恐慌発動と明日への絶望
嫌悪感を催す虫の手が木箱に伸びて来る。必死で振り払おうと抵抗する少女の思いは虚しく、手が少女の髪を掴む。
「イヤ!イヤ!離して!!」
ルサッルカがシャナンの髪を鷲掴みにする。髪を引っ張られて頭皮に痛みを感じる。だが、恐怖の対象は容赦をしてくれない。少女の痛みを無視して、木箱から強引に引き出す。引き出された少じょは脳吸いの顔を見て恐怖で顔が歪んだ。
その光景を見てニンマリとした表情を浮かべて脳吸いが語り掛けて来た。
「ダーメ!わがまま言う子は食べちゃうわよ?……あ、言わなくても食べちゃうか」
ゲタゲタと不愉快に笑う脳吸いの声が、より一層恐怖に拍車を掛ける。怖くて怖くて涙が止まらない。泣き叫んでも誰も助けてくれない。
──前と同じ──また同じ──
少女は男に嬲られたあの時とまた同じ絶望感を味わい、涙と鼻水を垂らしながら許しを乞う。
そんな彼女の思いを無視してルサッルカがシャナンを地面に放り投げた。
「ギャ!……」
カエルが潰れた様な声を出し、シャナンが地面に叩きつけられる。頭を軽く打ち、額から血が流れてくる。その光景を見て急にどうしたのかルサッルカが持っていた布切れでシャナンの顔を拭き綺麗にする。
「ほらほら、泣いてちゃ可愛い顔が台無しよ。それに鼻まで出て……ほら、チーンしなさい」
ルサッルカの行いに一瞬戸惑い、シャナンが疑問の表情を浮かべる。
「ど、どうして……?」
シャナンがルサッルカの行いが不可解だったのか、疑問の声をボソリと呟く。だが、ルサッルカの行為はただの食事前の儀式に過ぎなかった。
「汚いと食べる気分が失せるのよね……」
妙な拘りを見せたルサッルカがシャナンに視線を向け、ニヤリと笑った。それと同時に、聞きたくない食事前の一言をつぶやいた。
「じゃぁ、いただきまーす」
ルサッルカが口元から細長い針状の管を伸ばす。その管がゆっくりとシャナンの耳元に近づいてくる。
「……ヒッ……!」
───殺される────
───しかも残忍な方法で─────
───このバケモノに脳を吸われて殺される─────
とてつもない恐怖が少女を襲う。何もかも考えられない。彼女の思考は
だが……スキルは止まらない────
──────
─────
────
───
──
─
”ゾワリ“
ルサッルカが背筋に強い悪寒を感じた。この感覚は精神系魔法を受けた時に感じる物だ。だが、
この部屋には動けない“餌”と今まさに食べようとしている少女しかいない。敵対する者などいないはずだ。ルサッルカは違和感から口吻を止め、周りを見渡す。
「な…何よ…さっきの…ん……」
部屋の中央から”餌“たちのうめき声が聞こえる。その声は麻痺による苦しみから発する声では無く、もっと”何か恐ろしいモノ”に怯えたような声であった。
いつもと違う声にルサッルカが疑問を感じて“餌”を見やる。そこには麻痺しているにも関わらず必死に逃げようと体を揺する涙と鼻水、果ては失禁で汚物に塗れた人間たちが蠢いていた。
「なにこれ?……さっきの悪寒に関係してるの?」
“餌“たちの怯え様は尋常ではない。もしかすると、敵が潜んでいるかもしれない。
周りを必死に見渡すが誰もいない。だが、”餌”たちのうめき声は止まらない。どうしたことかと、足元の少女を見ると、下を向きつつ、何やら呟いている。
その光景に違和感を感じる。もしかすると何かしらの力を発動させているかもしれない。
「もしや、このガキの!?」
今すぐ殴り飛ばしたくなったが、ルサッルカは慎重を期すために魔法で少女の能力を探る。
「
魔法の結果が自身の脳裏に現れる。ただの餌だと思っていた少女がもしかすると、とんでもない相手だったかもしれないとルサッルカは思い始めた。
