しきりに着け心地を気にしている。

 カタリナは雑嚢ウェストポーチに魔法触媒と水薬ポーションが上手く入りきらないのか、収納を思考錯誤して唸りながら悩んでいる。


 二人が準備している様子を見ていたシャナンは自分も冒険の準備をしようと街から背負ってきた小さな背嚢リュックサックを開ける。中は小綺麗に整頓されており、シャナンの性格が細やかなことに気を配る人物であることが察せられた。シャナンは背嚢リュックサックの奥に複数本まとまった巻物(スクロール)の一つを取り出した。


 この巻物はオカバコの街で買った清浄(ピュリフィケーション)の巻物スクロールである。


 この巻物スクロールと呼ばれる道具は魔法を習得していなくとも中に記載された文字を読み上げることで指定された魔法を行使できる便利な道具である。

 ただし、使用回数は一回限りである。そのため、主に魔法を苦手とする近接戦闘のクラスや対象の魔法を習得していない者が一時的な手段として用いる場合が一般的である。


 今、シャナンが使用しようとしている巻物スクロールに込められている魔法は清浄ピュリフィケーションと呼ばれる魔法である。この魔法は身体や衣服に着いた異物を取り除き、清めてくれる魔法で、ダンジョンに長期間滞在する場合に風呂や洗濯の代替として使われる。


 ダンジョンに入って二日も経ち、少々不快な汚れを感じたシャナンは冒険の前に身を清めようと思っていた。シャナンは巻物スクロールを結えていた紐を解き、巻物を広げて書いてある文字を読み上げる。


「えーっと……セカイのコトワリに従い、ケガレを払え……清浄ピュリフィケーション


 しかし、何も反応はしない。シャナンは少し残念そうな顔をした。再度、巻物スクロールを読み上げるが、やはり何も起きない。

 シャナンは仕方なしにカタリナに呼びかける。


「ねぇ、カタリナ。やっぱり巻物スクロールが反応しないよ。ごめんね、代わりに使ってもらってもいい?」

「ええ。いいですよ、シャナン。世界の理に従い、けがれを払え……清浄ピュリフィケーション!」


 カタリナの呼び掛けに応えて巻物スクロールに記載された文字がかき消えていく。それと同時にシャナンの着ている服が清められ、身体の不快な汚れが落ちて爽やかな感覚になっていく。


「はい。終わりましたよ」

「ありがとう、カタリナ」

「どういたしまして。お安いご用ですよ」


 シャナンがカタリナに感謝を述べる。だが、その声色はあまり快活なものではない。どこか暗い色を感じさせるものであった。その微妙な変化に気づいたカタリナはシャナンに話し掛ける。


「シャナン。何かあったのですか?」

「うん。最近、色々あったから……」

「そうですね。旅に出てからあまり時間は経っていませんが、色々ありました。砦の魔物からフォレストダンジョンの魔族まで。急な環境の変化でお疲れの様ですね」

「そうじゃなくて……あの……私、このままでいいのかな?」

「“いい”と言うのは?何かあったのですか?」

「……ううん。ゴメンね、カタリナ。何でもないわ。今日も頑張ろう」


 ”頑張りましょう“と言ってカタリナが自分の準備に戻っていく。シャナンはその姿を横目に軽くため息を吐く。


 シャナンは悩んでいた。言いたくても言ってはいけない様な気がした言葉、それは──自分は勇者のはずだが、本当にこのままでいいのか?──という心情であった。


 目まぐるしく動く事態の変化の中、シャナンは自身が何も力になれてないことに強い引け目を感じていた。勇者であるはずの自分は様々な事態に上手く対応できていない。いや、むしろ足を引っ張ることが多かった。


 脳吸いの時も自分を逃がすために仲間たちが身を賭して助けてくれた。だが、自分の力の無さのために折角の助けを無駄にしてしまった。

 また、フォレストダンジョンでも自分の不用意さから魔族を討伐隊に参加させてしまい、多くの犠牲がでた。挙げ句の果てには自分自身が人質になってしまい、足を引っ張る結果に終わってしまった。


 ”ハァ”とまたため息を吐き、自分の腕を見る。細く華奢な腕だ。


 魔族討伐隊が解散した翌日、シャナンは冒険者組合でサラにステータスを見てもらった。その際、シャナンの筋力は“25”と表示されていた。この値はトーマスがレベル1であった時の筋力に比べて2ほど高い。

