第099戦:思ひ病む 我が身ひとつぞ

(紅葉さんを俺の方に振り向かせるには、やはりこれしか……。)



 方法はない! と、強く確信するや。萩は思い切り、牡丹の鼻先へと人差し指を突き付け。



「勝負だ、牡丹――!!」


「はあ? 勝負って……」



 突発的にそう宣告された牡丹は、げんなりと眉を顰めさせる。


 けれど、そんな彼を置き去りに、萩は一人熱く燃えており。



「なんだよ、いきなり。勝負しろなんて言い出して」


「うるさい。いいから黙って俺と戦え!」


「だから、勝負って一体何で戦うんだよ?」


「えっ? ああ、ううん、そうだなあ……」



 萩は自分から提案しておきながら、そこまでは全く考えてはおらず。


 腕を組んで考え込むも、ふと横から、

「そりゃあ旅館と言えば、やっぱり卓球だろう」

と、飄々とした声が上がる。



「卓球か。それはいいな。よし、牡丹。卓球で勝負だ! ……って、今の声は?」


「梅吉兄さん! いつの間に……」



 傍に来ていたんだろうと、疑問を抱いている牡丹等を余所に。当の本人は、相変わらずな調子で後を続ける。



「対決なんて面白そうじゃないか。どうせならみんなでしよう。この人数だから、そうだなあ。ダブルスにするか……って、人数は九人か。それだと一人余るな」


「九人ですか? 十人のはずでは……って、あれ。そう言えば、桜文兄さんはどうしたんですか?」


「桜文ならまだ風呂に入っているぞ。アイツは長風呂だからなあ。しかも、他の旅行客の爺さん達の輪に混じって、一緒に満喫しているよ。

 まっ、その内来るだろうから、余った奴が桜文とペアってことでいいか」



 こうして話も簡単にまとまり、準備が進められていくも。予想外の展開に、牡丹と決着をつけるはずがどうしてこんな事態になっているんだと、萩は一人怪訝な面を浮かばせる。


 しかし、一寸考え込み。



(でも、ダブルスか……。

 紅葉さんとペアを組んで、目の前で牡丹をぼっこぼこにしてやれば。『キャー、萩さん素敵! 卓球、とっても上手なんですね。あそこで伸びている牡丹さんなんかとは違って、なんて頼もしいのかしら……! 私達、このまま人生の良きパートナーになれそうですね』なーんて思ってもらえる、絶好のチャンス――!

 ……のはずが……。)



 萩は、じとりと目を細めさせ。



「あ、あの! 牡丹さん、よろしくお願いします」


「ああ、こちらこそ」



 早速お守りの効果かしらと単純にも頬を真っ赤に染めている紅葉の隣に並ぶ、牡丹を恨めし気に睨み付けながら。



(なんで選りにも選って、牡丹が紅葉さんとペアなんだよっ……!!)

と、彼は籤引き代わりの割り箸を思い切り床に叩き付けると、その場で激しく地団太を踏みまくる。



(そんで以って、どうして俺が……。)



「兄さん。私、コイツとなんか嫌。もう一回籤を遣り直して」



(どうして俺が……って、)



「なんだと!? それはこっちの台詞だ!」



 菊同様、萩も揃って非難の音を上げるも、結局、取り合ってもらえることはなく。



(くそっ、どうしてこんな展開になるんだ。紅葉さんとペアを組むはずが、牡丹の異母妹なんかと。

 だが、悲嘆に浸るのはまだ早い。)



