第055戦:消なば消ぬとも 色に出でめやも

 突如、なんの前触れもなく。夏の始まりと共に、天正家を訪れた一人の青年――。


 彼は数歩その場から歩き出すと牡丹のことを見下ろすように、前髪の下から覗かせている鋭い瞳を一ミリのずれも生じさせないよう真っ直ぐに見つめながら。


 ゆっくりと、薄い唇を開かせていく。



「久し振りだな、兄さん」


「なんで、どうして……。どうしてお前がここにいるんだよ、はぎっ――……!!」



 ぶるぶると震えの止まらない拳をそのままに、牡丹はどうにかその一言を吐き出させる。けれど、萩と呼ばれた青年は、全く表情を変えることなく。至って冷徹な面を維持させている。


 そんな二人が放つ空気に、藤助は思わず呆気に取られ。



「えっ、あれ? お友達……じゃなかったの?」



 一人おろおろと、牡丹と萩の顔を交互に眺める。



「なんで、どうしてお前がここに……! まさか、あの人に聞いたのか?」


「あの人って、もしかして親父のことか?

 ……仮にも一時、自分の父親だったにも関わらず。そんな風に呼ぶんだな」


「……」



 牡丹は何も答えない。いや、答えられないと言った方が正しいだろう。


 口をへの字に結んだままの彼を追い詰めるよう、萩はくすりと唇を歪めさせ。



「……まさか。何遍も問い質したが、結局親父は最後まで教えてはくれなかった。

 兄さん、この間、テレビに出ただろう?」


「テレビ? テレビってまさか、『幸せ家族策略』のことか?」


「そう、それ」



「出ていただろう」と、もう一度。萩は牡丹とは裏腹、至って冷静な姿勢で後を続ける。



「でも、だって……。確かにその番組には出たけど、でもお前、テレビは全然見ないじゃないか!」


「ああ、確かに俺は見ていなかった。けど、番組を見ていたクラスの連中から連絡が来たんだ。お前がテレビに出ているって」



(なっ、なっ……。なんで、どうして……。)



 親父ではなく別な奴が釣れてしまった――!!? と。本来狙っていた獲物ではなかった所か、全く以って予想もしていなかった事態を招いてしまい。ひくひくと、牡丹は頬を引き攣らせる。



「そっ……、それにしたって、一体どうやってここを突き止めたんだよ!? いくらテレビで俺のことを見たからって、住所まで分かるはずが……。

 大体、なんだよ。さっきから俺のこと、『兄さん』なんて呼びやがって。今まで一度だって、そんな風に呼んだことない癖に!」



 すっかり張っていた糸がぷつんと切れてしまったのか、牡丹は声を荒げながら。今まで喉奥に詰まっていた言葉が、次から次へと飛び出していく。


 すると、牡丹から一方的に言われ放題であった萩は、気怠げに一つ乾いた息を吐き出させ。



「……なんだよ。こっちは気を遣って、せっかくお前の顔を立ててやっていたのに。だったらもういいや。望み通り、普段通りにしてやるよ。

 そこにいる人達、お前とは半分だけ血が繋がっているんだっけ? その半分だけ血の繋がった兄さん達が揃いも揃って有名人だったお陰で、調べるのなんて容易かった。

 今の世の中、本当に怖いよな。ネットで名前を検索するだけで、簡単に個人情報が手に入るんだ。ずらずらと出て来たよ。射撃に弓道、それから柔道だっけ? それらの大会の入賞記録がさ。そしたらみんな同じ学校だったからその周辺をふら付いていたら、運良くその一人と接触できて。それでここまで連れて来てもらった」



 その一人――桜文の方を眺めながら、萩は淡々と答える。


 そんな彼の後を受け。



「ああ、うん。萩くんを連れて来たのは俺だけど……。

 だって、牡丹くんとは友達で、どうしても会いたいって言うから。可哀想だなあと思って、それでつい……」



 じとりと恨めし気な視線を送り付ける牡丹に、桜文はすっかりしどろもどろに。ごめんねと、謝りながらもどうにか取り繕う。が、最後の方は、最早当の本人はほとんど聞いてはおらず。


 またしても両者の間で睨み合いが再開されるが、やはりここでひょいと梅吉が手を挙げた。



「おい、牡丹。そろそろ教えてくれよ。結局、そいつはお前のなんなんだ?」


「梅吉兄さん……。その……、コイツは、コイツは俺の……、俺の、その……」



 いつまでも言い渋る牡丹を萩が押し退け、

「俺は足利あしかがはぎ。牡丹の義理の弟です」

と、彼は勝手に後を続けさせる。


 それを聞くや、梅吉等は揃ってぽかんと間抜け面を浮かばせた。



「へっ……? えっと、義理の弟って……」


「俺の親父と牡丹の母親が再婚したことにより、俺達は兄弟になりました。とは言っても、お互いに連れ子同士なので血縁上の関係は一切ありませんが。

 だけど数か月前、母が亡くなった矢先、牡丹の父親のことを知るという人物が現れて。その人から父親の元に来ないかと誘われると、コイツは俺達との関係を捨てて家を飛び出しました」