ルサッルカが
「ステータスは大して高くないわね……!?い、いや……このクラス……勇者!?」
ルサッルカが驚愕で目を丸くする。
だが、それと同時に自信がその手柄を一身に受けることが出来るかもしれないと考え始めてきた。
「僥倖!僥倖よ!こんなところに勇者がいるなんて。まさに僥倖!お前を魔王様に差し出せば、もうあんな奴に協力する必要なんて無くなるわ!なんてツイてるの!」
ルサッルカが嬉しさのあまり小躍りする。あまりの幸福に歌い出したい気分になりクルクルと回転して鼻歌を歌う。
「誰がツイているって?」
だが、重く暗い声がルサッルカの浮かれ声に水を差す。
振り向くと少女が膝の汚れを払い、起き上がっていた。
そこから漂う雰囲気は先ほどまで涙を流し、恐ろしさから怯えた目を向けた少女ではなかった。代わりに眼前にいる相手は瞳に強い憎悪を燃やしていた。
「あら?何よ。開き直っちゃって。勇者だからと言ってもアンタなんか怖くないわよ。そんな程度のステータスで私に勝てると思ってるの?」
「ヤレヤレ…
シャナンが人差し指を左右に動かし、チッチッチと口を鳴らす。
あからさまに先ほどと違う雰囲気をまとった少女にルサッルカが訝しむ。この余裕はどこからくるのか。もしかすると“勇者の固有スキル”が、その自信の裏付けかと考えた。
だが、
召喚されたばかりで経験も無い勇者なのかもしれない。もしかすると先ほどの悪寒も気のせいだったのだろう。目の前の少女は自身が勇者だからと破れかぶれのハッタリをきかせているに違いない。
ルサッルカはそう考えてシャナンと対峙する。
だが、この考えは都合の良い思い込みに過ぎなかった。
鼻を鳴らしてルサッルカがシャナンに指差して強めの口調で話し掛ける。
「生意気な子ね。アンタには麻痺が通じないみたいだし……そうだ。両手両足をへし折ってあげるわ。そうすれば、もう逃げられないわね」
「そう。そうなりたいのね。分かったわ、虫野郎…両手両足をへし折ってやるわ」
「……今、なんて言ったの?」
「虫野郎よ。昆虫だと人様の言葉が理解できないのかしら?ゴキブリ頭の害虫…」
「……両手足を折るだけじゃ無いわ。引きちぎってダルマにしてあげる」
「ったく、注文が多い昆虫ね。分かったわ。アンタをダルマにしてあげる」
「ムキー!!」
怒りで感情が高ぶり、ルサッルカが頭の触覚を天に突き上げる。それと同時に魔法の詠唱を始めた。
「世界に遍く水の精霊よ!世界の理に掛けて我が力となれ!
ルサッルカの手の先から圧縮された水流が放たれ、シャナンに飛来する。勢いよく飛び出す水流をまともに食らえば、圧力で体に強いダメージを食らうに違いなかった。
だが、シャナンは蝿を払うかの様に片手で水流を弾き飛ばした。
「んな!何ですって!」
「魔法触媒無しでこの威力…やるわね。じゃあ、私もお礼に面白いものを見せてあげる」
水に濡れた手をパンパンと払い、シャナンが大きく息を吸い込んだ。
「“世界の理に代わり、勇者が命ずる。彼の者に祝福されし魔法を吹き飛ばせ!"
シャナンが両手を組み頭上に上げる。眩い光がシャナンに集まる。光が収斂して彼女の両手と一体化したと同時に勢いよく振り下ろす。両手の先に集まった光が振り下ろした勢いでルサッルカに向けて放たれた。
”パリン“と小気味いい音がしてルサッルカに掛かっている多層の障壁が弾け飛んだ。
「んな……!」
「ほら、アンタを守る壁はもう無いわよ。じゃあ、私のスキルのお出ましね。”恐慌発動“……それに”明日への絶望“!……さあ、たっぷりと楽しみましょう」
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