こいこい一本勝負! 第02戦:梅に鶯~灰色の記録

 そのDVDを見つけたのは、一体いつのことだったか。覚えているのは、物心付いた頃という曖昧な時分だけで。押入れの片隅にまるでゴミでも捨てるような感覚で、それは他のがらくたと一緒に積み重ねられていた。


 タイトルの一部にも使われているよう灰色を基調としたパッケージには、特に魅かれる要素などなかったが、何故か俺はそれを手に取り。自然の摂理であったかのように、気付けば真っ暗な室内でテレビ画面の朧気な光だけを頼りに、そのディスクをプレイヤーに入れ再生させていた。


 すると、まるで何十年も昔にタイムスリップしたかの如く、画面の中は白と黒だけの世界へと切り替わり。聞いたこともない、異国の言葉が流れ出した。


 画面の下方には字幕が流れてはいたものの、当時の自分にはそれを流暢に読めるだけの学力など持ち合わせているはずもなく。ひらがなばかりを拾い上げていたが直ぐにも読むことを諦め、しかし、決してディスクは止めることなく。そのまま無意味にも映像を流し続けた。


 その映画の主人公のラストは、あまりにも無惨で。まるで生きることを諦めさせるような、絶望感に酷く打ちひしがれたことは一生忘れることはできないだろう。


 それ以来、眠れぬ夜には真っ暗闇の中、毛布に身を包ませ。テレビの画面と睨めっこをして一夜を明かすという、子供には大層成長を妨げるような不健康極まりない生活を送るようになっていた。


 何度も何度もDVDを見返す度に、分からなかったその世界の事情を知り。その内、主人公の無残な死の意味までもが分かり、更なる絶望感に侵された。


 見返す度にその映画自身には至極魅かれていったものの、それとは反対に、主人公には相変わらず共感は持てず。今まで恋を知らずに生きて来た青年が、たった一度、しかも、たった一目見ただけで興味を抱いた女性に翻弄され、挙げ句の果てには命を落とすなど。なんと滑稽なのだろうかと。なんて愚かで嘆かわしく、惨めなのだろうかと。白黒の曖昧な世界の中、そう思わずにはいられず。なのに、瞳は決して、そんな否定的な彼から一ミリたりとも離すことはできなかった。


 しかし、その理由が判明したのは、それから間もなくもしない、あの日。床に座り込んで泣きじゃくる担任の教師を目にした瞬間だ。


 授業中にも関わらず、教室はざわざわと騒がしく。喧騒とした空間の中、冷め切った脳内で思ったことは、俺もきっとあの男と同じなんだろうという、一つのどう足掻こうが絶対に覆らない事実であった。


 俺は、あの男と同じだ。その事実は、一生変えられない。ならば、あの男と同じ道を歩まなければいい。ああ、そうだ。その為には、アイツと背反する行動を取ればいいのだと。


 それは酷く単純で浅墓で、いかにも子供が考えそうな。くだらない持論に過ぎなかったが、この混沌としたその場を収集させるには、それ以外の術など思い付かず。生き抜く為ならたとえどんな方法であったとしても、実行に移すことを安易にも決意した。だから。


 いつまでも泣き続けている教師と、騒ぎ立てているクラスメイト達に対する嘲笑を含ませたその唇に、生まれて初めての嘘を乗せ――。


 一週間も懸けて書き上げた作文は、その証しとばかり。跡形もなく破り捨ててやった。


 とは言っても、元々、顔も名も知らない親父のおそらく人に好かれやすい性質譲りに、恵まれた容姿、恵まれた器用さが拍車を掛け。俺の周りには、常に何人もの女の子が日々絶えることなく付いて回っていた。だから、結局の所、今までとあまり代わり映えしない風景ではあったものの、その日を境にエスカレートしていたことは明白であり。


 彼女達は、例えるなら仄かな香りに誘われ群がる蝶のような。甘い蜜欲しさに縋りつくよう、説いてやった都合の好い言葉に簡単にも酔い痴れ。寂しいとばかりに重ね合わせて来る肌の冷たさに、ひたすら熱を求め続け。


 そんな彼女達の期待に応えていく内に……、いいや、一日でも長く生き伸びる為に、嘘に嘘を重ね続け。いつしか何が真実で、何が虚構なのか。自分でさえ気付けば分からなくなっていたが、けれど、この世界で生き抜くにはその方が好都合だと。そう思わせることで、惨めな自身を慰めた。


