Log-136【霊峰を穿つ-弐】

「直感に従って何でもやってみるものね。後ろ、取ったわよ」


 視界に映る景色は、さながら鉄の丘。だがウルリカは確かに、鉄の巨神アイアンタイタンの首筋に接触していた。轟たる地響き、いや、火砲の着弾による絶え間ない震動が彼女を揺さぶる。足下が覚束ない、急勾配の坂から滑り落ちそうになる。


「『略式、粘糸鉄線スティッキー・スレッド!」」


 まるで繭を纏うように糸で全身を包み込んでいき、接着する糸の性質を利用して己を地面に固定させる。これで振り落とされる心配はなくなった。


「……さて、とことん力を発揮してもらうわよ――神様を、殺せるまで……!」


 鍵の先端を鉄の巨神アイアンタイタンの首筋にあてがう。狙いは定まった。あとは祈りを定めるだけ――だが胸中に、一抹の雑念が過ぎる。それは、不安、不穏、懸念の類。


(随分とあっさり、し過ぎている。迎え撃たれるのは覚悟してた、およそ作戦の継続が困難になるくらいのものは。破狼ハロウのしぶとさに気が滅入っただけ? ただの杞憂きゆう? それとも、鍵の力が及ばないかもって危惧きぐ? だって、これで終わる程度の相手なら、わざわざ教授が戦場を見捨てて功業の旅を続けろ、だなんて言うかしら)


 何かがおかしい、何かが足りない。全てが不測、全てが臆測。鍵とは何だ? 神とは何だ? この期に及んで、疑問が尽きない。まずい、思考の堂々巡りが始まってしまう。


(……なら、他に手はある? そうよ、どのみちここまで来て、引き下がるわけにはいかないわ。この機会を逃せば、セプテムの都市は間違いなく滅びる。やるしかない……!)


 ウルリカは胸底から湧き上がる雑念を押し殺した。この状況下での思索は無意味、真実を導くには必要な情報が足りない。導き出せたとて、成すべきことは変わらない。


 握り締めるその手を通じて、己が想いに呼応する鍵へと心を注いだ――鍵が事象を引き起こす直前、その刹那の間で、ウルリカは気付く。鍵は、魔力を必要としていないということを。縮退魔境エルゴプリズムの超重力から逃れた際も、説得のためにイングリッドを瞬間移動させた際も、魔力の消耗はなかった。その時は別のことに気を取られていて気付かなかったが、彼女は今はっきりと認識する。


(旧主の権限因子を持つ者だけが扱える先史の遺物……遥か古から存在を認識され、勇者の歴史とともに磨き上げられてきた古道具アーティファクト……魔力を纏わない鉄の巨神アイアンタイタンが唯一認識し迎撃を余儀なくされた物体……それはつまり――)


 ウルリカが一つの結論へと辿り着く、その瞬間――目も開けられぬほど膨大な極光が、鍵の先から放たれた。その光は、まるで巨神に馴染んでいくかのように、その巨体の隅々までを侵食していく。


(そう、やっぱり……恐らくこの鍵は、鉄の巨神アイアンタイタンと同じ起源を持ってる。蒸気機関のような駆動音、人工的な外骨格、偽神っていう呼称。魔力の補助がなくても人の手足となって働くものに、機械って概念がある。あたしの中の勇者達が囁いた、先史の遺物って言葉が指す先は、鍵だけじゃなくて、この巨神も含んでいるのかも。魔力を用いず、これだけの機械人形を生みだす、あたし達の旧主が作り上げた先史文明……)


 鍵の先から放たれる極光、それを我が物のように受け入れていく巨神。鍵を握る掌から伝わってくる、その奇妙な共鳴反応。命が渇きを潤すために水を欲するように、由来不明なる二つの物体は互いを受け入れる。一方からは破壊の光を、もう一方は抗えぬ滅びを。


 それは、光輝なる巨神。雲霞の切れ間から射す後光、極光を放つ鋼鉄の鎧。霊峰の山嶺から覗く朝日を思わせる神々しいまでの荘厳さに、人類は攻め手を止めずとも、しかし目を奪われる――と同時に、人類は耳にする。神の慟哭アポカリプティックサウンドを。それは、腹の底から突き上げられるような、心臓を鷲掴みにされるような、大いなる畏怖。まるで、災厄の予兆のような、切迫した響きが木霊する。あるいは、死霊の呻き声。


