第043戦:飾れる玉の 枝にぞありける

「君のことは好きだけど、その好きは恋愛感情とは別なもので。どうしてもそれ以上の感情は抱けず、どうしてなんだろうと考えて、観察して、思考して。その結果、これは俺なりに出した結論なんだけどさ。

 ……君は、恋をしているんだろう――……?」



 一瞬だけ、その場の空気が一変するも。直ぐに元の状態へと戻り。菊はこれでもかというほど瞳を細め、その端に燦爛とした光を宿らせる。


 一方の竹郎は菊に鋭く睨まれるも、一切顔色を変えず……、いや、余裕たっぷりとでも言いたいのか。得意気に口元を緩ませている。


 傍から見ればこの戦いは、竹郎に軍配が上がったと言っても差し支えないだろう。しかし、それでも菊は決して折れることなく、いつまでも敵である竹郎を睨み続ける。



「多分、直感的に始めから分かっていたんだろうな。だけど、いつしかそれが確信へと変わった。確かに君は学園一の美少女で、俺にとっては高嶺の花だ。だから端から諦めていたのだろうかと思ったけど、それにしては違和感を覚えてさ。

 だって、いくら高嶺の花でも、所詮は俺と同じ高校生。その辺にいる普通の女子高生と、なんら変わりはない訳だ。それで君を見続けた結果、さっきの答えへと結び付いたと言う訳さ。

 ここまで言っておいてなんだけど、これ以上の詮索は止めにしよう。相手は誰かなんて、そんなことは訊かない。そして、これは俺からのプレゼント。どう使おうが、君の自由だ。いらなければ捨てればいい。俺の手から離れた時点で、これはもう君の物なんだから。まあ、少女趣味とでも言うのかな? 一応、今日付き合ってくれたお礼。君ならきっと買わないと思ったから、敢えて俺はそれをプレゼントに選んだんだけどさ」


「……チャラ男さんって、相当根性が腐っているんですね。善良ぶっても今更無駄です。『訊かない』じゃなくて、『必要がない』の間違いじゃないですか? それに、私の返答も端から訊く気があったとはちっとも感じられませんでしたし」


「さあ。それはどうかなあ」



 未だに竹郎はその表情を維持させたまま、飄々と言葉を濁らせる。


 そんな彼の態度が菊には気に喰わないのか、やはり彼女の顔色も変わることはなく。じとりとした目をし続ける。



「……とんだ食わせ者だわ」


「へえ。あの天正菊にそう思ってもらえたってことは、俺もたいした人間なのかもしれないな」


「それで、どうするつもりですか?」


「どうするって?」


「惚けないで下さい。今のあなたは、私の弱みを掴んだ気になっている。つまりは、私より優位に立っているということです。それを餌に利用しない手はないでしょう」


「そんなこと言われても、特に君に何かするつもりはないんだけどなあ。『黙っている代わりに、俺と付き合え』とでも言ってもらいたいの?」


「そう言う訳ではありませんが、普通なら、こんな好奇な機会を見す見す逃す人間がいるとは思えません」


「確かに。君の言い分は一理ある。でもさ、他人が恋をしていると分かった所で脅そうなんて。そこまで考えないと思うけどなあ。特にこの年頃の女の子なんて、大抵は恋愛に夢見ている訳だしさ。

 そんな弱みに感じることはないと思うんだけど、自分でもそう思ってしまう時点で、やっぱり君はその辺の女の子とは一味も二味も違う、特別な子だって。自分でも言っているように俺には思えるなあ」



 まるで揚げ足を取るように。竹郎は平然とした態度を装いながらも、一歩、また一歩と菊へと詰め寄って行く。


 しかし、彼女の方もそれくらいではやられる訳もなく。相変わらずの体勢を保ったままだ。


 そんな彼女の頑なさ――異常なほどの警戒心の高さに、竹郎はお手上げとばかり。一つ、乾いた息を吐き出させ。



「だったら、正しく言い直そうか。俺はジャーナリストという、君にとっては全くの無関係でただのモブである第三者の立場の人間として、天正菊、君に興味を抱いている――。

 一人の女優として、一人の女の子として、君がどこまで演じ切れるか。とても楽しみなんだ。なのに、君を脅してどうこうしようだなんて。そんなことをしたら、君のことをよく観察できなくなるだろう? こういうのって、ある程度離れた所でないとよく見えないものなんだから。

 それに、おそらくこのことに気付いているのは、俺くらいだ。それってさ、優越感とでもいうのかな。ある意味俺達はとある秘密を共有しているという、特別な関係になった訳だ。

 よって、俺はこのネタを世間に言い触らすつもりは更々ないし、この関係を敢えて自分で壊すような、勿体ない真似をする気もない。そう言う訳だから、安心してもらって構わない」



 竹郎は、ここぞとばかり。本日一番の笑みを浮かべさせるが、それは菊には反って逆効果となり……。


 丁度目に付く水槽の中の小魚達は、まるで無関係とばかり。思いのままに泳ぎ回り。海の大きさと比べてしまえば、それは決して広くはないものの。限りある自由の中で、思う存分楽しんでいるように感じる一方。


 菊は、持て余した手に収まるほどの小さな袋を軽く握り締めながら。「胡散臭い……」と、ただ一言。花弁みたいな薄桃色の唇を動かし、囁くよう呟いた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






