第167戦:梅が枝に 鳴きて移ろふ 鶯の

 朝独特の、燦爛とした光がカーテン越しに入り込み。その光と同じくらい、煌びやかな室内に突如コンコンと軽快なノックの音が響き渡り。



「おはようございます、道松様。よく眠れましたか? ……って、あれえ。兄弟仲良くお休みになられていたんですか? ふうん。

 どうします? 藤助様も起こしますか?」



 そう訊ねる陽斗に、道松は一人布団から抜け出し。



「いや、自然と目を覚ますまで、このまま寝かせておいてやれ。ここの所、思うように寝られていないんだ」


「そうですか。あっ、着替えはこちらになります。それで、今日のスケジュールですが……」



 陽斗は胸元から手帳を取り出すと、そこに書かれている緻密な予定を淡々と述べていく。それに従い、道松の眉間には自然と皺が寄っていき。



「あのクソジジイ、調子に乗りやがって……! 人のこと、どれだけ扱き使う気なんだよ」


「それは道松様の気が変わっても逃げられないよう、今の内から網を張っているのでしょう。ほとんどが挨拶回りですしね」



 けろりとした顔でそう返すと、陽斗は引き続き。機械的に、今日の予定を読み上げて言った。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 ふわふわと、心地良い感覚に。牡丹はどっぷりと身を浸からせていたものの、頬にくすぐったさを感じ。



「うん……、満月……? えっと、ここはどこだ……?

 あっ、そっか。ウチは、なくなっちゃったんだっけ」



 むくりと上半身だけ起こし上げ、眠気の残る頭を軽く揺らし。彼が横を見ると満月が小さな舌を突き出し、ちろちろと牡丹の指先を舐めていた。


 それを特に諌めることもせず、牡丹は彼女の好きにさせ。自身は布団に包まったまま、薄ぼんやりと頭を動かし。



(こんな立派なホテルに泊まっていること自体信じられないのに、色んなことが一度に起こり過ぎて。親父に会ったことも家を取られちゃったことも夢みたいだし、菊が妹じゃなかったこともまだ信じられないな。

 もしこれがただの旅行だったら、すごく嬉しかっただろうけど。いつまで経っても俺が長い夢を見ているだけなんじゃないかって、なかなか現実を受け入れさせてくれなくて。)



 牡丹は、ゆらりと虚ろな瞳を揺らし。



(このまま菊は定光の思惑通り、アイツと結婚するんだろうか。

 芒も親父に連れて行かれちゃうし、道松兄さんだって豊島家に復縁するの、あんなに嫌がっていたのに……。

 それもこれも全部親父の――、鳳凰家の所為だよな。

 鳳凰家――……。

 定光は俺達のことを――、親父の血を引く天正家の人間のことを恨んでいるんだろうか。今まで散々親父のことを恨んで生きてきたけど、反対に誰かに恨まれているなんて。そんなこと、)



 考えたこともなかった……と、天井につり下がっているシャンデリアを見上げながら。牡丹は考えに耽っているも。



(ん……? なんか生温かいような……。)



「って、満月、お前――っ!??」






 閑話休題。






 満月のことを、ぎゅっと強く抱き締めて。ベッドの傍らで忙しなく動いているスタッフを、牡丹はぶるぶると小刻みに震えながらも眺め。



「あの、本当に済みませんでした……!」



 蒼褪めた顔をしている牡丹とは裏腹、彼女は整った微笑を浮かばせ。気にする必要はないと、優しく声を掛ける。


 その様に、彼は一つ小さな息を吐き出させ。



(ったく、満月の奴。おねしょなんかしやがって……。)



 選りにも選ってこんな高級ホテルでと、じろりと彼女のことを睨み付けるも。腕の中で小さく縮こまっているその姿に、牡丹は目に入れていた力を緩めさせる。



「そっか。お前、芒がいなくて寂しいのか」



(いつも芒にべったりだったからな。)



 きゅうんと悲しげな声で鳴き続けている満月の頭を、牡丹はそっと撫で付ける。その内、彼女は自身の顔を牡丹の胸板へと擦り付け始めるが、彼の腹の辺りからぐるる……と間の抜けた音が響き渡り。



