第136戦:咲かむ春へは 君し偲はむ

 清閑と静まり返っている薄暗い廊下で、菊の嗚咽ばかりが小さくも響き渡り。その音が、牡丹の脳内を強く揺さ振り続ける。


 ただ茫然と突っ立ったままの牡丹であったが、不意にばたばたと忙しない音が遠くの方から聞こえ。



「牡丹、菊――!」


「兄さん達……、」


「二人は大丈夫? どこも怪我してない? それで、どんな状況なの? 桜文の容態は?」



 一方的に口を動かす藤助に、梅吉が制止の音を上げ。



「おい、藤助。少しは落ち着け。ここで騒いだって、なんにもならないだろうが。

 そういやあ、ストーカー犯はどうしたんだ?」


「そっちは萩に任せました。桜文兄さんの容態は、急所は外れているそうなので。命に別状はないだろうと言っていましたが、ただ、血液の在庫があまりないらしくて。菊はO型だから合わなくて、兄さん達の中でB型の人っていますか?」


「えっと。俺と道松、菖蒲はA型だし、梅吉と芒はAB型だから……」


「そうですか……」


「血、足りていないの?」


「いえ、多分大丈夫だとは思うんですけど、俺が提供したので間に合うだろうと言っていたので」



 それを聞き、安心したのか。一同は、揃って安堵の音を漏らす。


 落ち着きを見せ始める中、不意に梅吉は菊へと視線を向け。



「それにしても。菊ってO型だったのか? ふうん。性格的にAB型っぽいのになあ」


「ちょっと、梅吉ってば。こんな時に何を言っているんだよ」


「だって、なあ。そんで、牡丹はB型かー。母親もそうだったのか?」


「いえ、母さんはO型でしたが。それがどうかしたんですか?」


「いや、別に。ただ、牡丹もあまりB型っぽくないと思ってな」



 そう述べる梅吉に、菖蒲はいつも通り硬い口調で。


「血液型と性格との繋がりに、科学的な根拠はありませんよ」

と、彼らしく批判する。


 引き続き、待ち続け。どのくらいの時間が経過したのか、最早分からず。


 そんな中、漸く姿を見せた青色の集団に、肩の荷が下りたとばかり。張りっ放しであった気は抜けていき。



「俺と道松は、入院の手続きをしてくるから。みんなは先に帰ってて」


「ああ、任せたぞ。ほら、菊。歩けるか?」



 頼りない足取りの菊に付き添っている梅吉の姿を遠くに眺めながら。その場に突っ立ったままの牡丹に、小さな塊が寄って行き。



「牡丹お兄ちゃん、行こう」



 くいくいと、引っ張って来る芒に引かれるよう。牡丹はやっと足を踏み出し。その小さな手を強く、けれど、痛くないよう細心の注意を払いながらも。


 まるで縋り付くように、その手を握り返すことしかできなかった。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 あの日から、三日間。菊はずっと自室に籠もりっ放しで。その間、牡丹が彼女と顔を合わせることは一度もなく。