 嘘を吐き続けることは、一面に広がる灰の山の中に、ダイヤモンドを埋める作業とどことなく似ている。一つ嘘を吐く度に、もしかしたら掴めていたかもしれない輝かしい可能性という名の光を、己の手で葬り去るみたいな。ああ、そうだ。いくらダイヤだろうが、灰の中に埋もれていれば、その中から見つけ出してもらわなければ、ただの石コロと変わりない。


 その燦爛とした光は太陽の下に晒されてこそ、真の価値を見い出すことができるのだ。だから。


 今日もまた一つ、輝きを失いかけたそれを灰の中へと投げ込んだ刹那。不意にふわりと甘い仄かな香りが優しく鼻を擽った。嗅ぎ慣れている香水のような、人工的で鼻の奥を突き刺す匂いなんかではなく。柔らかくって、心地良くて。それから、どこか懐かしい。


 そんな温かな香りが、遠く頭の片隅へと葬り去ったはずの記憶を呼び覚ます。



『自分の為の嘘と、誰かのことを思っての嘘とでは、同じ嘘でも全然違うと思うんです。だから――……』



 その続きは、なんだっただろうか。確か……。


 そう思った瞬間、残酷にも視界が大きく切り替わり。



「ううんっ……、あれ。ここは……?」


「あっ……。先輩、おはようございます」


「うん、おはよう……って、げっ!? あれ……。

 もしかして俺、本当に寝てた……?」


「はい。とても気持ち良さそうに……」



 遠慮深げに続ける彼女の声は、どこか遠く。その音を背景に窓の外を眺めると、空の色は予想通り真っ暗で。時計は七時手前を指していた。



「あー……、ちょっと仮眠するつもりが。こりゃあ絶対に、明日、朝一で穂北の小言が待っているな……」


「その、あまりにも気持ち良さそうに寝ていたので……。済みません、起こした方が良かったですか?」


「あー、いいの、いいの。お陰で久し振りにゆっくり眠れたし。

 それより、ごめんね。付き合わせちゃって。直ぐ着替えて来るから、一緒に帰ろう。外、もう暗いからさ。家まで送るよ」


「あの、私は大丈夫です。そんなご迷惑をお掛けする訳には……」


「いいよ、俺の所為なんだし。それとも、俺のこと信用できない?」


「いえ! 決してそんなことは……」



「ありません」と続くだろう彼女の言葉を最後まで聞かず。俺は弓道場に向かい、勢いよく図書室を飛び出した。


 耳にはまだ、あの時の余韻が微かにだが残っている。



「うげえ、本当に真っ暗だ。何時間寝てたんだよ……。

 ……世界で一番優しい嘘吐き、か……」



 まさか、そんな風に思ってくれる子がいたなんて。一体誰が予想できただろうか。


 始めはただの好奇心で。頭の固い五男坊をからかう絶好のネタが手に入るのではないかと、下劣で安易な気持ちからで。


 なのに、腹の中で先走ってほくそ笑んでいた俺の裏心には一切気付かず、彼女があまりにも真剣に語り出すから。林檎みたく熟した頬を必死に動かし、花弁みたいな薄桃色の口先から出て来る言葉は、その脆い外見とは裏腹。強かで、真っ直ぐで、純粋で。


 日の光さえも通り抜けてしまうほど透き通ったその声で、もしも、もう一度、あの言葉を紡いでくれたなら。もしかしたら、あの日を遣り直せるのではないかと。無意識にも抱いてしまった安っぽい幻想は、儚くも記憶の波に呑まれて直ぐにも消えた。


 一滴の混じり気もないその潔白さに、一瞬でも魅かれ。思わず彼女に懺悔とばかり全てを自白してしまいそうになった否定し切れない事実は、おそらく一生の不覚である。


 ああ、そうだ。何を今更、善良ぶろうとしているのだろうか。後戻りなんて、できやしないのに。


 なんせ俺が飛び込むのは、闇の中。淡い月光ばかりを頼りに、一歩、また一歩と。ただ我武者羅に駆けて行く。


 決して他人に弱みを見せることなく、決して心の内を悟られることなく。絶対に、ゴミ溜めの中でなど果ててやるものかと。……たとえこの身が燃えようと、残るは灰となんの役にも立たない骨ばかりにも関わらず。



「……永遠の勝利の暁に、灰の底深く。燦然たるダイヤモンドの残らんことを……」



 ダイヤモンドは、灰の奥深くへと埋まったまま。もう一度、熱を帯びた頭の中でその詩を静かに復唱させる。






 ――その燦爛たる一度は失われた光の輝きを、知るのはもう少し後の話である。

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