花札絵巻〜華族ごっこ

第156戦：声聞く時ぞ 秋は悲しき

「はあ？　萩が風邪引いたって……」

　朝、教室に着くなり。竹郎の口から伝えられ、何をやっているんだと牡丹は呆れ声で後を続けさせる。

　その声に、近くにいた明史蕗が反応し。

「あら、そうなの？　確かに昨日から様子は変だったけど。馬鹿は風邪引かないって言うのにね」

「けど、足利って、馬鹿と言うより阿保だからなあ。腹でも出して寝たんじゃないか？

　そういやあ、アイツって一人暮らしだったよな。こういう時、一人だと色々大変なんだよなあ」

　己の経験からか。竹郎は、しみじみと一人身の苦労を語り出し。その訴えを、牡丹は遠くに聞きながら。

（萩が風邪ねえ。確かにアイツ、普段は全然引かない癖に。一度引くと、長引くタイプだからな。

　丁度、部活も休みだし……。）

　帰りに少し寄ってみるかと、窓越しに空を眺め。牡丹は一つ、乾いた息を吐き出した。

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「くそう、あんな間抜けな告白になっちまうなんて……」

　その上。

（湯冷めして、風邪引くなんて。）

「超だせえ……」

と、自己嫌悪に浸りながら。天井を見上げていた萩だが、ごろんと一つ寝返りを打ち。上半身だけを起こし上げると、ずるずると這うようにして冷蔵庫の前へと移動する。

　そして、扉を開け。冷気を顔面に受けながら。

「くそっ。この風邪薬、即効性抜群なんて謳って置きながら効かないじゃないか。全然熱が下がらないぞ。広告詐欺め、ジ●ロに訴えてやる。

　食べる物もほとんど残っていないのに、買い物に行く気力なんて……」

　ある訳ないと、分かっていながらも。己の意志とは無関係に、腹は勝手に空くばかりで。

　萩は執拗に冷蔵庫の中を漁り続けるも、元々たいして物の入っていなかったその中を漁るのに、たいして時間が掛かる訳もなく。

　やはり我慢するより他にないかと、諦めた最中。ピンポーンと、甲高いチャイムの音が鳴り響き。

「なんだよ、またセールスか？　ったく、こんな体調で相手なんかできるか」

　そう結論を出すと、萩は無視を決め込むことにするも。チャイムの音はなかなか鳴り止まず。

　彼は青筋を立てさせると、勢いよく立ち上がり。

「だーっ、うるせえっ！　こちとら具合が悪いんだよ！」

　持てる力を振り絞り、扉を大きく開け放つも。扉の前に待ち受けていた人物の姿が目に入るなり、忙しくも彼は後ろに大きく飛び退き、そして。

「も、紅葉さんっ――！？？」

　予想もしていなかった来客に、萩は何度も瞬きを繰り返させる。

　だが、それでもなかなか信じることができず。熱による幻覚ではないだろうかと頬を抓ってみるも、その像が消えることはない。

「済みません、その。萩さんが風邪を引いたと与四田さんから聞いて、それで……。えっと、突然訪ねたりして、迷惑でしたよね。萩さん、一人暮らしだから色々大変かと思って」

「来たんですけど……」と遠慮深げに続ける紅葉に、萩はぶんぶんと首を大きく左右に振り。

「いえ、そんなこと！　済みません、ちょっと待っていて下さい！」

　口早にそう言い残すと、萩は急いで部屋の中へと戻り。ゴミをまとめ、床に散らかっていた物を適当に押し入れの中へ突っ込む。鏡の前でボサボサの髪を手櫛で軽く整えると、仕上げとばかり消臭スプレーをあちこちへと吹き掛け。部屋全体を見回しチェックが済むと、彼は再び玄関の扉を開ける。

「済みません、お待たせしてしまって」

「いえ。あの、お腹空いていませんか？　もし食べられるようであれば、お粥でもと思って」

　紅葉は萩の顔色を窺いながらも、ビニル袋を掲げて見せ。

　数十分後――……。

（紅葉さんお手製のお粥が食べられるなんて……！）

　風邪を引いて良かったと、単純にも。萩は感動に浸る一方で、がつがつとお粥を掻き込ませる。

　息吐く暇なくスプーンを動かし続ける萩に、紅葉は心配げな表情で。

「あの、お口に合いますか？　無理しないで、食べられるだけで構いませんので……」

「いえ、とっても美味しいです！　こんな野菜がたっぷり入ったお粥なんて、生まれて初めて食べました」

「そうですか？　それなら良かったです」

　早々と中身の減っていく器に、紅葉はほっと小さな息を吐き出すが、何故か直ぐにも表情を曇らせ。俯く彼女に、萩はびくんと肩を震わせる。

「紅葉さん！？　あの、どうかしましたか……？」

「いえ、その。私の所為、ですよね……」

「え？」

「萩さんが風邪を引いてしまわれたのって、私の所為ですよね……？」

　刹那、ぽたりと小さな音が鳴り響き。紅葉の瞳から、一粒の雫が流れ落ちる。それを契機に、次から次へと止め処なく涙が溢れ出し。

　泣き出す紅葉に、萩の顔色は一気に蒼白く変化する。

「いえ、そんなこと！　俺が勝手に体調を崩しただけで、紅葉さんの所為だなんてことは、これっぽっちもありませんから！」

「でも、でも……！　いきなりだったのでびっくりして、それで逃げてしまって。だけど、すごく失礼だったなって」

「それを言うなら、俺の方が。その、タイミングが悪かったというか、なんというか……。

　とにかく、紅葉さんの所為ではありません！」

　拳を強く握り締め。そう言い放つ萩に、紅葉の瞳から流れ続けていた涙はぴたりと止まり。

「あの、私、萩さんのこと……。とっても優しい人だって、そう思います。でも、やっぱり私は、牡丹さんのことが好きで……。

　なんだか上手くいかないですね」

　弱々しいながらもふわりと微笑んで見せる紅葉に、萩の意識は一瞬の内に遠くへとぶっ飛ぶ。それにより、手はすっかりお留守となり。掴んでいた器は自然と傾き、残っていた中身はどばどばと勢いよく彼の腹の辺りへと飛び出していき。

「あっちーっ！？？」

　突如襲って来た高熱に、萩は思わず立ち上がり。立ち上がるが、ぐらりと視界が大きく揺れる。

　続いて、ずどんと鈍い音が部屋いっぱいに響き渡り。軽く埃が舞い上がる中、未だ揺れる頭をそのままに。萩は、ゆっくりとそれを上げていき。上げていくが、鼻先で絡んだ大きな瞳に、身体は刹那的にぴたりと硬直し。

「あ……、」