Log-078【新たな腕と、新たな不可思議-弐】

「なんなんだい、ありゃあ……」


 その影は、アクセルを取り巻いていた。だが、彼に危害を加える素振りはない。ただ、その黒体は魔力を感知しているのか、火花散る義手の接続部に“群がり”始めていた。比例して、火花は激しさを増していく、あちこちへと電弧が伸びていく。これ以上は設備に引火しかねない。


「まずいよ、下がるんだ! 二人とも!」


 エレインは身を挺して二人を下がらせる――その瞬間、アクセルの指に嵌められた指輪が、鈍い光を放った。同時に、義手に繋がった魔力計器が火花を散らし、亀裂が入る。ノイズのような異音を上げて、閃光とともに爆発、衝撃波が三人を吹き飛ばした。周囲の器具は散乱し、棚や手術台はなぎ倒されていく。


 コンクリートの壁に背を打って、痛みで項垂れていたエレイン。肺を押さえながら顔を上げると、塵煙が霧のように舞い、白一色の視界が広がる。


「……くそっ、何も見えやしない」


 レギナの声が真横から聞こえる。塵煙のせいで、黒い影だけが薄っすらと見えた。


 エレインは足元に落ちていたシーツを手に取る。魔術で微弱な電流を這わせ、横薙ぎに払った。するとシーツには大量の塵埃が付着し、シーツで払った軌跡に沿って抉られたように視界が開ける。


「お、そいつがお得意の魔術かい? 便利なもんだねえ」


 視界が開けると、額から血を流す隣人のレギナと再会した。


「まあそんなとこだね」


 エレインは懐から取り出したハンカチを手渡す。レギナは礼を言って額の血を拭った。


 同じ要領でシーツを横に薙ぎ、塵煙を払い除けていく。すると、白一色の視界の先に、人影を見た。


「アクセル、君……だよね? 大丈夫? 怪我はない?」


「あんな爆発、至近距離でマトモに食らったんだ。すぐ手当を――」


 エレインは足を止める。同時に、レギナを手で静止した。


 何かが違う、アクセルの雰囲気ではない。エレインは、眼前の影に言い表せられない異物感を覚える。


「……君……誰?」


「……エレイン、あんた何言って……」


 影はゆらゆらと揺れて、覚束ない足取りで向かってくる。その歩調に合わせて、二人も下る。一歩、また一歩。だが、すぐさま壁にぶつかってしまう。エレインは苦虫を噛み潰すように表情を歪め、抜刀した。


「おい、エレイン! あんた何考えてんのさ! そいつは仲間じゃなかったのかい!?」


「レギナ、僕の後ろに。何かがおかしいんだ。きっとアクセル君なのに、アクセル君じゃない」


「何言って……いや、確かに、そいつからは妙なプレッシャーを感じるよ。魔術に疎いアタシですら分かるんだ、あんたにゃ確信があるんだろうさ」


 レギナはエレインに従って、背後に下がる。だが念の為、腰に装着したホルスターから拳銃を抜いていた。次第に晴れていく塵煙。その先にいるモノは――


「なっ……!? どうなって……」


 直黒の、粘稠な闇が纏わり付くそれは、確かにアクセルの姿。だが、彼を包んだ闇は、尋常の現象ではない。光を飲み込み、熱を飲み込み、命を飲み込む。“それ”に触れれば、どんな生物であれ、即座に絶対零度の地獄が待っている。それは、途方もない脅威。