「……この音は、何? ウルリカ、聞こえるかしら? 応答しなさい」


 動揺を隠せないイングリッドは、即座にウルリカへと精神感応テレパシーを繋げる……しかし、応答はない。通信が途中で切断された気配はなく、間違いなく接続は成功している。だが、彼女からの声は聞こえない。


「ウルリカ、応答しなさい。そちらの状況を伝えなさい、ウルリ――」


「――SAIV……SHEPHER……MUCHWENE……THYTE――」


 脳裏を貫く雑音混じりの声、ヒトならざる無機質な声……それはまるで、詠唱のような。


「……ッ!」


 何が起きた? 突然の混線、意味の汲み取れぬ言葉、応答のないウルリカ。烈火と稲光が吹き荒れる渦中での精神感応テレパシーだ、通信が乱れることも間々あるだろう。突如として巨神が光り輝いたかと思えば、原因不明の慟哭の如き轟音が鳴り響いているのも気がかりではある。しかしそれよりも、あれはなんなんだ? 爆音でも雷鳴でも人の声でもなければ、あの詠唱は一体なんだというんだ?


「……神? まさかあれは、神の啓示だとでもいうの? ヒトによって作られた、ヒトを創りし神の……?」


 イングリッドは悟る。かつてメルランから授かった、この世の創世神話、人類誕生に纏わる秘話、勇者が帯びた使命の真実。どんな手を使ってでも、勇者であるウルリカに功業の旅を続けてもらわなければならない理由。一連の事象の謎を解く鍵は、そこにあった。


「――エレイン! ウルリカを回収できる!?」


 巨神に向けて腕を伸ばし、特鋭隊とともに電離魔術を継続するエレインに対し、イングリッドが鋭い語気で尋ねる。


「む、無茶だよお姉ちゃん! 今ウルリカは鉄の巨神アイアンタイタンの首筋辺りにいるんだよ!? 標高で言ったら、ほぼ山頂じゃん!」


 当然だ。いくらエレインが電離魔術による高速飛行を可能とするとはいえ、高度は精々が留鳥のそれと同等か。つまり現在、ウルリカに接触する方法が存在しない。やはり自らの命に代えてでも、彼女を戦線から離脱させるべきだった。イングリッドは後悔とともに、背筋に冷たい不安が走る――その時、脳裏に精神感応テレパシーの接続を認めた。


「ウルリカ!?」


「違う、儂じゃ。メルラン・ペレディールじゃ。ローエングリンの次女よ」


 メルラン? 魔術の大老? 命を捨てる覚悟を誓わせた挙げ句、この期に及んで、まだ何か指示があると? 


「……ウルリカに精神感応テレパシーが繋がりませんわ。あの巨神も不気味な動きを見せております。意見をお聞かせください」


「把握しておる。儂も接続を試したが無理じゃった。代わりにお主も聞いたのではないか? 奴の慟哭どうこくを」


 慟哭……なるほど、あれは嘆きか。イングリッドの脳裏を貫いた奇妙な声は、なにかを嘆き悲しんでいたらしい。神の心中など推し量る余地もない。だが、この状況下に対して、何かしらの不満を持っておいでのようだ。


「ええ、まるで呪文の詠唱を思わせるものを」


「危険じゃ。今の奴が放っておる光輝は、魔力としては推し量れぬ純粋なエネルギー。ソレがもたらすものは、質量の解放、純粋な破壊……恐らく城郭さえ持たんじゃろう。もはやウルリカの命は天命に任せるほかなく、せめてお主らは己の身を守る術を講じるのじゃ。これは命令ですらない、警告じゃよ……!」


 この翁は、なにを言っている。ウルリカの命は運まかせ? あの子の運命を弄んできた末に出てくる言葉がそれ? 貴様という人間は、どこまで……!


「分かっておる、お主の気持ちはな。だが、これは急を要する事態じゃ……! 儂の読みも、お主らの読みも外れおった。なればこそ、被害は最小限に抑えねばならん……!」


 腹の底から湧き上がる殺意は、しかし、自らの過失を以て鎮火させる。メルランの言う通り、ウルリカの望みなど無視すればよかったのだ。彼女が語る希望などに縋ろうとした己の弱い心など、吐き捨てればよかったのだ。


「……承知、すぐに対応致します」


 そう言ってイングリッドは膝を折り、地面に手を着けて、即座に魔術の術式構築に移行する。時間の許す限り、堅牢なる防護壁を築くほかない。彼女は魔術の行使と並行しながら、懐から取り出した無線機をエレインに投げ渡し、一つの命令を下した。

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