「飛び出したって、牡丹、お前……。そこまでして親父のことを……」



 相当恨んでいたんだなあ……と。天正家一同は、珍しくも同時に同じことを思った。



「なんだよ、その言い方は。別に捨てた訳では……」


「それじゃあ、他になんて言えば良いんだよ。

 なんだよ。死に物狂いで勉強して、成績とは見合わないレベルの高い高校の転入試験をパスしてまで出て行った人間が、何を言っているんだ」


「うるさいなあ。お前には関係ないだろう!」


「関係ないって……。それが弟に言う台詞かよ!?」


「なんだよ、さっきから自分のこと弟、弟って……。本当にどうしたんだよ? 今日のお前、変だぞ!?

 大体、俺がいなくなって清々している癖に。俺のことなんか、もう良いだろう!? これ以上、俺に構うなよ!」


「そういう問題じゃない! 親父の話なんか真に受けて、あんなの、冗談に決まっているだろう!」


「冗談だろうがなんだろうが、約束は約束だ! あの人の出した条件は満たしたんだ。今更とやかく言われる筋合いはない」


「あのよう。お前等、今度は一体なんの話をしているんだ?」


「足利家を出ることに対して、俺の親父が出した条件ですよ。高校は出ろと。その為にも、今度住む家から通う学校がちゃんと決まれば、家を出ることを認めてもいいと。

 けど、そんな話、冗談に決まっているのに。なのに、コイツはそれを本気にして……」


「ふうん、成程ね。牡丹がウチに来たのは、五月くらいだっけ? この辺りでそんな中途半端な時期でも受け入れている学校って、南総校くらいだもんな。いくら試験が難しくても、頑張るしかなかったってことか」



 やっぱりそこまでして親父のこと……と、兄弟達がしみじみと思う傍ら。萩はわざとらしく咳払いをし。



「転入手続きが整うなり、お前は勝手に家を出て。親父はその後のお前に関することは、一切教えてはくれなかった。……けど、やっと見つけた」



 萩は一度そこで区切り、小さく息を吸っては吐き出させ。



「牡丹、家に帰るぞ――」


「帰るって……」


「俺がただ仲良くお喋りする為だけに貴重な休みを利用して、わざわざ東京から何時間も掛けてここに来たなんて。まさか、思っていないよな? あの番組で言っていたことは、本当なんだろう。親父は行方不明のままだって。

 なんだよ、あのおじさん。聞いていた話と違うじゃねえか。親父がいなかったんなら、これ以上ここにいても意味ないだろう」



「帰るぞ」と、ただ一言。萩はもう一度繰り返す。


 が――。



「……嫌だ」


「はあ? 嫌だって……」


「だって、だって……。俺はまだ、問題の親父に会えていない……。

 確かに会えてはいないけど、でも、漸く掴んだ手掛かりだ。もしかしたら、その内ふらっと現れるかもしれない。

 だから……、だから、アイツをぶん殴るまでは、絶対にここを離れる訳にはいかない!」



 激しく肩を上下に動かし、牡丹は荒い呼吸を繰り返す。


 ぜいはあと湿った息ばかり吐き出させる牡丹を、萩は憐みとばかりの瞳で見つめながら。



「お前の復讐って、そんなに大切なことなのか? ぶん殴るだけで、本当に気は晴れるのか? 全てを捨ててまでしないといけないことなのか?

 ……もういいだろう。母さんだって、亡くなっているんだ。それに、あの人はお前と違って恨んでなんかいなかった。

 それともなんだ? お前と同じ境遇の、そこにいる異母兄弟同士、仲良く慰め合って暮らしていくつもりなのか?」



 傍らに控えている兄弟達を見渡しながら、萩は落ち着き払った声でそう述べる。


 その声の調子に合わせ、室内の隅々まで緊迫の糸が張り巡らされていき。沈黙とした空気ばかりが流れ続ける。


 いつまでも歪んだ表情をそのままに硬く下唇ばかりを噛み続けている牡丹に、萩はもう一振りとばかり。


 ゆっくりと鋭い刃に似た唇を開かせていくも、その矢先――。



「ただいま」



「あのっ、お邪魔します」

と、二つの高低差のある声により、ガチャンッと硝子が粉々に砕け散るみたいに。緊張状態は打ち壊され、その場はしんと静まり返る。


 その異様な雰囲気に、リビングに入るなり菊がぽつりと口を開き。



「……なに、この騒ぎは?」


「いや、その……。牡丹の弟さんが訊ねて来たんだよ」


「弟?」



 藤助に促されるようちらりと一層と空気の重たい箇所へと顔を向けると、牡丹と萩の二人も自然と彼女達へと引き付けられていた。


 その視線を受けたまま、菊の後ろに控えていた紅葉は、菊ちゃんに貸していたCDを返してもらいに立ち寄っただけなのにと。そのついでに、牡丹さんに少しでも会えればなあと、そう思っただけなのにと。


