Log-153【海の只中に至るまで-参】
「全体を通して見たことなかったけれど、街の組み方が全部理に適っている……」
「…………」
エレインの素直な感想に対して御者が口を開くことはなかったが、ふと彼の微かな溜息や身震い程度の微動から、そこはかとない思念を感じ取った。それは想起の類か、あるいは後悔の念か。少なくとも彼には、この合理の街並みに何か思うところがあったようだ。
田畑の広がる都市外周地帯をしばらく突き進むと、今や崩れ去ったかつての西側城郭と同じ巨大な幕壁が眼前にそそり立つ。一行が乗る馬車は郊外移動用の
天はすでに宵の刻を指し示し、降りしきる白雪を蒼き街灯が照らし出す。アクセルとウルリカを先に担架で運びだし、暖炉が備え付けられた
「ありがとう、みんな。連戦に次ぐ連戦で疲れてるのに、ここまで頑張ってくれて」
「いえ、我々はこの戦いが終わるまで、為せることを成すまでですから」「二人の容体は、一先ず安定に入ったようですし」「ああ、このまま安静にしていれば、もうしばらくで目を覚ますだろう。全く、世に英雄と称えられるような輩はみな途方もない生命力だ」
治癒魔術のベテランが呆れたように二人の体力を褒め称える――かつての勇者もそうだったと思い返すように。そんな記憶など、決して存在しないはずなのに。
「……うん、そうだよね。この二人は本当に英雄だよ。僕達には到底なし得なかった、前代未聞を成し遂げたんだもんね……」
悲愴を押し殺すように、だがまるで彼らに念を押すように、エレインは返答した。少しでも覚えていて欲しいという願いが絶対に叶わぬことを知っていても、人々のために命をなげうったアクセルとウルリカが少しでも報われるようにと祈って。
メルランがイングリッドとエレインに勇者の真実を語った際、こう言っていたのを思い出す。「過去、勇者と謳われた者に対する記憶は、決して民衆には定着しない」。そう、ウルリカを含む勇者なる存在は、この世界に組み込まれたシステム。その存在は曖昧でありつつも、しかし人類の精神に刻み込まれた情報。記憶としては残らずとも、伝承としては語り継がれ続ける叙事詩。
セプテムの民が勇者の力を否定していたのも、勇者を名乗る者など
神を
「もう夜だけど、僕はこれからすぐに発つよ。みんなも、少しでも身体を休めてね」
エレインがそう言うと、別れの挨拶もほどほどに医療班はもと乗って来た馬車へとゆっくり搭乗していく。疲れ果てただろう彼らを見送ると、彼女は踵を返し、
「――お待ちを」
エレインが男の声に振り返る。そこにいたのは、着膨れした
「あ、御者さん。ごめんなさい、お礼を忘れてました」
「いえ、礼など必要ありません。ただ、これを――」
そう言って御者は懐から眩いほどの宝石を取り出した。それは――純白の魔石。しかもそれは、既視感のある魔石。そう、ウルリカが帯びた剣の鞘に接がれた魔石に良く似ているのだ。つまり、光の属性を司る魔石ということ。
「これを、なぜ僕に? 貴方は、一体……?」
「ゆえあって名乗ることは許されていません。唯一私が許されていることは、私の雇い主の一人から託されたこの魔石を、アクセル様にお渡しすることだけでございます」
「…………分かりました。受け取っておきます」
エレインは御者から純白に煌めく魔石を受け取った。アクセルのために用意された光の魔石を。その石がどんな魔法をもたらすのかは見当もつかないが、御者の雇い主なる人間には何らかの意図があって渡してきたのだろう。それは、御者の次の言葉に表れていた。
「……いつ如何なる時も、肌身離さず、携えていてください。それが我が雇い主の願いでございます。何卒、ご信用くださいませ」
もはや疑う必要もないだろう。全てを語らず、多くを明かさず、手段のみを授ける手口。そんな回りくどいことをする人間など、一人しかいない。
「……ぷっ、ぷふふ!」
エレインは思わず噴き出してしまった。すると、彼女の反応に対して意外にも、御者も一笑で返したではないか。御者の反応に少し呆気に取られるも、それがまた滑稽に感じて、手で口を押さえてクスクスと笑い出した。
「ぷふふ、ごめんなさい……雇い主さんが御者さんを通して透けて見えちゃって」
「いえ、お気になさらず」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます