第039戦:糸のみどりぞ 色まさりける

 天正家・長男と次男の手錠生活から三日目――。


 昼時、二年三組の教室にて。



「道松先輩、梅吉先輩! 先輩達の席、用意して置きました!」

と、教室に入るなり、女生徒達の揃った声が手錠で繋がれた二人を出迎える。


 そんな光景を前にしても漂然としている梅吉とは裏腹、その隣で道松はただでさえ下がっていた肩を更に落とさせつつも、遠退きそうになる意識をどうにか繋ぎ留める。



「へえ、わざわざ用意してくれたんだ。ありがとう」


「いえ、いえ。これくらい、お手の物ですよ」



 お手の物とは言うけれど。用意された二人の机の周りには、向かい合うようにもう一つずつ机が置かれている以外はぐるぐると何重もの円を描くよう、上手く机が並べられており。


 その中心へと案内されながら、まるで檻の中に閉じ込められた見世物小屋の動物のようだと。そう思いながらも道松は、空気混じりの礼をどうにか吐き出した。


 二人の登場に、きゃあきゃあと甲高い音が続く中、しかし。不意に、はあ……と、酷く乾いた音がその場の空気を掻き切り。



「先輩達、今日も来たんですね。よく飽きもしないで……。

 あっ、道松先輩はいいんですよ。いつでもウェルカムですからね!」



 その声の主は明史蕗であり、彼女は酷く不貞腐れた顔をしている。道松と梅吉をそれぞれ交互に眺めるも、送る視線の色には明らかに違いが見受けられる。



「いや、俺は遠慮したいんだが……」


「へえ。道松は良くて、俺は駄目なんだ。明史蕗ちゃん、相変わらず俺には冷たいなあ。俺、女の子にそういう態度を取られたことって、あまりないんだけど」


「そうですか。では、良い経験になったんじゃありませんか? 先輩のこと、快く思っていない女子もいるんだって」


「明史蕗ちゃん! どうしたの? 先輩に意地悪ばかり言って……」


「別に。なんでもないわよ」



 口先ではそう言うものの、やはり明史蕗の口は尖ったまま。ふんと素っ気なく、栞告からもそっぽを向く。


 そんな彼女に、周りの女生徒はやや呆れがちに。



「明史蕗ってば、そんなきつい言い方して。

 先輩、気にしないで下さい。明史蕗は先輩に栞告を取られちゃったから、妬いているんですよ」


「もう。いい加減、ちょっとは機嫌直しなさいよ。アンタだけ特別に、道松先輩の手前にしてあげたんだから」


「そうよ、そうよ。みんなは平等にアミダくじで席を決めたって言うのに」


「分かっているわよ、分かってはいるけど、でもっ……!

 ねえ、栞告。どうして梅吉先輩なのよ。こんな女殺しの梅吉先輩なんかより、菖蒲くんの方が余程お似合いだったのに!」



 まるで嫁に出す父親のよう。すっかり感極まってしまっている明史蕗は机に突っ伏し、おいおいと声を上げて泣き出す。



「おい、どうするんだよ。お前の所為で、泣き出したぞ?」


「そんなこと言われてもなあ。それに、普通、本人を前にして言うかなあ? そういうこと」



「牡丹、どうにかしてくれない?」と、やはりここで全く無関係にも関わらず。六男へとご指名が入る。



「いや、俺に言われても。兄さんの問題なんですから、自分でどうにかして下さいよ」


「だってさあ。それじゃあ明史蕗ちゃんは、どうしたら認めてくれる訳?」


「……道松先輩が、慰めてくれたら……」


「はあ?」


「道松先輩が、頭を撫でて慰めてくれたら。そしたら、少しは認めてもいいかなあ……って」



「思います」と、口を尖らせながらも。明史蕗は主張する所は主張する。



「なんでそこで俺の名前が出て来るんだよ。関係ねえだろうが」


「別にいいじゃねえかよ。頭を撫でるくらい。可愛い弟の為だろう? 減るもんでもないんだしさ」


「誰が可愛い弟だ! 別に減りはしねえが、だからって、どうして俺がお前の尻拭いをしないとならないんだよ」


「……あっ、あの! 道松先輩。私からお願いするのも変だとは思うんですけど……。でも、明史蕗ちゃんはとっても優しくて、良い子で。なので、なのでっ……!」


「うっ……、」



 うるうると瞳を潤ませた栞告に見つめられ。それを跳ね除ける度胸など、道松にある訳もなく。


 どうして俺がこんな目に……と思いつつも、彼は仕方なく。



「ほら、これでいいのか?」



 明史蕗の頭を軽く撫でた。


 刹那、彼女はぷるぷると小動物みたく小刻みに震え出し、そっと頭に手を添え。



「ふわああああっ……! 先輩、ありがとうございます。この髪は、一生洗いませんっ……!!」


「いや、洗えよ」


「きゃあああっ!!! 明史蕗ばっかり、ずっるーい! だったら、私だって!

