第139戦:白菊の 咲き極まりて 衰ふる

 市内にある、とある空手道場の裏手にて――……。



「苺大福、食べる?」



 にこにこと、桜文は菊に向かって差し出すも。彼女は薄らと唇を開かせていき。



「……いりません」


「そっか。この苺大福、とっても美味しいのになあ」



 がっかりとした様子で、「美味しいのに」と。桜文は繰り返させると、その手を自身の口元へと運ぶ。


 もぐもぐと口を大きく動かしていると、ふと視線を感じ。



「えっと、やっぱり食べる? まだあるから、ほら」


「いらないと何度も言っているじゃないですか。しつこいですね」


「でも、じっとこっちを見ているから。やっぱり食べたくなったのかなって。そう思って」



「あげるよ」と続ける桜文に、菊は小さく首を振り。代わりに彼の左頬を指差してみせる。


 そんな彼女の動作につられるよう、桜文は自身の頬に触れ。



「ああ。もしかして、この絆創膏?」


「なんで……」


「え?」


「なんで貼ってるの?」



 菊は何故か瞳を尖らせ、じろりと鋭く桜文を睨み付ける。


 その視線に思わず彼は怯みながらも、しどろもどろに後を続けさせ。



「なんでって、せっかく菊さんがくれたから。それに、使わないと勿体ないかなって」



 そう返す桜文に、菊の瞳はますますじとりと細まっていき。



「……バカじゃないの?」



 そうきっぱり言い捨てると、彼女は一足先にその場を後にする。


 残された桜文は、すっかり持て余していた苺大福をどうするものかと一寸考え込むも、直ぐにまた頬張り出し。



「うーん。この絆創膏、使ったら駄目だったのかなあ……」



 こてんと首を傾げさせ、それから真っ蒼な空を見上げながら。


 女の子の考えることは、よく分からないと。


 最後の一口を惜しみながらも呑み込ませるや、ぽつりと口先で呟いた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 時は過ぎ。淡い紫色の中に薄らとだが橙色が残る空を背景に、いつも通りとばかり。人気がなくなった頃合いを見計らって道場を後にする菊だが、石段に向かって歩いていると不意にこつんと何かが足に当たり。



「キーホルダー……?」



 指先で摘まんで目の高さに合わせて見るが、随分とボロボロだと。持て余してしまったそれを、菊はぶらぶらと適当に宙で揺らす。そして、どうしようかと悩んでいると、ふと後ろから声が上がり。



「あっ、それ! そのキーホルダー、俺のなんだ」



「ずっと探していたんだよね」と、いつの間に近くまで来ていたのか。頭に葉っぱやら砂埃やらを付けたままの桜文の姿がそこにはあり。菊は手の中のキーホルダーへと視線を戻し、ちらりと見直してから彼に手渡す。


 受け取るや、桜文は盛大に安堵の息を吐き出させ。



「良かった、見つかって。失くしたら桜藺はるいに怒られちゃうからなあ」


「桜藺……?」


「うん、俺の妹。……って言っても、もうこの世にはいないけどさ」



 へらりと寂しげに。桜文が笑みを浮かばせると、一筋の風が二人の間に流れ。


 その悪戯によって乱れた髪を、菊は軽く指先で直しながら。



「……『もうこの世には』って、過去形?」


「うん、何年も前に死んじゃった。お袋と一緒に家が火事で燃えちゃった時に」


「火事ってことは、事故?」


「えっと、それが事故ではなく事件で。連続放火犯による仕業でさ。俺は偶々通っていた道場の合宿に行っていたから、一人だけ巻き込まれずに済んだんだよね」



 淡々と説明していく桜文に、菊は無表情のままゆっくりと唇を開かせ。



「恨んでる?」


「え……?」


「その犯人のこと、恨んでる?」


「んー……。どうだろう」



 菊からじっと見守られている中、桜文は腕を組み。うんうんと、小さな唸り声を上げて考え出す。


 が。



「そうだなあ。いくら恨んだって、桜藺とお袋が戻って来る訳でもないし、どちらかと言うと……、ううん、なんでもない。

 そうだね。恨んでいないと言ったら嘘になるけど、でも、今の俺には兄弟がたくさんいるから。みんな変な奴ばかりで、本当、毎日飽きなくて。桜藺達のことを忘れられる時なんて、片時もないけれど。それでも、俺は生きていけるから。今はそれでいいかなって。そう思うんだ――……」



