延長戦 第27戦:牡丹と紅葉~メイン・テーマ/スタンダード・ナンバー
真っ暗な室内で、にも関わらず。牡丹はベッドへと身体を投げ出し、無意味にも天井のただ一点を見つめる。
が、ちらりと不透明な瞳を揺らし。
(『ごめんなさい』って、つまりはそういうことだよな。好きって、俺のこと、好きだって。そう言っていたのに、どうして。
確かに返事をするのに、何カ月も掛かっちゃったけど。でも、俺は昨日のことみたいに、まだあの日のことをこんなにもはっきりと覚えているのに。なのに、紅葉は忘れちゃったんだろうか。
紅葉だけは違うって。理由とか根拠とか、そういうのはよく分からないけど、でも、ずっとそう思っていたのに……。)
ごろんと一つ寝返りを打つと、牡丹は枕に顔を押し付け。カチカチと、時計の針が進む音ばかりが彼の鼓膜を震わせる。
一体それが、何周したことだろうか。長針と短針、何度目かの交差の後、牡丹はのろのろと顔を上げさせていき。
「……そうだよ。これで良かったんだ。うん、これで良かったんだ。
紅葉がいなくても、なにも変わらない。今まで通り、前みたいに、一人で生きていくだけじゃないか……!」
まるで自身に言い聞かすよう何度も何度も繰り返させると、牡丹は自嘲に似た笑声を上げ。その音に、情けなくも酔い痴れる。
こうして夜は、次第に更けていき――……。
「おい、牡丹。大丈夫か?」
「ああ……」
「大丈夫」と淡々と、牡丹は隣を歩く竹郎に答える。けれど、目の下の隈に加え充血した瞳に、説得力などある訳がなく。
それでもだらだらと廊下を歩き。次の授業が行われる教室へと向かっていると、角を曲がった途端、ぴたりと足が止まり。ちらりと目の端に映った一人の女生徒を、牡丹は無意識にも目だけで追っていく。
が。刹那、彼の瞳は一瞬の内に淀んでいき。無意識にも、教科書を持つ手には力が入り。
(俺があげたあの髪留め、紅葉、ずっと付けてくれていたのに。なのに。
可愛いって。嬉しいって喜んでくれたのに、本当は気に入ってなかったのか?
……なんだよ、だったら無理して使うことなかったのに。)
ますます手には力が籠るが、けれど、その後ろ姿を黙って見送るしかなく――……。
暗転。
雲一つ見当たらない、昼時の青天の下――……。
一人裏庭のベンチへと腰を掛け、黙々と弁当を食べていた牡丹だが、ふと天を仰ぎ。
「弁当、一つだとやっぱり足りないや」
残り少ない中身を前に、口先からは乾いた息が漏れ。その音が消えると同時、今度はいくつもの足音が耳を掠めさせる。
音のした方を振り向くと、そこには複数の女生徒の姿があり。
「あっ。いた、いた。天正せんぱーい! お昼、一緒に食べましょう」
「嫌だ」
「えー、どうしてですか? 一人でなんて寂しいじゃないですか」
「うるさいな、放って置けよ。俺は静かに食べたいんだよ……って。お前等、人の話を聞けよ」
きっぱりと断る牡丹をそれでも無視し。女生徒達は、勝手に牡丹の周りへと座り出す。それからお弁当を広げ、愉しげに談笑を始める彼女等に、牡丹の眉間には薄らと皺が寄っていき。
「お前等なあ。少しは人の話を聞けよ」
「まあ、まあ。別にいいじゃないですか。お昼を一緒に食べるくらい。
天正先輩、私の卵焼きあげます」
「あっ。私のも、どうぞ」
「先輩。はい、あーんして下さい」
「おい、やめろよ。いらないって」
「えー。どうしてですか? 先輩、卵焼き好きじゃないですかー」
「うっ、そうだけど。今日は食べたい気分じゃないんだよ」
「気分じゃないって、変な先輩」
ふっと顔を逸らさせる牡丹に向けていた箸先を、彼女達は自身の口元へと運び。ぱくんと摘まんでいたそれを、呆気なくも食べてしまう。
もぐもぐと、口を動かすこと数回。ごくんと喉を鳴らすと、女生徒等は一様に牡丹を見つめ。その内の一人が代表とばかり、またしても口を開き。
「所で先輩。甲斐さんと喧嘩したんですか?」
「なっ!? なんだよ、急に。別に喧嘩なんかしてないし……」
「そうなんですか? だったら、どうして最近、甲斐さんとお昼一緒に食べないんですか?」
「それは……。お前達には関係ないだろう」
「関係ないなんて、そんな。それに、みんな言っていますよ。ここの所、先輩と甲斐さんがお昼を一緒に食べていないのは、喧嘩でもしたからじゃないかって。それとも、甲斐さんのこと、振ったんですか?」
「だから……!」
「人の話を聞け!」と牡丹が一喝するものの、しかし。女生徒達の口は、それぞれ好き勝手に動き続け。
そんな彼女等に、敵う気がしないと。大体、振られたのは俺の方だしと。牡丹は思うものの、情けなさ故に心の内にだけ留めさせ。
黙々と残りの弁当を食べていると、またしても急に矛先が彼へと向けられ。
「先輩。甲斐さんのことはさっさと忘れて、これからは私達と一緒にお昼食べましょうよ」
「そうですよ。私達と食べた方が、賑やかで楽しいですよ。それに、華もありますしね」
「あっ、そうだ。先輩、私達の中で誰が一番タイプですか?」
「あー。それ、とっても気になるー。
先輩、勿論私ですよね?」
「ちょっと、抜け駆けなんて狡いわよ!
先輩、私ですよね? 私が一番先輩のことを知っているもの。なんだったら、このまま付き合いましょう」
「なに言っているのよ。アンタ、彼氏いるじゃない」
「あー……。それなら別れたわよ」
「えー。なんで? ていうか、聞いてないんだけど」
「だって、別れたのは昨日だし。アイツ、キス超下手だったんだもん」
「えー、そうなの? ふうん。でも、キス下手なのは駄目だよね」
「うん、うん。そこは大事だよ」
「本当。いくら好きでも、やっぱり幻滅しちゃうよね」
きゃっきゃ、きゃっきゃと、悪気なくも甲高い音が奏でられる中。一人だけ、牡丹はぐにゃりと酷く顔を歪ませ。
(もしかして俺、下手だったのかな……? だから紅葉、俺のこと嫌いになったんだろうか。
でも、したことないから。上手いとか下手とか、そういうの、よく分からないし。それに、紅葉がそんなことで……。)
だけど。
(俺は初めてだったけど、でも、もしかしたら紅葉は違うのかもしれない。紅葉は、初めてじゃなかったのかも。俺の知らない男と、実はもう何度も……。
……俺、紅葉のこと。知っていたつもりになっていただけで、本当は、)
「全然知らないや――……」
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