「お腹、減ったな……」



 こんな時でも、自然と腹は空くもので。なんだかなあと思うものの、生理現象には逆らえる訳もなく。


 牡丹は満月を抱いたまま部屋を出ると、ふわりと芳しい匂いが鼻を擽り。それに続いて、兄達の姿が見え。



「おはようございます」


「おう、牡丹。やっと起きたか」


「あれ、道松兄さんは? まだ寝ているんですか?」


「いや、アイツは朝からお仕事だとよ。それより、腹減っているだろう。朝ご飯、お前も食べろよ。とは言え、もう昼過ぎだけどな」



 梅吉は休む暇なく手を動かしながら、「美味しいぞ」と、彼を促す。そんな兄の隣に牡丹も座るが、目の前に広がる豪華絢爛な朝食に、思わずフォークを宙に浮かばせたまま止めてしまい。



「あの……。そう言えば、ここの宿泊費とか食事代とか。そう言うのって、一体どうなっているんですか?」


「ああ。それなら豊島家が――というか、お兄ちゃん持ちらしいぞ。だから、気にする必要はないってさ。

 そう言えばここのホテル、ジムにプール、スパまで完備されているんだぜ。訊いたら自由に使っていいってさ」


「もう、梅吉ってば。遊ぶことばかり」


「だって、世間では今日はクリスマス・イブなんだぜ、クリスマス! 本当だったら今頃俺は、栞告ちゃんとデートしていたはずなのにーっ!!!」



 すると、梅吉は持っていたナイフとフォークを投げ出し。わんわんと顔を伏せて声を上げ出す。


 彼の正面に座っていた藤助は、ナプキンで口元を拭いながらも呆れた面を浮かばせ。



「だから、行って来れば良かったのに」


「こんな時に行けるかよう。しかも、朝からびっしりスケジュールを立てていたんだぜ。何日も徹夜して考えたのに。

 あの腹黒俳優野郎、よくもデートの邪魔をしやがって。絶対に許さん……!」



 泣き言を漏らしていたかと思いきや。今度は恨み言を唱え出す兄に、忙しいなと。淹れ立ての紅茶を飲みながらも、牡丹は薄らとだが同情を寄せる。



「牡丹もクラス会、行かなくて良かったの?」


「はい。行っても楽しめなそうなので」


「あーっ!! こうなったら、ぱーっとホテル生活を満喫しようぜ。

 なあ、なあ。夕飯はどうする? どうせなら、レストランにでも行くか? 和食に洋食、なんでも揃っているみたいだしさ」


「食べ終わったばかりなのに夕飯の話なんて。それに、人のお金だと思って」


「だって、道松はパーティーに出席するって言うしよー。どうせ美味い物いっぱい食べるんだ。俺達だって少しくらい、豪華な物を食べても構わないだろう。

 それに、こんな良い物を食える機会なんて。一生の間にもうないだろうしさー」



 相変わらずな態度でホテルのサービス案内を眺めている梅吉に、藤助は半ば羨望の眼差しを向け。



「それより、これからのことを話し合わないと。道松はともかく、俺達までお世話になるのはやっぱり悪いしさ」



 今頃どこで何をしているのか。想像が付かないながらも、彼等は揃って長兄を思い浮かべ。






 暗転。






 一方、その頃。


 移動中の車の中で、そんな長兄こと道松は、ぐったりとした様子で背凭れに身体を預けさせている。


 それでも上手く焦点の定まっていない瞳を、どうにか陽斗の方へと向けさせ。



「なあ、今日はもういいだろう」


「駄目ですよ。この後、パーティーに出席する予定なんですから」


「パーティーだと? パーティーなら尚更行かなくてもいいだろうが。適当に誤魔化しておけ」


「何を言っているんですか。主役がいなくてどうするんです」


「はあ、俺が主役だと?」



 どういうことだと問い質す前に、とあるホテルの前で車は停まり。会場へと連れて行かれるも、垂れ幕に書かれている文字を見るなり、道松の眉間にはこれでもかと言うほど皺が寄っていき。



「……おい。これは一体どういうことだ……?」


「ですから、道松様が主役だと。先程お伝えしたじゃないですか」



 まるで小馬鹿にするよう、抑揚なく答える陽斗に。道松は単純にも、ますます神経を逆撫でられ。


「あのクソジジイ――っ!!!」

と、ありったけの怒りを込め。本日一番の絶叫が、彼の口から吐き出された。

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