Log-106【天を翔ける魔女-弐】

「ウルリカ、算出できたよ! 現在の敵影距離約七〇〇〇メートル、敵陣展開範囲が約二〇平方キロメートル」


「へえ……やるじゃないみんな。随分頑張ってくれてるわね」


「だから君は接敵から二〇〇〇メートル進んで、高度五〇〇メートルから地上に向かって縮退魔境エルゴプリズムを投下」


「全速力で離脱してもギリギリじゃない。空の鳥共を掻い潜って、群れのど真ん中に投下……まあ、魔石が啄まれちゃお仕舞いか。仕方ないわね」


「その一分後に起爆でき……ば、射程……有効利……しつつ……こちらに被……と思…………」


 無線機を通したパーシーの声にノイズが混ざり始め、遂には完全に応答しなくなった。


「……全く。意地張らずに精神感応テレパシー学べばいいのに。錬金術師ってこだわり強くて不器用ね」


 ウルリカは高度を上げ始めていた。眼下には、雪崩のように過ぎてゆく砲弾、大矢、雷槍。無数のそれらが、海嘯のように押し寄せる魔物の群勢を仕留めていく。それはまるで、塗料を染み込ませたローラーを掛けるかのように、大地を朱に染め上げていくのだ。


「でも何とかパーシーの計算は間に合った。魔術師達も何とか持ち堪えてくれてる。後はあたしが事を成すだけね」


 ウルリカは儀仗剣から放たれる噴流の勢いを引き上げ、更に速度を上げていく。空に浮かぶ千切れ雲をかき分けて、更に高度を上げていく。次第に彼女は入道雲の中へと紛れ込んでいき、視界は雲霞によって遮られてしまった。だが、とにかく乗じた儀仗剣を走らせる。目一杯の噴流を放って、肌を劈く霜に耐えて、先の見えぬ雲集の暗路をただひたすらに突き進む。


 どのくらい昇っただろうか。延々と霧の中を彷徨うような、距離感を失う光景が続く。次第に嫌気が差してくる、と同時に、焦燥に駆られ始めた頃。視界を曇らせていた暗く濁った雲霞が、目も開けていられないほど眩く発光していったのだ。


「――あ」


 そして、ハッと気付いたときにはもう、ウルリカは雲集を突き抜けていた。その先で、彼女を眩く照らしたのは、地上からでは覆い隠されていた、煌々と輝く太陽。


「……綺麗……」


 頬に霜の降りたウルリカを、柔らかな日の光が優しく暖めていく。地平線に渡るまで辺り一面に広がる雲海は、あたかも天の国に舞い降りたかのよう。目に映るその全てが、地上という阿鼻叫喚の魔境を、ほんの一時だけ忘れさせてくれた。


「この世界にもまだ、汚れていない場所があったのね……」


 澄み切った空気が、『セプテム』を汚染する排煙と、硝煙と、死臭とを洗い流していく。権謀術数が渦巻き、血で血を洗う不浄なる世界とは無縁の、息も吐かせぬ清浄なる天界がそこにあった。


「……でもまあ、まだ極楽浄土って柄じゃないのよね、あたし。地獄の淵の方がまだ性に合うってね」


 そんな、自分でも洒落臭いなと感じる言葉を呟いたあと、彼女は高度を落としていく。心は晴れやか、思考は澄み渡る、それだけで十分。


 ウルリカは再び、魔の住まう叢雲の底へと沈んでいった。



―――



 暗雲に風穴を開けて現れたのは、爆轟波を放ちながら急降下するウルリカ。最早その速度は亜音速にも達し、周囲を吹き飛ばすほどの衝撃波を撒き散らして、一直線に大鵬たいほうの群飛へと強襲。


「予測的中! 我ながら流石の試算ね!」


 味方の弾雨を避けながら、雲霞に紛れて空の魔物をやり過ごし、群勢の中枢へと一気に飛び込む。ウルリカの目論見は成功したようだ。


 だが、雲霞に紛れては、地上の様子を視認して狙い撃つなど当然不可能。更に彼女は、魔術師達との精神感応テレパシー接続、縮退魔境エルゴプリズムの暴走抑止、そして乗じた儀仗剣の噴流制御と、既に三つもの並列処理を続けていた。その状態で新たに透視の魔術などを行使するのは、安定を欠くリスクが極めて高い。


 口では試算などと宣っているが、単に山勘が当たっただけなのだ。


「さあ! 連中の空きっ腹に底なしの飢餓をくれてやるわ!」


 ものの数十秒で高度はパーシーが弾き出した作戦区域にまで到達する、だがそれを見逃すほど愚かな群勢が相手ではない。大鵬たいほうの群飛はすぐにウルリカの接近を察知し、目標を彼女の喉元へと移行していく。