 夜分も遅く。閑散とした空気で占められているリビングの中に藤助は入って来ると、周りと同じようにソファへと座り。



「おい、藤助。芒はどうだった?」


「うん。満月と一緒にぐっすり寝ていたよ」


「そうか」



 そのことを確認すると、梅吉は乾いた息を吐き出させ。



「えー、これから第百回、天正家・緊急家族会議を開始する。議題は勿論、菊のことだ。記念すべき百回目の議題が、まさかこんな内容になるとは」



 たっぷりの息を添えさせて、梅吉は額に手を宛がえる。


 けれど、直ぐにもその手を退かし。いつも通り進行を務めるが、その声を遮るよう突如か細い音が発せられ。



「あ、あの……」


「どうした、牡丹」


「その、多分、俺の所為です」


「牡丹?」


「俺の所為です。菊があんな風になったのは、多分、俺の所為です。俺が、その。菊に言っちゃったから……」


「言ったって、何を?」


「それは……」



 部屋中の視線が集中する中、けれど、牡丹の喉奥が動くことはなく。いつまでも言い淀む彼に、梅吉は救いの手とばかり。薄らと口を開いていき。



「もしかして、――桜文のことか?」


「え……。もしかして兄さん達、知っていたんですか……?」



 ぱちぱちと、瞬きを繰り返し。ぐるりと同じ表情ばかりが並んだ顔を見回す牡丹に。



「そりゃあ伊達に何年も、一つ屋根の下で暮らしてはいないからな。

 それよりも、お前なあ……」



 彼等は揃って呆れ顔を突き合わせ。



「寧ろ、よく言えたな」


「本当、よく言えたよな」


「うん、よく言えたね」


「ええ、よく言えましたね」



 兄一同から、同時に非難され。



「分かりました、いえ、分かっています。俺が悪いってことは、嫌というほど分かっていますから!」



 勘弁してくれとばかり、牡丹はますます縮こまり。すっかり肩身を狭くさせている。


 情けない面をそのままに。



「俺だって後悔しているんです。でも、つい口が滑っちゃったというか、自分でも気付かない内に声に出ていたというか……。

 だって、まさか本当にそうだとは思わなくて……!」


「言っちまったもんは、しょうがねえよ。今更どうこうできる話じゃないからな。萩にもばれちまったから釘は刺して置いたが、まさか牡丹まで気付いて、その上、直接本人に言っちまうなんて。誤算だったぜ」


「だから、本当に悪かったですってば! あの。このこと、桜文兄さんは……」



 そう訊く牡丹に、梅吉は顔を歪めさせ。



「あのボケボケ男が気付いていると思うか?」


「いえ……」



 牡丹は口の端を苦めさせたまま、「済みませんでした」と。別段彼が悪い訳でもないのに、何故か自然と謝ってしまう。


 そんな彼の様に、藤助は苦笑いを浮かばせ。



「ははっ。でも、だからこそ今まで何事もなく過ごして来られた訳だし」


「それもそうだな。だからこそ、か。

 よし。ついでだからもう一つ、教えておくか」



 そう言うと、梅吉はぽんと一つ膝を叩き。牡丹の方へと身を乗り出して。



「実はな。……いたんだよ」


「いたって、何がですか?」


「もう一人、兄弟が」


「え? えっと、兄弟って……」


「だから、俺達にはもう一人、異母妹が――いや、お前にとっては姉になるのか。桜文は……、アイツは双子で、妹がいたんだよ」


「妹って……。そう言えば、ずっと前に桜文兄さん、『妹が――』って。えっと、確か学祭の準備をしていた時に。そんなこと、言っていたような」



(てっきり菊のことだと思っていたけど、でも、よく考えれば、『妹が好きだった』って。桜文兄さんがそう言っていたあのアニメが放送されていたのは、俺達が幼稚園児の頃だ。菊はあのアニメのこと自体知らないと言っていたし、それ以前に、そもそも異母兄弟の存在さえ知らなかったに違いない。

 なんでこんな簡単なこと、)



 直ぐに気付かなかったんだろうと、思う一方。牡丹はちらりと顔を上げさせ。



「それで、その。桜文兄さんの妹は、一体どこに……」



 彼等は互いの顔を見合わせ。一呼吸置いてから、やはり梅吉が口を開かせ。



「死んじまったよ、お袋さんと一緒に。アイツの家が火事で燃えちまった時にな」


「連続放火犯による犯行で当時は割と話題になっていたし、県内で起きた事件だったから俺もよく覚えているよ。桜文は通っていた道場の合宿に行っていて、家を離れていたらしくて。それで一人だけ、巻き込まれずに済んだって」


「だから、アイツにとって“妹”という存在は、特別なんだよ。俺達の中の、誰よりもな」


「誰よりもーー……」



 牡丹は、真似て口に出してみるものの。



(そう言えば、桜文兄さん。いつか言っていたっけ。菊のこと、大切な妹だって。

 でも、それって結局は。)



 彼は、憂いを帯びた瞳を揺らし。



「それで、どうするんですか……?」


「どうするって?」


「だって、たとえ異母兄弟でも、半分だけど血が繋がっているんですよ。なのに……!」


「言えるか?」


「え……」


「そんなこと、俺達がわざわざ言わなくとも、本人が一番よく分かっているだろうに。なんて。きっとただの逃げだな。

 けど、言えるか? 別に怖くもないストーカーに脅えているふりをして一緒に帰ってもらったり、寝たふりをして部屋まで運んでもらったり。そういう方法でしか甘えられない妹に、端から諦めている癖に、それでも諦め切れずにいる妹に、……言える訳、ないだろう」


「それに、二人は兄妹だって分かる前から、既に出逢っていたから。多分、その頃には菊はもう……」



 梅吉の後を受け、続ける藤助の消え入るような頼りない音が淡々と。けれど、牡丹の中へと静かに溶け込んでいき。


 混ざり合っていく過程で、その先を、全てを、自然と物語っていた。

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