Log-103【渦中の間隙/命の魔砲】

 ウルリカの打ち放った灼天しゃくてんの暴雨は、およそ一刻まで続いた。焼け爛れた地表が剥き出しとなり、魔物の骸が山のように夥しく広がっていた。この世の終末さえ思い浮かぶ光景に、だが、それでも魔物は依然として、そこに在った。最早その数は、人類が有する兵士の総数にすら匹敵するほどではないか。パーシーを始めとする観測者は愕然とその事実を目の当たりにしていた。


 しかし、うんざりはしつつも、ウルリカはそれを当然のように受け入れていた。その上で、一刻という猶予の中で、可能な限りの備えに奔走する。その為にまず彼女は、対魔都市防衛戦線に着任する者達全てに向けて、自らの素性と胸中を明かすことにした。


 声音を増幅し拡声する魔術、齎音ボイスボークを執行する。彼女の声は今や、数キロ先までに響き渡った。


「あたしは連盟部隊総統、アウラのウルリカ・ローエングリン。本部隊総司令官アレクシアの妹に当たるわ。またの肩書きを――勇者ウルリカと呼ばれる者よ」


 その冒頭で、突如ウルリカは全軍に向け、自らが勇者であることを告白。セプテムの地に生きる者にとっては、聞き捨てならない言葉だ。彼女の声を捉えた者は皆、耳をそばだてる。


「最初に言っておくわ、この戦いはまだまだ始まったばかりよ。あたしが先刻放った火矢は言うなればときの声。勝敗を分けるに足り得ないわ。だけど、小さな一歩であれ確かな前進よ」


 セプテムの地において勇者の公言は諸刃の剣ではあったが、先の灼天の暴雨が彼女によるものだという事実も相まって、今は良い方に転じたようだ。最初は小さな声だったものが、次第に鯨波げいはとなって全軍に広がっていき、高まる発奮を感じ取った。


「連中に物量で競えば必ず負けるわ。いいこと? 今あたし達は勝つために戦ってるんじゃない。負けないために、死なないために戦ってるの。曰く、グラティア軍到着は二日後、アウラ軍到着は七日後」


 明確な数字を示し、達成目標を明示する。暗中模索に近かった作戦意識を矯正し、全軍の結束を促した。


「持ち堪えるわよ。死力を尽くしてね」


 そして、彼女による言葉の発破。それは、未だ出現を続ける魔物の群勢を前にして、落ち込み始めていた士気を盛り返したようだ。


 それを切っ掛けに、再び人類は火砲を雨霰の如く放ち始める。それが焼け石に水であるとしても、それは破滅に対する抵抗の灯火が消えていない証左だった。


 砲撃が再び始まってから、暫くのこと。ウルリカとアクセルは側防塔を降り、アレクシア率いる連盟部隊に合流を果たした。すると彼女は、隊員たちから喝采を以って迎えられた。


 行軍道中の熱心な献身、先程の舌を巻く大規模な魔術、全軍に毅然として言い放った作戦の指導、そして、恐れを知らぬ素性の告白。一同は、その過酷な運命を物ともせずに背負い切るウルリカに対し、飾り気のない敬意を表したのだ。


「や、やめてよ。褒められたくってやってんじゃないんだから」


 ウルリカは頬を赤らめながら、喝采歓迎の雑踏を掻き分けていくと、部隊の最前線に立っていたアレクシアと対面した。彼女は満面の笑みを湛えながら、ウルリカを強く抱きしめた。


「おうおうおう! お前ってやつは自慢の妹だぜ!」


「あんたさっき血縁関係拒んでたじゃない。都合のいい奴ね――って、だからやめなさいよ人前でっ! 痛いっての!」


 密着する胴と胴の間に膝を差し入れ、アレクシアを蹴り飛ばすウルリカ。常人同士ならば当然蹴られた側が吹き飛びそうなものだが、吹き飛んだのは蹴ったウルリカの方だった。体幹の鍛えられ方が余りにも桁外れのようだ。


「……ったく、その馬鹿げたガタイといい、遠慮ないスキンシップといい、血縁を疑うのはこっちの方だってのよ」


「ハッハッハッ! そう恥ずかしがんなよ、家族じゃねえか!」


 頭をガシガシと撫でる、その手を払い除けるウルリカ。その光景にニヤニヤと微笑みを湛えながらエレインが、涼しい顔を湛えながらイングリッドが、生真面目な表情のルイーサが現れた。ローエングリン家四姉妹がここに再び顔を揃えた格好となった。


「ようやくみんな揃ったね。ここまで来るのも、長かったような、短かったような」


 エレインが横目で周囲を眺める。壮観と言えようか、三国が手を携え、屈強な兵たちが顔を連ねるその様は、人類結束の縮図を見ているかのよう。「教授、何とかあんたの思い通りになったわよ」と、ウルリカは心の中で囁いた。


「各々に役割があり、見事に全うして参りましたから。あとは、宿敵を討ち滅ぼすだけです」


 ルイーサは霧のような雪煙が舞う、広大な雪原を臨む。その遠方で、ウルリカの火矢がもたらした焦土の噴煙に紛れて、夥しい斑点が垣間見える。


「それが一番難しいんだけどね……」


 エレインは溜息を漏らしながら首を横に振る。誰もが初めて目の当たりにしたであろう規模の掃討魔術を以てしても殲滅し切れないのだから、頭を抱えるのも無理はなかった。


「……で? イングリッド、雪国じゃ氷結魔術が得意なあんたの独壇場でしょ? 迎撃態勢は整えたわけ?」


「侮らないで頂けるかしら。作戦始動前には終えていたわ。半径一キロは捕捉済、いつ何時も対応出来てよ」


 ウルリカの言葉に応じて、イングリッドは指を鳴らすと、彼女の魔力が大地に駆け巡る。同時に、眩いプラズマが一気に地面を走り、至る所に設けられた魔術の罠が発光して示された。


