Log-073【氷雪の異邦にて、因縁新たに】
「私はローエングリン家末裔、ウルリカと申します。この度は我が国アウラの王ヴァイロンの勅命により、貴国の陛下エフセイ・ボブロフ様への御目通り願いたく存じ、まかり越しました」
陽が照りつける真昼、セプテム城門前。フードを取って慇懃な態度と言葉遣いで礼をするウルリカ。門番は見下ろすほどに小柄な少女に対して、
それもそのはず。年端もいかない少女が貴族の末裔と名乗り、その上、彼女越しに見えるは、百騎を超える
「――アナンデールから聞いてるわよね」
門番に耳打ちをしつつ、一枚の紙切れを手渡した。門番は懐から、恐る恐る、同じような紙切れを取り出す。そこには、ゴドフリーの直筆による暗号が記されていた。その紙に書かれていたのは、母音と子音があたかも無作為に見えるよう作為的にずらして文章を作成する暗号法だった。
「“この割符を持つ者は間者か協力者。前者は少数、後者は多数。疑わしきは罰せず、明朗なるは悪意の装束。決断は貴様の目で見定めよ”」
「……なぜ、それを」
本来、この暗号は裁定者に当てられた内容だった。この場合はセプテムの門番側に対してであり、ウルリカはゴドフリーからこれが暗号であることすら聞かされていない。だが彼女は、彼から受け取った片割れの内容しか記されていない割符から、予め暗号手法を解析し、割符を重ね合わせた、たった今この場で瞬時に変換したのだ。
「あんたたちがゴドフリーに加担してるのは分かってるわ。通して頂戴」
「……通れ」
門番は観念したように道を開ける。後に知ったことだが、門番の者達はゴドフリーにより買収されていたようだ。公務に就く立場上、独裁者ボブロフの傘下にあるのは明白だが、職業柄の俸給は芳しくない。ゴドフリー曰く、買収は簡単だったようだ。
幕壁の周囲を穿った堀の上に跳ね橋が掛かる。ウルリカは再びフードを被り、部隊を先導する。だが、入門するには
連盟部隊は一時間ほどで乗り換えを完了させる。雪道仕様の蒸気自動車を駆っていたパーシーは降りたくないと愚図ったが、ウルリカに首根っこを押さえられて荷馬車に押し込まれてしまった。当然の帰結だろう。
満を持してセプテムの城郭都市へと足を踏み入れる一行。待ち受けていた都市内部の光景が一行に与えた印象、それは先般イングリッドが感じたものと同様に、極めて先進的な文明街への感動と、しかし沈滞なる鈍色の街並みへの憂鬱さ。そして、都市に渦巻く、一触即発の張り詰めた雰囲気への警戒だった。
「セプテムの機械文明はやっぱり伊達じゃないわね。既に町中の構造が機械的に体系化されてるわ。水道やガスに留まらず、電気通信回線すら配線されてるわ」
車窓から街を眺めるウルリカがそう言うと、隣で眺めていたレンブラントが首肯する。
「ああ、経済的優位にある母国アウラといえど、ここまで徹底されてはいないな。だが、決して明るい世界とは言えない点が気掛かりだ」
手を顎に置いて眉をひそめるレンブラントの言葉に、腕組みをして物思いに耽るルイーサが問う。
「物の豊かさだけが幸福だとは限らない、ということでしょうか?」
「そうね、人はパンのみにて生きるに非ず。結局、心の豊かさこそが人にとっての本当の豊かさなのよね。都市機能は合理的でも、人の心までは考慮できてないわ。なんせ、心の豊かさは合理に相反する遊びが育むんだから」
それは、ウルリカが城郭都市までの行軍中に講じた、士気維持のための策にも通ずることだった。苛烈極まる極限の環境下で前進するためには、心を充足させなければいけなかった。
それは“生きるため”の食事だけでは満たされない。酒と煙草に酔い、仲間と語らい、芝居や賭け事に興じ、戦慄を楽しみ、空想に思いを馳せ、逢瀬に
革命運動の最中という時世に関わらず、この都市にはそんな遊びに興じるだけの余裕が枯渇していたのだ。
「この国を今以上の災難が押し寄せてきてるんだから。急がなくちゃね」
気丈に振る舞うウルリカ。しかし、その緊張の糸が僅かでも緩むと、視界が歪んでしまうのを自覚していた。頭を振って頬を叩き、神経を奮い立たせる。尋常ではない強情さで、意識を保ち続けていた。
―――
「来たか」