 だが、自分の体つき見てもあの時のトーマスより筋力があるとは思えなかった。むしろカタリナといい勝負である。

 レベルがいくら上がっても身体能力が本当に向上しているのか疑わしいとシャナンは感じていた。


 だが、シャナンの悩みはそれだけではない。魔力が”90“を超えるステータスなのに、未だに魔法が使えない点も悩みのタネであった。

 魔力が90ともなると一般的にはレベル30から40程度の魔法系クラスの能力値と同等と言われている。しかし、シャナンは魔法は愚か巻物スクロールすら満足に使えない。


 カタリナ曰く、”勇者は強力な魔法も操れる“と言っていた。この言葉を信じるならば、勇者も魔法が使えてしかるべきなのだろう。だが、高い魔力とは裏腹に全く魔法が使えない自分に、シャナンは嘆息を禁じ得ない。


「私……本当に勇者なのかな……?」


 少し俯き加減で使用済みの巻物スクロールを丸め、黒鉛で“使用済み”と書いて背嚢リュックサックに押し込む。紐で背嚢リュックサックの入り口を縛り終え、また軽くため息を吐いた。


 しばらくして、盾と斧の付け具合にやっと納得がいったのか、トーマスがシャナンに話し掛ける。


「シャナン、準備はできましたか?」

「うん。大丈夫だよ。もう出発?」

「ええ。夜になると視界が狭まり戦闘が困難になります。早く活動して日が暮れる前に戻りましょう」

「そうだね。じゃぁ、出発しようか」


 シャナンは細身剣を剣帯に佩き、右手にはオカバコの街で新しく購入した小型ハンマーを握りしめた。その光景を見てトーマスが少し不服そうに尋ねる。


「シャナン。まだハンマーを使うおつもりですか?」

「うん。魔法が使えない私だから、少しでも力をつけて剣での戦いに役立てたいの。ハンマーならトレーニングも兼ねられるよね?」

「しかし、そのハンマーはシャナンには重すぎませんか?現に持ち手の右側が少し体が傾いています。見る限りはハンマーの重さを支えられてないと見受けますが……」

「……うん。そうだね」

「シャナンの努力する姿勢はとても良いことだと思います。ですが、あまりご無理はなさらない様にお願いいたします」

「大丈夫よ。いざとなったら、この細身剣に持ち替えるわ」


 トーマスは“分かりました”と言葉を発し、カタリナに出発を告げに行ってしまった。


 シャナンはハンマーを見て思う。このハンマーが本当は筋力トレーニングのためではないことを。


 実はシャナンには魔法が使えないこと以上に大きな悩みがあった。


 あの魔族騒動以降、シャナンは時折、酷く醒めた感情に襲われることがあった。

 この感情になるとシャナンは宙に浮いたようなフワフワした気持ちになった。そして、相手への同情や暴力への抵抗が無くなり、自分自身も根拠の無い万能感に包まれてしまっていた。


 だが、真に恐怖しているのは別にある。この心持ちの時、シャナンの心の奥底から決まってある声が聞こえてくる感じがする。


 その声の主は女性である。大人と言うほどでも無いが少なくとも自分よりは年上の女性の声だ。魔族にさらわれた時にも声が聞こえたが、その時とは別の声であった。


 女性の声はか細く何を言っているか聞き取れない。しかし、その声は優しさを伴いつつ無情な響きをも感じさせる。

 その声が聞こえると、シャナンの心は急に平坦となり、目の前の敵に対しての様々な思いが霧散霧消してしまう。その感情に任せ、何も考えずに無慈悲に剣を振り下ろしそうなる自分が怖かった。

 そのため、ある理由からシャナンは武器をハンマーに持ち替えることにした。

 本来ならば、ハンマーは命中すれば剣と大して変わらず、相手に致命傷を与えてしまうぶ武器である。

 だが、ステータスとは別に実質的には非力なシャナンではハンマーの重さに振り回されて相手へ正確に当てることが出来ない。当たったとしても、正確さを欠いているため、致命傷にはなり得ず、精々軽い打撲程度の傷しか与えられなく済んでいる。


 シャナンは恐れていた。あの声と醒めた感情に身を委ね、細身剣で次から次へと相手の無残な死体を積み上げ続ける自身の行為を……だからこそシャナンは細身剣から力を発揮できないハンマーに切り替えたのであった。


 シャナンはズシリと重い右手とは別の左手で、胸に掛けたタリスマンをギュッと掴みつつ不安そうに呟いた。


「アスラン……お願い、私を守って……」


 王国の王子であるアスランからもらったタリスマンを握り念じると胸の奥から来る感情が払拭される。しばらくして落ち着いたシャナンはトーマスとカタリナとともに、ダンジョンの探索に向かっていった。

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