 牡丹を叩きのめしてやりさえすればと、萩は気を取り直して意を決するも。スコーンと、気持ちの良い音が鳴り響き。それに続いて、

「きゃあっ!?」

と、短い悲鳴が紅葉の口から発せられる。


 彼女はしょんぼりと頭を下げ。



「はうう。菊ちゃん、強いよ。

 済みません。また点を取られてしまって……」


「ただの遊びなんだし、気にするなよ」


「おい、牡丹の妹! 何をするんだ、紅葉さんが可哀相じゃないか。少しは手加減しろ」


「なによ、うるさいわね。手を抜いたら勝負にならないじゃない」


「だからってなあ。紅葉さんはお前と違って、か弱いんだぞ」



 萩と菊は顔を突き合わせ。ぎゃあぎゃあと、内輪揉めをし始める。


 すっかり試合どころではなくなっている彼等とは引き替え、隣の台は順調に進んでおり。


「スマーッシュッ!!」

という掛け声と共に、渾身の一球が見事に決まり。芒はぴょんぴょんと、その場で高く跳ねてみせる。



「わーい。やった、やった。勝ったー!」


「さすが、芒。得点王だな」


「ええ。お陰で僕は大分楽ができましたよ」


「それに比べて、お兄ちゃんコンビは情けないなあ。もう少し頑張れよな」



 にしし……と下卑た声を上げる梅吉に、道松はむすりと顔を顰め。



「うるせえなあ。風呂に入った後で、そう動けるかよ」


「そう、そう。卓球も結構動くからね。お陰でもう疲れたよ」


「おい、おい。何を言っているんだよ。まだ一戦しかしていないじゃねえか。

 なあ、芒」


「うん。藤助お兄ちゃん、お菓子あげるから元気出して。僕、部屋から取って来るね」


「部屋にって、あの部屋に芒一人で大丈夫?」


「うん、平気だよ」



 芒はけろりとした顔で。とたとたと、一人部屋から出て行った。


 すると、芒と入れ替わる形で、代わりにのそのそと大きな肢体が中へと入って来て。



「なんだ。みんな、こんな所にいたのか」


「おっ、桜文。やっと出て来たか。いくらなんでも入り過ぎだぞ。顔が真っ赤じゃないか」


「いやあ、気持ち良くてつい。ふうん、卓球かあ」


「丁度こっちの台の試合が終わった所だ。お前もやるだろう? ちなみにダブルスで俺とペアだからな」



「ほれ」と、梅吉からラケットを渡され。桜文はぶんぶんと、その場で軽く素振りをする。


 しかし、その拍子に。彼の手の中からラケットがすっぽ抜け、近くの壁へと激突する。



「うおっ、危ないなあ。おい、気を付けろよ……って、桜文?

 あのさ、お前。まさかとは思うが……」



 梅吉はその先を続けようとするも。突然、横から割って入って来た間の抜けた声によって遮られてしまい。



「あっ、いた、いた。

 おーい、さっきの兄ちゃん。これ、風呂場に忘れていったよ」


「あっ、俺のタオルだ。これは、これは。わざわざありがとうございます」


「なあに、このくらい。それより兄ちゃん、本当に大丈夫かい?」


「はい、これくらい。大丈夫れすよー」


「そうかい? あまりそうは見えないけど……」



 けらけらと軽い笑声を上げている桜文とは裏腹、タオルを届けに来たお爺さんは困惑した表情を浮かばせており。


 そんな二人の間に、梅吉がひょいと入り込み。



「あの、済みません。コイツ、一体何を……」


「いやあ、それがこの兄ちゃん。甘酒で酔っ払っちゃってさー」


「甘酒って……」


「まさか、こんなに酒に弱いなんて。思わなかったからさあ。それに、訊いたらまだ高校生だって言うじゃないか。てっきり成人しているものだとばかり思っていたからなあ」



「済まないねえ」と、もう一度。お爺さんは頭を下げると、ひっそりとその場を後にする。


 その背中を見送ると、梅吉は乾いた息を吐き出させ。



「まさか酔っていたとは。道理で顔が赤い訳だよ」


「あの。桜文兄さん、大丈夫なんですか? 相当酔っているみたいですけど。

 でも、甘酒でここまで酔えるものですかね」


「コイツ、滅茶苦茶アルコールに弱いんだよ。ウイスキーボンボンでも酔うくらいだが、甘酒程度でも駄目だったとは……。全く、仕方ないな。

 おい、桜文。酔いが醒めるまで、暫くおとなしくしていろよ」


「なあに、このくらい平気だって。さあ、試合、試合!」


「平気って、本当に大丈夫なのか?」


「ああ。大丈夫、大丈夫!」



 そう言い張ると桜文は、何故か近場にいた牡丹の着ている浴衣の襟と袖をそれぞれの手で掴み取り。



「へ……?」



 咄嗟の事態に、間抜けな声を漏らすことしかできなかった牡丹をそのまま背負い、そして、肩越しに大きく振り下ろした。


 けれど、その最中。桜文が不注意にも手を離してしまったことにより、牡丹は本来の軌道から大きく外れ。下ではなく、真横へと大きく吹き飛んでしまう。



「わーっ、ストップ、ストップ! この馬鹿、どこが大丈夫なんだよ!? 試合と言っても、柔道じゃねえよ。卓球だ、卓球。ったく、牡丹のことを思い切り投げ飛ばしやがって。

 おーい、牡丹。生きているかーって……」



 ぽかんと一発桜文の頭を叩くと、梅吉は周りの人間同様、埃の舞い上がっている方へと視線を向ける。


 が。


 その先の光景に、やはり周りと同じく呆気に取られ。まるで時間が止まったみたいに、その場の動きはぴたりと綺麗に静止する。


 けれど、いち早く復活した牡丹は下敷きにしてしまっている紅葉から――彼女の頬からゆっくりと自身の唇を離していき……。



「あ……、紅葉、ごめん……」


「い、いえ、私なら大丈夫です。あの、その、えっと、えっと……」



 紅葉は一瞬の内に、顔中真っ赤に染めさせて。一際熱の残っている頬に手を添えさせる。


 部屋中の視線が集まっている中、紅葉はぽーっと一人別世界へとトリップし。



(どうしよう。頬だけど牡丹さんに、ききき、キスされちゃった……!)



 これもあのお守りの効果なのかしらと思いを馳せる彼女の後ろでは、ばきんっ! と甲高い音が発せられ。その音の出所である萩の手には、グリップの折れたラケットが握られていた。


 それを放り投げるや、萩は卓球台を天に向かって持ち上げて。



「牡丹、てめえ……。どさくさに紛れて、よくも紅葉さんにっ……!!」


「わーっ!?? 萩くん、落ち着いて!」


「熱湯消毒だ、熱湯消毒! 今直ぐ紅葉さんの頬に、熱湯消毒をっ……!」


「だから萩くん、少しは落ち着いて。取り敢えず、卓球台から手を離して……!」



 今にも牡丹目掛け卓球台を放り投げようとしている萩を、どうにか止めようと。藤助は、必死になって彼を宥めようと奮闘する。


 すっかり騒がしくなってしまっている中、梅吉は、

「熱湯消毒なんかしたら、火傷しちゃうぞ」

と。冷静にも注意を促した。

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