第013戦:千代のどちとぞ 思ふべらなる

「勝負だ、鶴野――」


「はあ? 勝負って……」



 一体何を言い出すんだと、陽斗がいの一番に声を上げる。漸く射撃場に戻って来たかと思いきや。全く以って予期していなかった展開に、陽斗率いる陰からこっそりと様子を窺っていた射撃部員達は、ぽかんと呆気に取られるばかりである。


 一方の道松は、そんな彼等を気に留めることなく。問題の鶴野ばかりを見つめている。



「勿論、お前は素人だ。ハンデはやる。お前が勝てば、俺はお前の望み通りにしてやる。だが、俺が勝てば、その時はおとなしく家に帰れ。いいな、分かったか?」


「……分かりました。その勝負、お受け致しますわ」



 鶴野は迷うことなく、にこりと微笑を浮かばせる。


 こうして話もまとまると、道松は淡々とルールを述べていく。



「俺の発射弾数は二十発で、二百十八点満点。持ち時間は十分間で、十点台以外を出した場合は点数には加点しない。お前の発射弾数は二十五発で、二百七十二.五点満点。持ち時間は俺の倍の二十分間。合計点の多かった方の勝ちだ。陽斗、お前は記録係を頼む」


「それはいいけど……。はい、はい、分かったよ。一度言い出したら、絶対に引かないもんな」



 これ以上口出しするのは無駄だと分かると、陽斗は両手を挙げて降参し。


 部員達に見守られる中、準備も整い。開始の声を合図に、二人は的目掛けて一斉に銃を構える。


 機械的な音ばかりが響く中――。



「おい、マジかよ……。天正の奴、まだ一度も満点を外していないぞ。さっきまであんなに不調だったのに……」


「アイツ、化け物かよ。マジでパーフェクト出しちまうんじゃないか?」



 彼等の言う通り、道松は全くぶれることなく。一定のペースを維持したまま、次々と正確に撃ち込んでいく。


 けれど、一方の鶴野も。先程から彼女の画面が映し出すのは、八や九といった高得点ばかりで。一発一発慎重に、確実に的の中心目掛け撃っている。



「天正も凄いが、朝夷さんも朝夷さんだ。こんな点数、素人がそう簡単にぽんぽんと出せないぞ。このままの調子でいけば、もしかしたら、朝夷さんが勝つかもしれないな」


「ああ。いくら天正が満点を取ったとしても、彼女がそれを上回れば意味ないからな……って、げっ!? アイツ、マジで満点取りやがったぞ」


「ってことは、天正の点数が二百十八点で、あとは朝夷さん次第か……」



 道松が先に全発撃ち終わり、視線は残った鶴野一人に注がれる。


 室内には、一層と重たい空気が流れ出し。一発、また一発と銃声が鳴るのに伴い、その場は緊張感で満たされていく。


 鶴野の持ち弾も半数を切り、勝負は佳境へと突入する。けれど、一発の銃声の後、画面は急に切り替わり。『0』という数字を示した。その数値に誰もが違和感を覚えると同時、ぐらりと急に彼女の像が大きく乱れ――。



「鶴野っ――!?」



 床に崩れ落ちる彼女目掛け、道松は咄嗟に手を伸ばす。どうにか彼女の肢体を掴み取り、そのまま自身の方へと引き寄せる。



「鶴野、おい、鶴野! まさか、例の発作か……!? 薬……、おい、薬はどこだ。持ち歩いているんだろう?」


「あの、薬はスカートのポケットの中に……」


「スカート……、あった、これか。あとは、水……。おい、陽斗。水だ!」


「道松! ほら、水だ」


「ああ。おい、鶴野。水だ、飲め。おい、鶴野。鶴野! 