「あーっ、今日は楽しかったなあ」



 館内から出て来るなり、竹郎は空に向かい。腕を大きく伸ばしながら、そう声を上げる。



「甲斐さんはどうだった?」


「はい、とっても楽しかったです! 今日は本当にありがとうございました」


「いえ、いえ。そんな畏まらなくても。ここのチケットも、どうせもらいものだしさ」



 口先ではそういうものの、竹郎はなんだかんだ得意気に。紅葉に向け、満更でもない面を浮かばせる。


 そんなすっかり自惚れている今回の首謀者でもある彼に、牡丹はこそっと近付き。彼の耳元で、声を潜めて。



「なあ、竹郎。お前、菊とはどんな話をしたんだ?」


「なんだ、気になるのか?」


「気になるっていうか……。よくアイツと会話が成立するなと思ってさ。俺なんか二言目にはいつも悪口ばかり言われるぞ」


「そうだなあ。

 ……秘密」


「はあ……?」


「知りたければ、妹に訊いてくれよ」


「なんだよ、それ」



(菊に訊いた所で、教えてくれる訳ないじゃないか……。)



 お前だって分かっているだろうと牡丹は軽く竹郎を睨み付けるが、当の本人は一切気にしておらず。


 その場は、気付けば解散の流れとなり。



「それじゃあ、俺達はこっちだから。行こうか、甲斐さん」


「はい。あっ、あの、牡丹さん。本当にありがとうございました。

 菊ちゃんも、付き合ってくれてありがとう」



 紅葉は忙しげにそれぞれ二人に礼を述べると、竹郎の隣に並んで歩いて行く。


 暫くの間、牡丹と菊はその背中を見送るも。



「さてと。俺達も帰るか……って、おい、菊。なんでそんな所に座り込んでいるんだよ?」



 脇を向くと、いつの間にか隣に立っていた菊はその場に座り込んでおり。早く帰るぞと牡丹が促すが、一向に立ち上がる気配を見せない。


 彼はもう一度、声を掛けるがその刹那。



(あれ、この感じ。確か、前にも一度……。)



「菊。お前、まさか……」


「……うるさいわね。先に帰りなさいよ」



 返って来た声は、酷く小さくて低い声音であり。菊は手短にそれだけ言うと、じろりと牡丹を下から睨み付ける。だが、その瞳にはいつものような鋭さは宿っておらず。蒼白い顔がますますその刃を鈍らせた。


 そんな彼女の態度が全てを物語っており。こういう事態には未だ不慣れな牡丹は、どうしたものかと半ば途方に暮れる。



「お前なあ、どうして言わなかったんだよ。その……、いつものなんだろう? 無理しないで、おとなしく家で寝ていれば良かったのに」


「うるさいって言っているでしょう! 大体、誰の所為だと思っているのよ」


「誰の所為って……」



(そんなこと、俺に言われても……。)



 お前のそんな事情なんて知る訳ないだろう、なんて。今にもぶっ倒れそうな妹に言える訳もなく。


 仕方がないとばかり、牡丹は一つ息を吐き出すと。



「ほら、乗れよ」


「……はあ?」


「いいから乗れよ。負ぶってやるから」


「どうして私がアンタなんかに負ぶられないとならないのよっ……!」


「こんな時まで、変な意地張るなよ! 歩けないんだろう? いいから早くしろよ」



 牡丹は菊の前にしゃがみ促すも、だからと言って彼女が素直に応じる訳もなく。


 だが、そのじれったさに耐え切れず、牡丹は菊の腕を掴むとそのまま引っ張り。彼女の身体を己の背中に預かせ、よろよろと覚束ないながらもその場に立ち上がった。



(うっ、重っ……!? 嘘だろう。女の子って、こんなに重たいものなのか? 桜文兄さん、よくあんなに軽々と運べるよな……。)



 ましてや、もっと重さを感じるだろう抱っこであったのに……! と、ふと当時のことを思い出し。頼りない自分の姿とは全く異なる、飄然としていた力自慢の兄を尊敬してしまう。


 見た目は軽く見えるのに、いや、実際に彼女の体重は、その年頃の女学生の平均体重より大いに下回っていることだろう。だが、それでも重たいものは重たいと、牡丹は若干顔を歪ませながら。どうにか落とさないよう、ずるずると重力に従い下がっていきそうな菊の身体を維持させる一方、不本意にも情けないことを思ってしまう。



(ったく、具合が悪いのに無理して来るなんて。なんだよ、あんなに散々嫌がっていたけど、本当は楽しみにしていたのか? そんなに水族館に行きたかったのか?

 ……ちょっとは可愛い所もあるんだな。)



 なんて、思ったのも束の間。



「……でも……」


「ん……? どうした、菊?」


「……どさくさに紛れて、ちょっとでも変な所を触ったら……。絶対に……、絶対に許さないからっ……」


「なっ……、そんなことする訳ないだろうっ!!」



 息を切れ切れに必死な声で吐き出されるのは、思いも寄らぬ……、いや、彼女らしい一言ではあるものの。どこまで信用されていないんだと、どこまで疑り深いんだと。


 沸々と根底から怒りが込み上げ、そして。



(やっぱり可愛くないっ――!!!)

と。夕焼け空の下、牡丹はそう叫ばずにはいられなかった。

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