 はい、はーい! 先輩は栞告に相応しくないと思います!」


「私も! 実は前からそう思っていました!」


「梅吉先輩に栞告は任せられないと思います!」



 二人の遣り取りを発端に、教室中のあちこちから次々と梅吉に対する非難の声が上がり出す。


 だが、その一方で。



「ちょっと! さっきから黙って聞いていれば、梅吉先輩のこと悪く言って……!!」


「そうよ、そうよ。栞告と先輩はお似合いよ! 先輩のこと、諦めなくちゃいけないのは辛いけど、でも、先輩が幸せなら……」


「先輩のこと、応援しています。だから……、だから、今だけは慰めて下さいっ……!」

と、今度は梅吉支援派の女子達が、半泣きながらも訴え出した。



「おい。この状況、一体どうするんだよっ……!」


「いや。だから俺に訊かれてもなあ」



 いつの間にか、握手会ではなく頭撫で会とでも言うのだろうか。ぎゃあぎゃあと騒ぎ出す彼女達に、すっかり昼食所ではなくなってしまい。


 勝手に列を作り二人の前へとそれぞれ並び始める女生徒等を前に、道松の意識はぐらりとまた一段と遠ざかる。


 しかし、それも廊下から響き渡った甲高い音により、辛うじて防がれることとなる。



「ん……? なんだ、今の悲鳴は?」


「いやーっ!! 不審者よーっ!」


「なにっ、不審者だって!?」


「はい、あの作業着を来た男です! アイツ、女子更衣室を覗いていたんです!」


「カメラも持っていて……。やだっ、気持ちわるーい!」



 女生徒達は口々にそう言うと、キャーキャーと声を揃えて大声を上げる。


 例の男は甲高い悲鳴が発せられている中を、そそくさと一目散に駆けており。



「ふうん、成程な。用務員を装って堂々と校内に侵入し、犯行に及ぶとは。随分と度胸のある犯人だなあ。

 ……なあ、道松。俺、考えたんだけどさ」


「なんだ、奇遇だな。俺も丁度思い付いたことがあるんだが……」


「ああ、どうして今まで気付かなかったんだろうな。日本には日々街の平和を守ってくれている、心強い味方がいることを」


「その手土産に一つ……と言った所か?」


「なあんだ、分かっているじゃねえか。世の中、ギブ&テイクだからな。栄光と恥とを引き換えに行こうぜ」


「ああ、望む所だ」



 そう簡単に話がまとまると、二人は息を揃え。



「絶対にアイツを捕まえるぞっ――!」

と、半ば叫びながら。同時にその場から飛び出した。


 勿論、犯人は待てと言われて待つ訳もなく。そのまま変わらぬペースで逃げ続ける。けれど、だからといってそう簡単に二人が諦める訳もなく。手足を振り上げ、どうにか犯人との距離を詰めていき、そして。



「こんのっ……、いい加減、観念しやがれーっ!!」



 あと一歩と言う所で、二人はその場で大きく足を踏み込むと同時。それぞれの片足が、見事犯人の背中へと直撃し。男はその圧力に呑まれ、そのまま前へと倒れ込んだ。


 ずどんと鈍い音が轟く中。二人はパンッ! と、ハイタッチを交わした。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






「まさか、盗撮犯も手錠で繋がれている兄さん達に、手錠を掛けられる羽目になるとは……」



「思ってもいなかったでしょうね」と、帰宅した牡丹はリビングで寛ぎながら。淡々と後を続けさせる。



「でも、良かったですよね。無事に犯人が捕まって。なんでも常習犯で、他の学校でも同じような犯行を繰り返し行っていたと聞きました」


「へえ、そうなんだ。でも、どうして黙っていられないんだろうね。どうせ夜になれば、天羽さんが帰って来るのに」


「ははっ、そうでよね。でも、なんでも一秒でも早く外したいそうで……って、あっ、帰って来たみたいですね」



 噂をすればとでも言うのだろうか。玄関先から、ガチャガチャと音が聞こえて来た。続いてリビングのドアが開かれ長男と次男が揃って姿を見せるも、その面は予想とは裏腹、酷くやつれており……。



「ただいまあ……」


「おかえり……って、あれ。手錠、外してもらえなかったんですか? 警察署にならこういう事態もあるだろうから、手錠を外してもらえるだろうって。これで解放されるって、あんなに意気込んで事情聴取に出向いていたのに……」



 きょとんと目を丸くさせている牡丹を余所に、二人は未だ手錠に繋がれたまま。よたよたと重たい足取りで奥へと進むと、ぐだりと倒れ込むようにしてソファに座り込む。



「それがこの手錠、なんでも海外の警察機関では実際に使用されているらしく、やはり相当丈夫な作りなんだと。だが、生憎、日本の警察が扱っている手錠はもっと材質が軟な物で、署で所持している工具でも色々と試してもらったが駄目だったんだよ」