ウルリカたちの来訪に、ゴドフリーが椅子から立ち上がる。隣に座した革命軍筆頭のレギナと側近のサルバトーレも椅子から立ち上がり、
「あんたが勇者ウルリカか。アタシは革命軍筆頭のレギナ・ドラガノフだ。よろしく頼むよ」
「ええ、ゴドフリーから聞いてるわ。ウルリカ・ローエングリンよ」
ウルリカは防寒具のフードを取って握手する。続いて、アレクシアが手を取った。
「俺が今回革命軍に加勢する連盟部隊の総司令官を務めるアレクシアだ。よろしく頼むぜ」
「アタシ、あんたみたいな肝の座ってそうな奴が好みなんだ。頼りにさせてもらうよ」
「おおっ! 良い奴だなアンタ! 筆頭同士、気が合いそうで何よりだぜ!」
アレクシアは握りこぶしを差し出すと、レギナも彼女に合わせて握りこぶしを当てる。
「……テメェがローエングリン卿のウルリカか。初めて顔を合わせるが、俺はテメェをよく知っているよ。サルバトーレと結託して、ウチのモンが随分世話んなったな」
マフィア構成員がひしめく合間から、静かに現れたのは、かつてのルカニアファミリー首領サム・デトルヴだった。かつてウルリカが崩壊寸前にまで追いやった犯罪組織の頭取であり、結局両者相見えることなく終戦した間柄だった。
「あら、貴方はルカニアファミリーのサム・デトルヴね。お初にお目に掛かるわ」
横目で淡々と応対するウルリカ。そんな態度に、サムは歯痒さを滲ませる。
「ケッ、尊大な餓鬼だ。アナンデール卿の手前でなけりゃ、キッチリ落とし前つけてもらいたかったところだよ」
すると、ウルリカは目を伏せて、僅かな間、物思いに耽っていた。すぐに目を開くと、身体をサムの方に向け直し、改まった口調で話し始めた。
「気持ちは分かるわ。確かにあたしは、あんたにもあんたの組織にも、何ら縁もゆかりもなかったにも関わらず、徹底的にのめしちゃったわけだしね。でも、実力が物を言うあの界隈なら仕方ないでしょ? お互い命掛けてたんだし、端からその覚悟に織り込み済みの事件だったってことで手を打って頂戴。ただまあ、そうね……あの一件以後、何の支援もせず、あの界隈からさっさと姿を消したのは、正直、義を果たせてないって自分でも思うわ。あたしの率いてたクレストレートも、宙ぶらりんなままにしちゃったし。その節は、申し訳なかったわね」
意外だった。悪魔か何かの化身かと思っていた女が、自分の非を認め、深々と頭を下げたのだから。サムが毒気を抜かれてしまうのも無理はなかった。
「ああ、いや、だが、まあ、なんだ……フェデーレの墓をたててくれたことは、俺も感謝している。結果的に、あいつはテメェらの密偵だったわけだが、ウチの組に居たことにゃ違いない。なら……あいつもウチのモンだからな」
ウルリカが感じたものもまた意外だった。自分を憎んでいるのなら、その使者であり、彼を欺いたフェデーレもまた、憎む対象だと思っていたからだ。にも関わらずサムは、彼を憎むどころか、一人の仲間として
そして何より、当時のフェデーレはウルリカの策によって、極めて隠密性の高い人物として仕立て上げられていた。彼が所属していたクレストレートの者でも、今や彼の顔でさえ覚えている者は誰一人いないだろう。だがこのサムは、あろうことか、その名前をも忘れずに覚えていた。当事者であるウルリカにとっては、彼がどれほど本心で語っているのかを証明する、これ以上にない説得力だった。
「確かに、テメェの所為で裏社会の均衡は崩された。だが、テメェは結局、組織を殆どを堅気の商売で運営してのけやがった。そのお陰で、食いっぱぐれずに済んだ連中……いや、真っ当に生きられるようになった連中を、俺は何人も見てきた。良し悪しはどうあれ、テメェはあの世界を変えちまったんだ。テメェが持ってる、その何かを“変えちまう力”ってのを、今は信用させてもらう」
その寛容さは、アウラの暗部であり血塗ろの裏社会を牛耳るルカニアファミリーの首領のものとは到底思えない、まさしく高貴なる人格者のものだった。
「……ええ、気持ちは素直に受け取っておくわ」
ウルリカは再び、辞儀の格好を取る。誰からも悟られないよう、頭を下げて伏せたその顔には、優しい微笑みが浮かんでいた。
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