「あれ、まずい。闇魔術、だなんて言葉で括っていいものじゃないよ。触れれば……死ぬ」


「おい、本気なのかい? あいつ、見かけに寄らず、とんでもない魔術師だったんだねぇ」


「ううん、アクセル君にここまでおぞましい魔術なんて扱えない――いや、あのウルリカにだってこんな出鱈目な魔術なんて使えないよ。誰なんだ、君は」


 エレインはアクセルの姿をした何かに問いかける。返答はない。ただ俯いたまま、ゆっくりと近づいてくる。それが敵意なのか、無意識なのかすらも分からない。


 エレインはレギナを背負いながら、壁に沿って部屋の角に下がる。すると、“それ”はエレインたちの方に向かってきた。確かに“それ”は、エレインたちを認識していた。


「やめて、アクセル君。君と戦いたくはないんだ。目を覚ましてよ」


 “それ”の足は止まらない。徐々に、距離は詰められていく。粘りつくような、ひしひしと肌に伝わる、強烈な魔力。胸底を抉られるような、悪心催す戦慄を掻き立てられる。


「君は、誰なの? 何のために、こんなことをするの? やめてよ、アクセル君には使命があるんだ」


「ちっ、聞く耳持っちゃいない。まずいね、こりゃ」


 エレインたちの足が止まる。既に部屋の隅まで後退し切っていた。退路は完全に絶たれた。


 だが、エレインは語り掛けるのを止めない。


「だめだ、そんなものに飲まれちゃいけない。君にはまだ、果たしていない使命があるじゃないか」


「エレイン、無駄だ。そいつはもう――」


 エレインは首を振る。まだ諦めてはいなかった。


「君が命を賭して、ウルリカを支えていることを、僕も、あの子も知っている。ウルリカが勇者として、その使命をきちんと全うする。それを支えることが、アクセル君の使命だってことも、知っている」


 アクセルが、自らの胸に刻み込んだはずの、その使命に、一縷の望みを託す。


「君は! ウルリカの守護者だろう!? 何のために今、地獄のような苦痛を味わって、失ったものを取り戻そうとしたんだ! 偏に、ウルリカの為だろう!? これからなんだよ、君や僕たちの使命は!」


 エレインは意を決する。確実な死を前にして、一歩踏み出した。


「おい! 待て! 早まるな!!」


 レギナの制止を振り切り、エレインは“それ”の眼前に迫る。直黒の闇の中に手を突っ込み、襟首を掴んで“それ”の身体を引き寄せた。その勢いで、二人の額が音を立てて衝突する。


「馬鹿ァ!! なにしてんだよアクセル!! さっさと正気になれよ!! ウルリカが悲しむんだよ!!!」


 エレインは額をあてがったまま、腹の底から怒号を浴びせる。その覇気は、豪胆なレギナをして竦み上がらせるほどの叫声。


 だが、レギナの目からも、瞬時にエレインの身体から力が抜けていくのを見て取れた。襟首を掴んだ手は離れ、足は身体を支えられず、“それ”の前に膝をつく。


 それでもエレインは、枯渇したはずの力を振り絞り、“それ”の足にしがみつく。


「何、してるんだよ、本当に……君は、誰よりも……僕なんかよりも、よほど……勇者、らしかった……じゃないか……」


 掠れゆく声、エレインは衰弱し切っていた。末端は凍えきり、血は巡らず、思考はままならない。このまま“それ”の傍にいれば、死の訪れは確かだった。


 エレインが意識遠のく瞬間、何かを打ち付ける音が聞こえるとともに、“それ”が彼女から離れた。いや、弾き飛ばされたと言ったほうが正確だった。


「ちっ、あんた大したもんだよ全く……本当に、ただ一瞬触れただけで、怖気が貫きやがるってのに」


 エレインは支えを失って、床に倒れた。視界の端で捉えたのは、“それ”を殴りつけた影響で、みるみるうちに青ざめていき、しまいには吐血してしまうレギナ。


「クソッ、なんて野郎だい。朦朧としてきやがるよ……」


 ふらついて倒れそうな自らの身体に、手に持った銃の引き金を引く。レギナの大腿に、風穴が空いた。


「おいテメェ!! 女の子に手を上げるたぁ、男の風上にも置けねえ野郎だよ!! 勇者の名が聞いて呆れるねぇ!! 勇者ウルリカって奴も実は大したことねえんじゃないのかァ!? なあ!? おい!! 何とか言えってのさ!!!」


 先ほどのエレインに負けず劣らない覇気で怒号を浴びせる。遮音の魔術を施した手術室にあって、その術式が乱れるほどの叫声。


 途端、レギナの意識が途切れた。魔力の急激な消失が欠乏症を引き起こしたようだ。彼女はそのまま、前のめりに倒れ込んでしまった。


 万事休す。ほんの微かな意識の最中で、エレインは諦念する。手は尽くした、と自らに言い聞かせる。道半ばの事切れに無念を抱きつつも、迫りくる安息に身を委ねた。今や、思考に耽るにも苦痛を伴った、考えることをも放棄する。その時――


 ――“それ”の足が、止まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る