 ……ちっ、仕方ねえな」



 愚痴を溢しながらも道松はペットボトルに口を付け、水と共に薬を含む。そして、鶴野の顔に自身のそれを近付け、そのまま静かに唇を重ね合わせた。


 静寂の後、鶴野は薄らと瞳を開かせていき。



「……おい、落ち着いたか?」


「はい……、」


「……ったく。身体が弱い癖に、無茶ばかりしやがって。人の心配をする前に、自分の心配をしろ」


「そう、ですね……」



 口角を上げ、薄らと微笑む鶴野の。顔に掛かっている髪の毛を、道松は指先でそっと払い除ける。


 呼吸も整い、調子が落ち着いたのを確認すると、道松はそっと彼女を抱き上げ。



「あの、道松様? まだ勝負の途中です」


「勝負なんてどうでもいい。それより少し休め」


「でも……!」


「もう黙って消えたりなんかしねえよ」



 ぼそりと一言、鶴野の耳元で。そう呟くと、彼女は小さく頷き返す。


 道松は、扉に向かって歩き出し。



「おい、陽斗。ここの片付け、頼んでもいいか?」


「はい、はい。それくらい、言われなくともやって置くから」



「……悪いな」と、空気混じりの音を辛うじて聞き取り。一つ、乾いた息を吐き出させると。陽斗は小さくなっていく背中に向け、ひらひらと片手を振った。






✳︎✳︎✳︎






 道松は鶴野を抱えたまま、人気のない廊下を通り過ぎ。保健室の前まで辿り着く。


 中に入るも、人は誰もおらず。鶴野を空いていたベッドの上に静かに下ろすと、自身はその手前に置かれた椅子にどさりと深く腰を掛けた。



「あの、道松様。私、もう平気ですわ」


「何が平気だ。暫く横になって休め」


「でも、この後、藤助様とご一緒に夕食を作るお約束をしているんです。だから、早く帰らないと……。あっ、そうですわ。今日は道松様の大好きな、ビーフシチューですよ。それから、それから……」


「いいから。少しはおとなしく言うことを聞け」



 道松は鶴野の言葉を遮り、ぺちんと彼女の額を軽く叩いた。その衝撃に、鶴野は咄嗟に目を瞑り。彼の言う通り、口を閉ざした。



「その、悪かったな。無理させたのは、俺だよな」


「いえ、そんなこと……」


「お前の父親から連絡があった。どうやって俺の携帯の番号を調べたかは分からないが、おおよそ探偵でも雇ったんだろう。訊かれたよ、お前が来ていないかって。黙って家を出て来たと大方予想はしていたが、まさかその通りだったとはな。

 ……縁談、もういくつも断っているんだって? ったく。お前の親父さん、電話越しに泣いていたぞ。それから。こうも言われた。もし俺が豊島家に戻るのであれば、お前との婚姻を認めてやってもいいと」


「認めるも何も、私達は既に婚約を交わしておりますわ」


「何を言っているんだ。あんなの、餓鬼の頃にした口約束だろう。子供の戯言だ。なんだよ、許婚って。婚約者って。はんっ、……笑わせるぜ。

 どうせウチの連中に頼まれたんだろう? 俺を連れ戻せたら婚姻を認めるとでも言われて。俺が見抜けないとでも思ったか。アイツ等ときたら跡取りがいなくなった途端、掌を返しやがって。勝手過ぎるんだよ、都合良過ぎだ。本当、馬鹿げているよな。今はもう平成という時代なのに、時代錯誤も甚だしい。古い習慣に囚われ振り回されている、可哀想な連中だ」



 ははっと道松の口先から、自然と嘲笑が漏れる。それは、一体誰を笑っているのか。不確かな笑みだ。


 けれど、それも直ぐにも収まると、下唇を噛み締め。鶴野の大きな瞳をじっと見つめた。



「いいか、鶴野。よく聞け。これから先、何があろうと、俺は決してあんな腐った家に戻るつもりはない。絶対にだ。分かったら、さっさと来ている縁談話を受けろ」


「嫌ですわ」


「なっ……、おっ、お前なあっ……! いつまでも駄々を捏ねているんじゃねえ! お前だって、もう大人だ。あれは昔の話で、そんな薄汚れたお伽噺にいつまでも夢見ているんじゃない。自分の役目くらい、ちゃんと分かっているだろうに」