 けれど、部屋中に充満している殺伐とした空気に、紅葉はすっかり怖気付き。体は前を向けたまま、そろそろと後ろへと下がって行き。



「あの、私、今日は帰った方が……」



「いいですよね」と、遠慮がちに。そのままくるりと身体を反転させようとするも、その矢先。黒い塊が颯爽と彼女へと差し迫り――。


「そんなことありませんっ!」

と、半ば叫ぶように。そう言うや否や、萩はがしりと紅葉の手を掴み取った。



「へっ!?

 えっと、その、そう、ですか……?」


「はい、ちっとも構いません。

 ……あの、付かぬことをお聞きしますが」


「はい、」


「あなたのお名前は……」


「えっ、名前ですか? 私は甲斐紅葉といいますが……」


「紅葉さんですか。素敵な名前ですね」


「そうですか? ありがとうございます。名前を褒められたのなんて初めてなので、嬉しいです」



 ふわりと頬を綻ばせ。はにかむ紅葉に、萩の色白い肌は一層と紅潮していく。


 紅葉の動揺の色を滲ませている瞳を、そのことには気付かぬまま萩はじっと見つめ。



「あの、紅葉さんとこの家とのご関係は? まさか、牡丹と兄妹とか!?

 ……いや、それにしては苗字が違うな……」


「いえ、私は菊ちゃんの友達です。今日は部活帰りにちょっと立ち寄っただけで……」


「菊ちゃんの友達?」


「はい。えっと、菊ちゃんが牡丹さんの妹なんです」



 そう言うと、紅葉はちらりと傍らに控えている菊へと視線を向ける。


 けれど、一方の萩は、彼女にはあまり興味を抱かなかったのか。ふうんと上辺だけで答え。



「そうですか。では、紅葉さんは牡丹の妹の友達で、牡丹とは全くの無関係なんですね」


「そうですが、それがどうかしましたか? 何か問題でも……」


「いえ、問題など何もありません。ただの確認です。そうですよね。あなたのような方が、まさか牡丹と一滴でも血が繋がっているなんて。そんな最悪なことがある訳ないですよね。本当に良かったです」


「はあ。えっと、そんなことはないと思いますが……」


「おい、萩。お前、いきなりどうしたんだよ。おまけに人のこと、散々言ってくれるじゃないかっ……!」



 牡丹の怒声に、萩は漸く我へと返り。ごほんとわざとらしく咳払いをすると、直ぐにも体裁を整え直し。



「……っと、なんだ。時間も時間だから今日はこれで帰るが、このまま引き下がると思うなよ。お前なら、分かっているだろう?」



 萩は、おまけとばかり。本日一番の鋭さを携えた瞳で牡丹を一瞥すると、静かにリビングから出て行った。


 その場から嵐は立ち去るも、余韻だけはいつまでも残り続け。誰もが口を堅く閉ざしている中、不意に牡丹が喉奥を震わせ。



「済みません。俺、今日はもう部屋で休みます……」



 それだけ言うと、一人その場から抜け出し。一段ずつ、のろのろと階段を上がって行った。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 宵も半ば――……。


 薄暗い廊下に、二つの影がそれぞれ動く様が見受けられ。お互いに相手の存在に気が付くと、それらはぴたりと同時に動きを止めた。



「……藤助。お前、まだ起きていたのか?」


「うん。でも、もう寝る所。そういう道松だって起きてるじゃん」


「いや。俺も、もう寝る。お前も早く寝ろよ、明日もバイトなんだろう……って、それは……」


「ああ、これ? 牡丹、何も食べていないから。お腹空いているんじゃないかなと思って」



 藤助はへらりと笑い、おにぎりの並んだお皿を掲げて見せる。


 そこで道松とも別れ。藤助は牡丹の部屋の前まで来ると、軽くその戸をノックし。



「牡丹、起きてる? おにぎり作ったんだけど、食べない? お腹空いているだろう。

 ……牡丹?」



「寝ちゃったのかな」と、呟きながら。藤助は、ゆっくりと部屋の扉を開けていく。


 中に入ると室内は予想通り暗く、窓から差し込む月明かりだけが仄かに浮かび上がり。それを頼りに奥へと進み、手に持っていた皿を机に置くも、その刹那。一枚の紙切れが目に入る。


 それを手にするや藤助の瞳は徐々に大きくなっていき……。次の瞬間、彼は即座に顔をベッドへと向けた。



「牡丹……?」



 試しとばかりにもう一度、藤助は繰り返すが、それに応える者など誰もいなく。室内は尚も閑散としたままで。


 その紙切れを手に彼が部屋から飛び出すまで、然程時間は掛からなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る