第120戦:常にや恋ひむ いや年のはに

 今日という日もまだ始まったばかりだというに、二年三組の教室のとある箇所からは鬱蒼とした空気が放たれており。その発生源である萩は、思いっ切り牡丹のことを睨み付けて。



「お前の異母妹は凶暴過ぎるぞ! 昨日、殴られた所がまだ痛むぜ。おまけにアイスまで取られたし」


「そんなこと、俺に言われても。それに殴られたのは、お前が菊の風呂を覗いたからだろう」



「俺に文句を言うな」と続けさせる牡丹であったが、しかし。突然、後ろに押し退けられ。横からぐいと竹郎が割り込み。



「なにっ、天正菊の風呂を覗いただと――!?」



「羨ましい!」と、本音を漏らしていることにも気付かぬまま。彼は萩の方へと身を乗り出し。


 一拍置いてから、口の中に溜まっている生唾をそのままに。無駄に深刻な表情を浮かばせ。



「それで、……見たのか?」


「見てねえよ! あの女、がっつりタオルを巻いていたんだ。なのに、どうして殴られないとならないんだよ」



 不満たらたらな萩の意見は、竹郎の耳に入ることはなく。彼は一人、悶々と頭を捻らせる。



「ううん、たとえタオルを巻いていても、それはそれで反ってそそられるような……。そのガードの堅さこそ、如何にも天正菊らしいし。

 よし、今日は俺も牡丹の家に風呂を借りに行こう!」


「おい、何が『よし』なんだよ。そんな下心しかない奴を家に入れる訳ないだろう」



 悩んだ結果出した答えに、けれど、即座に牡丹に拒否権を突き付けられる。



「大体、ただでさえウチは人数が多いのに。これ以上増えたら大変になるだろう。水道代だって嵩むしな」


「ちぇっ、足利ばかり狡いぞ。

 あーあ、天正菊と一つ屋根の下なんて。やっぱり羨ましいぜ」


「そんなこと、ないと思うけどな。昨日だって大変だったんだぞ。せっかく桜文兄さんがアイスを買って来てくれたのに、『あの味じゃないとやだ』なんて我が侭言ってさ」


「アイス? なんのことかよく分からないけど……。多少の我が侭くらいなら、簡単に目を瞑れるぜ。

 そう言えば、桜文先輩と言えばさ。どうなるんだろうな。まあ、俺としては、やっぱり桜文先輩の勝ちで決まりだと思うけどさー」


「桜文兄さんの勝ちで決まりって、一体なんの話だよ?」


「あれ、知らないのか? 決闘の話だよ、決闘の」


「はあ? 決闘って――……」



 やはり意味が分からないと、始業を告げる鐘の音を遠くに聞きながら。なんだかまた厄介な事が起きそうだと。そう考える一方で、牡丹は首を傾げさせた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 時は、少しばかり遡り――……。



「おはようございます、兄貴!」


「兄貴、鞄をお持ちします!」



「今日もお勤め行ってらっしゃいませ!」

と、桜文は門を潜るなり横から後ろからわんわん言われ。やっと解放されたと、校内に入り肩の荷を下ろしたのも束の間。下駄箱を開けると、ひらりと一枚の紙が飛び出してきた。


 腰を屈めて拾い上げると、それは真っ白な用紙に黒い字というコントラストが見て取れて。



「なんだ、これ。えっと、果たし状……?」



 純白の和紙に筆で力強く書かれたその文字に、桜文はきょとんと目を丸くさせながらも紙を広げていき。



「ええと、なになに……。『本日の放課後、裏庭にて待つ――』と。

 差出人の名前は……」



 くるくると紙を見回すが、それらしいものはどこにも書かれてはおらず。一体誰がと思考しながらも、教室まで行くと。



「おい、おい。なんだよ、その時代錯誤も甚だしい物は」



 例の手紙を目に入れるなり、梅吉は怪訝な面を浮かばせ。



「何もかもがデジタル化されているこのご時世に、こんな古典的な物を出す奴がいるなんて。信じられん。決闘だなんて、他人から恨みでも買ったんじゃないのか? 心覚えはないのかよ」


「恨みか、そうだなあ……。うーん、どうだろう?」



 自身のことであるにも関わらず、ぼけっとしている三男に。梅吉は、げんなりと眉を曲げさせる。



「まあ、お前の場合、過去に対戦した相手からの再戦じゃないのか? けど、校舎裏ってことは少なくともウチの生徒で、他校生の訳はないが、かと言って、この学校でお前に楯突こうとする奴なんて、そういないだろうし」



 梅吉はうんうんと唸り出すが、直ぐにも「分からん」と。簡単に言い切ると、ぱっと手紙から手を離す。


 ひらひらと重力に従って落ちていくその紙を、桜文は慌てて身を乗り出し。床に着く寸での所でどうにか捕まえ。



「それで、本当に行くつもりなのか? やっぱりただの悪戯じゃないか? お前は直ぐに騙されるからなあ。悪戯のターゲットとしては、これ以上ないほど最適な人材だからな」


「ううん、そうだなあ。確かに悪戯かもしれないけど、でも、この字には思いが込められているというか、ほら、ここの跳ねとか力強いだろう? 絶対に勝つという、意志の強さの表れだと思うんだよなあ」



 桜文は再び手紙を広げ、その箇所を指差して見せる。彼の太い指先に目をやると、言われてみればとでも言うのだろうか。彼の意見も一理あるかもしれないと、梅吉は薄ぼんやりとだが納得する。


 けれど、とにもかくにも、全ては問題の時間になれば分かることで。ここでこれ以上討論を繰り返していても、時間の無駄。机上の空論に過ぎないだろうと。


 そう結論に至ると、闘志を燃やしている桜文に健闘を祈ると。形ばかりの声援を、窓越しに空を眺めながら。


 鐘の音を背景に、梅吉は適当に送っておいた。

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