「――来たわね」


 虎の胴体に鷲の頭と翼を戴く瓢虞ヒョウグ、蜥蜴の身体に蝙蝠の翼を生やした蜥鵺セキヤ、細長い四肢に気高き鶏冠とさかくちばしを備え膜翼で舞う鷄蟄ケイチュウ。三者三様の魔物は、いずれも単騎で人の営みなど簡単に粉砕するだけの力を持っている。無論、人であるウルリカもまた例外ではない。そう、彼らの鉤爪が頬を掠めただけで、人は死ぬのだ。


「端っから承知の上よ。ここが正念場、あたしを撃墜すればアンタたちの勝ち。アンタたちを掻い潜ればあたしの勝ち……一つ、空のドッグファイトと洒落込もうかしら!」


 その毅然たる態度と共に、速力は更に増していく。ニヤリと口角を上げ、戦慄を闘志で塗り潰す。そしてウルリカは、未踏の難局へと身を投じたのだ。


 その行く手を阻むは、太古に存在したと言われる翼竜に似た魔物、蜥鵺セキヤ。視界を埋め尽くすほどの膜翼を広げ、獲物を狙い澄ました狂暴な眼を湛える。その姿はまさに、伝承に謳われる竜をさえ彷彿とさせた。


 あわや、激突するか――と、その瞬間、ウルリカは乗ずる儀仗剣の僅か微妙な角度でもって軌道をずらし、蜥鵺セキヤの骨張った腹を掻い潜る。頭上紙一重で衝突を避け、迫り来る死を振り切った。


 だがそれは、無数に飛び交う悪鬼羅刹の片鱗でしかない。最早ウルリカの眼前には、腐肉に湧く蛆虫が如く群がる、夥しい数の魔物の姿しか見えない――にも関わらず、


「へへっ、面白くなってきたじゃない……三流役者みたいな言葉だけど」


 彼女は笑っていた。人は真に恐怖を感じると、自然に笑みが零れてしまうという。彼女の笑みの原因がそれなのかは彼女自身にも掴み切れないが、なぜか胸が高鳴っていくのを感じていた。


 次々と、次々と、次々と迫り来る死の気配。人の子を蹂躙じゅうりんせんとして、頂点捕食者らは殺意を伴って押し寄せる。竜巻の如く、波濤の如く、火砕流の如く。それはまさしく、災厄を呈する。


 かつてアクセルの故郷を滅ぼした瓢虞ヒョウグ、その虎爪が、ウルリカの頭に掴み掛かる。目と鼻の先まで接近した、その刹那、彼女は儀仗剣の噴流を突如として止めた。すると、空気抵抗により瓢虞ヒョウグから膜状に生じた空気の潮流に乗じて、その虎爪を風に舞う木の葉のようにヒラリと躱す。狂暴な殺意を遣り過ごすと、すぐに態勢を立て直し、再び剣から噴流を放出した。


 間髪を入れず接近する魔物が一体。鶏冠とさか肉髯にくぜんを打ち震わせながら、耳をつんざく奇怪な鳴き声を発してウルリカに肉薄する、鷄蟄ケイチュウ。頭よりも一回り大きく発達した頚筋けいきんで、一つ穿てば、人の胴などポッカリ風穴が開いてしまう程の鋭いくちばし。魔物それ自体が、さながら極太の大矢を体現していた。


 ウルリカは真っ正面から対峙する。大きく開いたくちばしは、人一人を丸呑みに出来るほど。そのまま接触すれば、数秒後には鷄蟄ケイチュウの胃の中だろう。だが、彼女は速度を落とすどころか、目に見えて加速していく。既に軌道を逸らしたくらいでは、激突は免れない距離にまで接近する――その段階にきて、突如、ウルリカは儀仗剣を蹴った。弧を描いて離れ離れとなる少女と剣、宙に浮く人間を追うくちばし。彼女は手を伸ばして鷄蟄ケイチュウくちばしの先に触れる、それを支えに全身を跳ね上げて倒立、勢いそのままに宙空で前転、魔物の背中に足を着くと同時に蹴飛ばした。その身の軽やかなる様は、空中疾走という言葉が似合うか、まるで宙を駆ける伝説の鳥人が如く。


 空に投げ出されたウルリカは、特段慌てた様子もなく、冷静に指を鳴らした。すると、明後日の方向に放られた儀仗剣が切っ先を翻し、彼女の下へと駆け戻ってくる。しかし、彼女の逃走を悠長に待ってくれる魔物ではない。無防備となった人間目掛けて、続々と大鵬たいほうの群飛が凶刃を伸ばす。


「……一本忍ばせといて正解だったわ」


 分厚い外套の懐から取り出したのは、投擲せずに残しておいた雷槍だった。


「こういう使い方もあるのよ!」


 魔力を充填させ、起動させる。火花を散らす雷槍は、瞬時に放電を始めた。それはあたかも万雷の如く、刹那の速さで周囲の魔物へと感電していく。神経組織が焼けるほどの刺激に、ウルリカを取り巻く魔物の動きが止まった。その間隙を縫って現れた儀仗剣に飛び乗り、彼女は再び疾駆する。


「まだまだ! さあ、もっと来なさい! 根性見せなさいよ!」

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