「そうなんですか。それは残念でしたね」


「もう直ぐ天羽さんが帰って来るんだから。おとなしく待っていなよ」


「あのなあっ! 一秒でも早くこの手錠を外したいんだよ! いい加減、俺は解放されたいんだよーっ!!」



 なんだかんだすっかりストレスが溜まっていたのか。梅吉は声を荒げ喚き散らす。


 いつまでも彼が喚いていると、その声を掻き消すよう。不意にピンポーンと、チャイムの音が部屋中に鳴り響き。



「おっ、じいさんが帰って来たかっ!?」



 その音が耳に入るや、二人は同時に立ち上がり。どたばたと慌しい足取りで玄関へと向かう。


 しかし。



「……芒、ほら。お前宛ての荷物だ」


「えっ、僕? あっ。この前懸賞に応募した、お菓子の詰め合わせだ!」


「さすが芒。また当選したのか」



 きゃっきゃ、きゃっきゃと燥いでいる芒を後目に、二人は言い表しようのない脱力感に襲われ。



「なんだよ、じいさんかと思ったのに。浮かれ損かよ。紛らわしいなあ」


「天羽さんなら、わざわざチャイムを鳴らさないんじゃないですか? 自分の家なんですから」


「それもそうだな」



 期待が外れ、がくりと肩を落としながらも二人が納得した矢先。玄関の戸が開かれる音が聞こえ。



「今度こそ、じいさんかっ!?」


「じいさーん!

 ……って。なんだ、桜文かよ……」


「ただいまー……って、二人してどうしたんだ? 手錠で手を繋いだりして。ははっ、警察ごっこでもしているのか?」


「うるせえっ! 高校生にもなって、なんでそんな遊びをしないとならないんだよ!」


「何をそんなに怒っているんだ? せっかくお土産を買って来たのに、食べないのか?」


「食うよ。食べる、食べる! でも、今はそれよりも。じいさんはまだ帰って来ないのかよ……」



 二人は桜文の買って来た群馬県土産の饅頭にも目もくれず、再び戻って来るなりげっそりとした面でソファへと項垂れる。


 すると、またしても扉の開く音が響いて来るも。



「はい、はい。次は誰だあ? 菖蒲か、それとも菊か?」


「あっ、天羽さん! おかえりなさい」


「なに、じいさんだと!?」



 藤助の声に、二人は一斉に飛び上がり。



「じいさーんっ!」


「ん……? おお、道松に梅吉か。お前達は相変わらず騒がしいな」


「んな挨拶なんかどうでもいいから、鍵だ、鍵! 早く、かぎーっ!!」


「ぼさっとしてないで、さっさと鍵を出してくれ!」


「ちょっと、二人とも! 天羽さんは帰って来たばかりなんだから……」



 頬を膨らませている藤助を一切気に留めることもなく、二人は扉の隙間から現れた人物へと飛び付いた。そして、梅吉が彼の手から奪うようにして鍵を手にするや、即座に鍵穴へと差し込み。


 刹那、ガチャンッ――! と、甲高い音が部屋中に鳴り響いた。



「やった、やったぞ……。これで漸く解放された……。

 うおーっ、俺は自由だーっ!!」


「ったく、この馬鹿の所為で散々な目に遭ったぜ。うわっ、手首が痣だらけじゃねえかよ」


「もう、二人して。済みません、天羽さん。疲れているのに……」


「いや、構わないよ。この声を聞くと、帰って来たんだなって実感が湧くな」


「あ、あの……」


「ん? ああ、牡丹か。久し振り。あの時、会ったきりだったね」


「はい……」



 漸くリビングへと顔を見せた一人の男に、気付けば牡丹はその場に立ち上がり。じっと、真っ直ぐに彼を見つめ返した。



(この人が、親父へと繋がる手掛かりを持った唯一の人であり、天正家の大黒柱――天羽さん……。)



 彼とは数か月前に会ったきりであるが、やはりその程度の月日ではちっとも変わってはおらず。年頃は三十代半ばほどで背が高く、すらりとした体型をしており。すっきりとした顔立ちに、その身は清潔感に溢れている。


 道松や梅吉は彼のことを揃って“じいさん”などと呼ぶものの、しかし。とても八人も――、ましてや高校に進学している子供を抱えているようには見えず(実際に血の繋がりは全くないのだが)。その愛称はとても不釣り合いだと、牡丹は本人を前にして改めて思う。



(この人が、俺をここへと導いた人――……。)



 なんだか奇妙な緊張感に見舞われる中、牡丹はその理由も禄に分からぬまま。自然と込み上げてきた生唾を、ごくりと慎重に呑み込んだ。

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