Log-138【ヒトの祈りの防護壁-壱】
「――術式構築および結界の広域展開を完了。初動魔力の捻出および維持強化用魔力の経路を
仲間の無駄口に付き合いつつも、イングリッドは素早く精確に魔術の準備を整えていた。眼前にうずたかくそびえる
「特鋭隊、総員配置! 合図ののち、全魔力を魔術に注ぐよ!」
後方部隊への撤退指揮に当たっていたエレインが特鋭隊を引き連れて前線に復帰。横一列に並んだイングリッドと魔術師達の背後に立ち並び、彼らは一斉に手を差し伸べた。
「撤退行動への移行に滞りなく! エレイン以下特鋭隊、支援に徹します!」
エレインの喚呼とともに、最前線に渦巻く膨大な魔力。一堂に会した連盟部隊の意識と魔力は一点に集中していき、日輪を
しかし、それでも彼らに、諦念の色は見えない。圧倒的な質量の差はあれ、彼らには一つの確信めいた感触があった。神に無くヒトにあるもの、それは魔術。非力なる人類が編み出した叡智。創世をも果たした神が、なぜ魔力を持たないのかは分からない。だが、実感として認識できる、その力が備わっている。この戦場において神秘をもたらすことができるのは、ただヒトのみ。
「『――
今ここに、巨大な氷壁が現れる。大地から弧を描いて伸びていき、都市を囲む幕壁をも飛び越えてそそり立つ。それだけに留まらず、同様の氷壁が折り重なるように次から次へと出現し、堅牢なる氷層を幾重にも連ねていく。その様相はまさに、押し寄せる巨大波が瞬時に凍りついたかの如く。まるで浮世絵に描かれた波濤が具現化したかのよう。
そんな人類の
「魔力を最大まで高めろ!」「すでに全力です!」「僅かでも壁に厚みを!」「もはや我々ができる限界速だぞ!」「温存なぞしてる場合ではないのだ!」「奴を見よ! 都市が吹き飛んでもおかしくはない!」「捧げろ、全てを! それが私達の出来る全てだ!」
「当たりだ……ウルリカと一緒に
膝を折り、漆黒に染まった手を地面にあてがう、アクセルだった。
「僕の身体が保つ限り、この地の魔力を汲み上げます! この力、使ってください!」
身体が保つ限り……アクセルは幾度もの行使により、コツを掴んでいた――その限界も。自らの暴走に歯止めをかける『恒常の指輪』は、彼やウルリカの想像以上に保ってくれていた。しかし、確実にその指輪は効力を失いつつある。厳密に言えば、目に見えて縮まっていた。魔術が施された銀無垢の指輪が、まるで削り取られ、しぼんでいくかのように、小さくなっていたのだ。当然、指輪を嵌めた指は血流が滞るほどに締め付けられていた。
「アクセル、お前……本当に大丈夫なのか?」
「隊長、お心遣い感謝いたします。大丈夫です、僕にはウルリカがついていますから」
アクセルが地脈から吸い上げた魔力の後押しによって、氷壁は瞬く間に二重、三重と更に折り重なっていく。それはあたかも、幾星霜を経て堆積した地層の如き重厚――しかし、そんな人類の快進撃も束の間だった。ここに、神による審判が下される。
世界は神の
しかし――突如として、乱れが収まった。風が止んだ。大地が鎮まった。地上に荒れ狂う巨神の暴威が、突然鳴りを潜めたのだ。「止まった?」「終わった?」「収まった?」人々は口を揃えて、凪の到来を認める。疑問符を付けた、希望的観測を以て。
だが、これは違う。胸中では、誰もが分かっていた。異様な静寂だ、嵐の前の静けさだ。時間にして数秒の寸暇だったのだろう。その一瞬のうちに、背筋が凍りつくような怖気が走る。死を直感した時のような、逃げ場のない恐怖が人々を襲う。なぜなら、音が全くないのだから。風の音もない、物音もない、命の気配もない。その一瞬は、決定的に何かが欠けた時間だった。まるで神が、大地から息吹を奪ってしまったかのように。地に足がつかない、浮遊するような不穏さが地上を包み込む。
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