Log-126【狂気と剛毅のせめぎ合い】

「ハァ……ッ! ハァ……ッ! イングリッド! 回復追いついてねえぞッ!!」


「無理を言わないでくださる! こちらも全力で魔力を回してますわ!」


 たった一人で破狼ハロウとの剣戟けんげきを続けるアレクシア。その後方では魔術師達が総力を挙げて、彼女に対して治療の復元魔術を継続的に掛け続けていた。それに加え、イングリッドら攻勢に回った魔術師達は、少しでも大狼の動きを抑制すべく氷結魔術を共同行使して、四肢を地に着けた瞬間にピンポイントで罠を仕掛け、瞬時に体温を奪い凍結させていく。


 だが、大狼はやはり、あらゆる攻撃に対し免疫をつけてきていた。最早その程度の低位な魔術では、動きを制限することさえできない。


「……なら、これはいかがかしら!? 姉様、後退を!!」


 イングリッドの言葉に対応して、一足飛びに破狼ハロウから距離を取るアレクシア。直後、距離を取った彼女に詰め寄ろうとする大狼の眼前に、その背丈をも越える長大な氷の柱が地面から出現する。更に、大狼を取り囲むように続々と氷の柱が地面から伸びてくる。瞬く間に氷柱の牢獄が出来上がった。自由を奪われ、暴れ狂う大狼。時間の問題ではあったものの、一時的に動きは止められたようだ。


「クッ……! ハァ……ッ! ハァ……ッ! ハァ……ッ!」


 地面に大剣を突き刺して、身体を預けるアレクシア。肩で大きく息をする度に、魔術で増幅させた筋肉が蠕動ぜんどうする。滝のような汗が滴り落ちる、足腰が小刻みに震えている、うつむく顔を上げることもできない。その間にも後方からは、体力を回復させるべく、復元魔術を彼女に掛け続けた。


「グッ……! 私達と、エレイン達の、魔術! 持って、数分! 姉様、その間に!」


「ああ……ッ! 十分だ……! 助かるぜ、イングリッド……!」


 僅かな時間稼ぎ。しかし、その寸暇こそが誰にとっても喉から手が出るほど欲しかった時間。


「お姉ちゃん、準備できてるよ! 号令お願い!」


「ええ、承知したわ……ッ! カウント後、即座に放って……ッ!」


 エレインが精神感応テレパシーを飛ばしてきた。それに応じるイングリッド、更なる企みを臭わせる。とはいえ、その全てが時間稼ぎだ、端から決定打を狙っているわけではない。ならば尚更、


一つ一つをより長く、持続させることが肝要。だが、


「駄目、持ちそうにないわ……! これほどまでに……何て魔物なの……!」


 窮屈な牢獄の只中にあって、狂気に駆られたように暴れ回る破狼ハロウ幾星霜いくせいそうの樹齢を重ねた巨木のように長大な氷柱を、まるで低木のように揺さぶり、根元から引き抜かんとする。


「エレイン、ごめんなさい……! 早くも頼らせて貰うわ……!」


「大丈夫だよ! 任せてお姉ちゃん!」


「ありがとう、頼むわ……! 五……四……三……二……一……」


 術者ゆえに感覚で理解できる、己が魔術の崩壊する音。揺らぎ、ひび割れ、朽ち果てる様。


「……〇」


 破砕音を轟かせ、宙空に瞬く細氷を撒き散らしながら、解き放たれる破狼ハロウ。だが人類は、攻勢の手を緩めはしない、仇敵きゅうてきの自由など許さない。


「『創造の始まりは光であった。原初は闇の淵にあった。それは混沌、創造の余地無き茫漠ぼうばくだった。ゆえに、光は生まれた。秩序をもたらすため、夜を照らすため。願わくは、光よ、あれ。照陽エクブリロ』」


 エレインら特鋭隊による斉唱が履行りこうする。その直後、破狼ハロウの目と鼻の先に、燦然さんぜんたる閃光。連盟部隊の者達は一斉に眼を覆う。ただ眼を細めただけでは堪えきれぬほどの光度を放ち、たちまち大狼の網膜を焼いた。苦悶くもんに吼え、地面に瞼を擦りつけ、荒々しくのたうち回る。しばらくすれば視力など戻るだろう、しかし、ただ呆然ぼうぜんと眺めて終わらせるはずもない。再びイングリッドは氷柱の牢獄の中へと大狼を収監した。


「馬鹿の一つ覚えのようで我ながら呆れてしまうけれど……姉様の言う通り、今は形振り構っていられないのよ……!」


 眩惑戦術は恐らく、二度通じない。破狼ハロウがそれを学習しようがしまいが、その肉体には抗体が出来上がっているのだろう。ゆえに再度、アレクシアの常軌を逸した爪牙の応酬おうしゅうに頼らねばならない。だからせめて、一秒でも長く、彼女に休息を与えなければならない。その一心でイングリッドは、近いうちに砕かれてしまう氷柱に全霊の魔力を注ぎ続けた。


 荒かった息は、今や整った。魔術による肉体の酷使で、節々には激痛が走る。だが、動けないほどじゃない。後方から放たれる、仄かに暖かな感触をした回復魔術を享受する。そのお陰か、身体が軽い。疲労は抜けないが、十分に動ける、それだけの体力は戻った――その時、


「――アレクシア、俺も戦うよ。貴女の隣で」


 突如として、隣から男の野太い声が聞こえてきた。そこに現れたのは、


「ジェラルド、お前……」


 今は壊滅せし駐屯兵団、その団長ジェラルドだった。治療受けて消沈していた先ほどとは見違える、決死の表情を湛えて、アレクシアの隣に立つ。その顔は紛う事なき、戦士の風体。彼女の勇壮なる姿に当てられて漲る闘志に、仲間を失った哀惜の心から生まれる冷徹れいてつさをも兼ね備えていた。


「すまなかった、アレクシア。俺は、どうかしていた。どこかで、人の死など忘れていたようだ。ここは戦場だ、未曾有みぞうの戦場だ。命を懸けるとか、懸けないとか、そんなちっぽけな話じゃない。殺すか、殺されるかだ。俺の甘さが、あいつらを殺めた。だからもう、感傷じゃない。これは、弔いだ」


「ジェラルド……。分かった、最前線で共に戦おうぜ。だからっつって、死ぬんじゃねえぞ?」


「ああ、勿論もちろんだ。もう奴に、命など――くれてやるものか」

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