 柔和な笑みを添え。締め括る桜文であったが、しかし。一方の菊は、むすりと眉間に皺を寄せており。


 そんな彼女に構うことなく、桜文は突然、「あっ」と小さな音を漏らす。



「あのさ、これ。この間、返してくれた治療費だけど。やっぱりいいよ、俺が無理矢理連れて行ったんだ。だから、これは大事に取って置きなよ」



 そう言って鞄の中から取り出した封筒を彼女の前に差し出すも、菊はそれを受け取ろうとはせず。いつまで経っても、その封筒は宙の一点で留まる。


 無意味にも、強かな風ばかりが流れ。そんな中、菊は漸く口の端を上げさせていき。



「……別にお金がない訳じゃない。本当なら、それなりの生活くらい簡単に送れる。だけど、お母さんが余計なことばかりにお金を使うから」


「余計なこと?」


「ただでさえ舞台に上がるだけでも、衣装代やらでお金が掛かるのに。演技の幅を広げる為とか言って色んなことを習わせるし、挙げ句には要りもしない高い服とかアクセサリーを買って来るから」


「えっと、それは菊さんの為に……。色々してあげたいんだよ、きっと」


「違う……」


「え?」


「お母さんは私のこと、人形とでも思っているの。あの人がしていることは、ただの人形遊び。私に自分を投影させて自分ができなかったことを私にさせることで、まるで自分がしたつもりになって。それで勝手に満足している、可哀想な人よ」



「可哀相な人よ――」と、より鮮明な声で。繰り返させると、菊は宙に浮いたままの桜文の手を払い除ける。


 そして、鋭い瞳を以って彼のことを睨み付け。



「今の道場に通う前、別の道場に通っていた。母の手前、受講料なんて払わなくていいと言っていた癖に、月謝が払えないなら体で返せって。そう言われて、汚い手でベタベタ触られた。だからその講師のことをボコボコにしてやったから、前の所にはいられなくなった」


「ボコボコって……」


「今までだって、こういうことは何度もあった。別に初めてでもなんでもない。だから。

 アンタのことだってちっとも信用できないし、私は騙されたりしない――!」



 そう強く言い放つと同時、菊の感情に呼応するよう強かな風が吹き荒れ。刹那、ひらりと彼女のスカートが、その作用により軽く浮き上がる。


 暫くの沈黙の後、菊の肩は微弱にも震え出し……。



「えっと、あの、その……」



 おろおろと、すっかり挙動不審に。右往左往することしかできない桜文を余所に、菊は一気に彼との距離を詰めていき、そして。


 右手を大きく振り上げて。



「変態――!!」



 甲高い音と共に、ぱんっ――! と乾いた音が、辺り一帯に響き渡った。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






「桜文お兄ちゃん、どうしたの? ほっぺ、真っ赤だよー?」



 へにょりと太い眉を下げ。無理矢理笑みを取り繕う桜文を、芒は心配げな顔で覗き込み。掌を使って、優しく彼の右頬を擦る。


 そんな二人の遣り取りに、台所にいた藤助も気付き。



「あっ、本当だ。随分と腫れているね。どうしたの? どこかにぶつけたの」


「うん、そんな所かな」


「ふうん。なんだか最近、怪我してばかりじゃない?」


「そうかなあ?」


「そうだよ。この間だって、引っ掻き傷を作ってきたじゃないか。本当、何をやっているんだか」



 半ば呆れ気味の藤助から芒は氷の詰められた袋を受け取ると、「僕が冷やしてあげるね」と。問題の箇所へと宛がえさせる。


 じんわりと、冷ややかな熱が肌へと滲みていく中。徐々に氷は溶けていき。袋の中でぶつかり合うと、からんと甲高い音を鳴らした。

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