「ええ十分ね、助かるわ。で、アレクシアとエレインの方は投擲用呪物ウィッチガイドの用意出来てる? 中距離圏からの対地対空作戦の要よ」


「無論だぜ。魔力は各個練り上げてあっし、呪物ウィッチガイドも城の蔵から持ってきてもらった。いつでもやってやるさ」


 掌を握り拳で叩くアレクシア、意気揚々と言ってのける。エレインは腰に携えた一本の短い槍を手にする。それはグラティアにて夭之大蛇ワカジニノオロチの討伐作戦に用いられた投槍と瓜二つだった。


「ウルリカも見たことあるよね。うん、グラティアの戦いで使ってた雷槍だよ」


「ええ、その威力は織り込み済みってことね、助かるわ。大蛇は……まああれが異常だっただけで、尋常の魔物には十分な威力だわ」


 エレインは首肯する、と同時に、彼女はニヤリと口角を上げて、


「それと、エフ君が連れてきたウルリカ様信者も。何だか凄い魔術師だね~、色々と」


 ウルリカの顔を下から覗き込むように、悪戯な微笑みを湛える。


「あー、あれね。上手く使ってあげて。どうにもならなかったら、あたしが出るから」


 呆れたような溜息を漏らしながら手を振って、ニヤニヤとした彼女の接近を払い除ける。


「……あと、防塁作りはコイツを埋めといて、っと」


 ウルリカが懐から黄褐色を湛える魔石を幾らか取り出して、円周上に等間隔で放り投げる。


「ま、一先ずこんなもんね。あとはあたしたちの死力が試される番よ」



―――



「ふむ……こんなところか」


 蓄えた髭を摩りながら、複雑な計器を眺めるメルラン。そこは彼の図書館を思わせる研究室の、縮退魔境エルゴプリズムが保管された地下室の、更に下層に設けられた、格納庫と呼ぶべき様相を呈した空間。


 呪物ウィッチガイドによって構築され、夥しい呪文が刻まれた機械群が微光を放つ。眼前にうずたかく聳えるは、物々しい雰囲気を湛えた、火砲の如き鉄筒。妙に静かな魔力が靄掛かって包み込み、まるで命あるかのように異様な雰囲気を漂わせる。


「大老、用意は出来たようだな」


 メルランを大老と呼んで慕うのは、漆黒の装いを纏った、ゴドフリー・アナンデール。


「うむ。ここに、先の勇者達が揃ったわい。傲慢を通り越した悪魔の所業じゃが……矛先を神に向けた儂らなぞ、疾うに似たようなものじゃよ」


「俺は……悪魔でいい。真の自由が人の手に渡るならば」


 そう言って、ゴドフリーは火砲にしてはあまりにも巨大な鉄筒を眺める。すると、まるで意識が吸い取られるかのような感覚に陥り、激しい目眩に襲われた。


「あまり目を合わせるでない。今やそこにおるのは、研ぎ澄まされた刃そのものとなった者達じゃ。敵を討ち滅ぼさんとする闘争本能以外には、最早なにもないのじゃ……」


 心苦しさを言葉に滲ませるメルラン。ゴドフリーはその言葉の重みを、共感は出来ずとも、理解はしていた。


 “勇者ノ剣計画ソードオブザブレイブ”の立案者にして執行者であるメルランは、この世に生まれ落ち、その命を捧げていった勇者達の、言わば産みの親。勇者一人一人の名も、顔も、生き様も、全てその胸に刻んできた。


 その我が子のような勇者達に命を捧げさせ、更にこの期に及んで使い潰そうという非道なる業なぞ、およそ人である以前に、善悪問わぬ魔物に近しいものだろう。それを、メルランは人の身で為そうというのだ。ゴドフリーの価値観で推し量れる器量を優に超えているというもの。


「堕ちた、とは俺の浅はかな口では言えん。故に大老よ、奴が最期の勇者であると、今一度約束してくれ。これ以上、神の掌の上で、人類は愚かな惨劇は繰り返さぬと」


 本来、ゴドフリーの信条から見れば、外道と呼ぶに相応しい相手を、こうも信用する理由は、過去に世界を変革しようと試みて、まるで歯が立たなかった経験からくるものだった。


 ゴドフリーがまだ若輩者だった頃よりの付き合いであるメルランからすれば、彼の行動は自身の計画に楯突いたようなもの。だが、己の非力さを嘆く彼に、大老は迷わず手を差し伸べた。


 目指したものは、同じものだったと。同じような失敗ならば、自分はすでに百を超えていると。そして最早、神によって人類の期限は切られてしまったと。故に、此度が最期の勇者の旅路にして、これまでの蓄積全てを解き放つ最後の機会となると。


「……無論じゃよ。彼奴ならばやってくれよう――小生意気で、小賢しい、ただの小娘がのう」


 ウルリカに通じるかのような憎まれ口を叩く。だが、メルランの湛えたその表情は、まさに好々爺のそれだった。


「儂もまた、既に全てを託しておるのよ、彼奴きゃつにのう」

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