 道松は勢いよく椅子から立ち上がり、ばんっ! と強く叩き付けるようにベッドに手を着く。眉はいつも以上に吊り上がり、瞳には強い光を宿している。


 鋭く睨み続ける道松に、しかし、鶴野は一切顔色を変えず。徐に彼の手を取ると、自身の頬にそっと宛がえ。


 ――刹那。


 すっ……と一筋、彼女の大きな瞳から雫が頬をつたい。ぽたりと白いシーツの上に流れ落ちた。


 その光景を前に、道松の瞳は自然と見開いていき。



「……好き。あなたのその不器用な優しさが好き。好き、好き、……大好き。

 ふふっ、道松様。気付いていましたか? あなたが心にもないことを仰る時、そうして下唇を噛むのが癖だということに。それに、あなたが教えてくれたんですよ。『周りの声なんて気にするな。雑音なんかに、一々耳を傾けるな』って……」


「だから、それは……!」


「私にとって、あなたの言葉以外は全て雑音です。雑音に耳を傾けるつもりなど、一切ありませんわ。

 確かに豊島家の方々に、あなたのことを頼まれたのは事実です。でも、あなたが豊島家の人間であろうとなかろうと、私には関係ありませんわ」



「……おい、本当に分かっているのか? 家を捨てることがどういうことなのか」


「はい、分かっております。だって、ずっとあなた様を見てきたんですもの」


「家の連中に会えなくなるだけでなく、今までみたいな裕福な生活だってできなくなるんだぞ」


「構いませんわ。華美な洋服も色とりどりの宝石も。あなたの前では何の価値もありませんもの」


「それから。……俺はお前に、何一つ返せないぞ」


「いりません。だって、私は既に十分過ぎるほどもらっていますもの。私の方こそ、一生懸けても返し切れませんわ」



 一層と頬を擦り寄せる鶴野に、道松は一拍置くと、はあと深い息を吐き出させる。


 すっかり引き締めた顔は崩れてしまい。それを戻せぬまま、道松は開けた額に手を添える。



「本当に強情な女だ……。

 弟に言われた。ちゃんとお前と向き合って、答えを出してやれって」


「弟とは、牡丹様のことですか? ふふっ、随分と仲がよろしいんですね」


「そうか?」



「普通だろう」と、道松は最早投げ遣りに返し。そんな彼の反応に、鶴野はくすくすと口に手を添え小さく笑う。


 くすくす、くすくすと。いつまでも笑い続ける彼女に、道松は薄らと瞳を細め。わざとらしく咳を一つすると、すっ……と視線を横に流した。



「あのさ、鶴野」


「はい、道松様」


「その……、なんだ。俺はタコよりカニの方が好きだ」


「あら、そうでしたの? 分かりました。それでは、今度はタコさんではなくカニさんウィンナーにしますね」


「それと。本当は……、本当は短い髪より、長い髪の女の方が好きだ……」



 跋の悪い顔をさせる道松に、鶴野はきょとんと目を丸くさせるが。直ぐにも頬を綻ばせ。



「ふふっ、それは知っていましたわ。昔からそうでしたものね」


「うっ……。だ……、だから、その……。また、伸ばせよな。お前の髪が伸びたらその時は、……婚姻の話、少しは考えてやってもよくてだな……」



 さらりと一房、鶴野の髪を手に取るが。それは虚しくも、するりと彼の掌から零れ落ちる。


 けれど、行き場を失ってしまったその手を、鶴野はそっと手に取り。静かに自身のそれと重ね合わせた。






✳︎✳︎✳︎






「――道松様。お待ち下さい、道松様!」


「おい、鶴野。付いて来るなって言っているだろうが!」


「でも、鶴野は道松様の婚約者です。婚約者はいつも一緒にいるものだと、お父様が仰っていましたわ」


「そんなこと知るか。いいからお前はおとなしく寝ていろ。また倒れたって知らないぞ。

 大体、その話だって、周りが勝手に決めたことだ。俺は認めていないからな」


「でも、でもっ……! 鶴野は、鶴野は道松様のことが……」


「なっ……、泣くんじゃねえよ! 俺は、泣き虫は嫌いだ!」


「泣いていません。ただ、鶴野は道松様のことが、道松様のことが……」


「――っ、……ああっ、もう! 分かったよ。

 ……髪」


「えっ……?」


「俺は、髪の長い女が好きだ。だから、その……、お前の髪が伸びたら、お前のこと、お嫁にもらってやっても良いぞ」

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