Log-060【人の業と、ヒトの性】

 夜の帳が下りた頃。夜の肌寒さを感じる季節、広場の中央では火を焚き、幾人かの駐屯兵たちが囲っていた。今日の戦いを振り返る者、明日からの遠征を喜々と語らう者、酒に酔い呵々大笑する者、寡黙に剣を手入れする者。アクセルもまたジェラルドと共に、煌々と揺らめく篝火の光に照らされていた。


 ジェラルドは長身で大柄な体躯、鷹揚な印象を与える堀深い顔に似合わず、酒に弱い。しかし、今夜は不思議とぶどう酒の入った酒瓶を片手に持って離さなかった。


 篝火が彼の紅潮した顔を照らす。酒が一度入った途端に、閉じることのない口数も減っていき、今はただ呆然と、篝火の光を見つめるだけだった。そんな彼の様子に、アクセルは何か妙なものを感じ取る。


「団長、何か思い詰めた様子ですね。どうかしたのですか?」


「ん? ああ、いや……そう見えるか? そんなつもりはなかったんだがな」


 とは言いつつも、やはりいつものような覇気を感じられない。誰よりも率先し、常に明朗な男は、一団を取り締まる長としての風格が常に漂っていた。だが今のジェラルドは、態度と言葉の端々に余所余所しさがあり、他人を寄せ付けない雰囲気すら湛えている。


「団長、話すだけ話してもらえませんか? 僕は、団長に背負わせてしまったものがあります。だから僕にも何か、団長の荷物を肩代わり出来れば、嬉しいのですが」


「……」


 ジェラルドは暫くの沈黙ののち、吹き出すように微笑んだ。アクセルの方を振り向いて、手を横に振り、


「いや、本当に、大したことじゃないんだ。お前にそこまで言わせてしまうつもりもなかった。ただ最近、何だろうな、歳のせいかもな。柄にもなく――不安に駆られるんだよ」


「不安……」


「昔は、不安になんてなら……いや、言葉にすると難しいな。不安はあった、確かにあった。だが、今抱いているような、漠然とした不安じゃなかった。命の遣り取り、死の恐怖、そういう……青臭い不安だ」


 再びジェラルドは篝火に目を向けた。細めたその瞳は、不意な自我の変化に対する歯がゆさを物語る。肝胆から湧き出てくる感情に整理がつかず、不愉快さを湛えた表情を篝火に投げ続けた。あたかも、自身の軟弱さを燃え立つ炎へと焚べるように。


「この先、人生の、不安……ということ、ですか?」


「……ああ。そう、だな。多分、そういうことなんだろうな」


 ジェラルドはそう言って、火照った頭を振る。自身を嘲笑うように、鼻で笑った。


「そう言えば……お前がここを去ってから、色々と考えることが多くなった。人生だとか、生き死にだとか、家族だとか、故郷だとか……」


 星空を仰ぐ。天に佇む星屑の一つ一つが、今のジェラルドにとっては眩しく映る。


「……お前には、話したかな。俺の家は、本当に貧しかった。路上のパンくずを拾って食うなんて、しょっちゅうだった。父は、物心ついたときには、居なかった。出て行ったのか、死んだのか、それすら分からない。母は死ぬまで、父の事を話してはくれなかったな……」


「……それでも団長は、非行には走らなかったんですよね。ただ直向きに、仕事と鍛錬に励んで」


「はっ、度胸がなかっただけさ……俺には、唯一の楽しみがあったからな。年に一度の武闘会。闘技場なんて入れないから、壁をよじ登ってまで見たっけな……」


 幼少時代を振り返る。決して身体の強い方ではなかったが、暇を見つけては街中を駆け回っていた子供だった。一流の戦士が腕っ節を競い合う武闘会に出会ってからというもの、いずれ自分もその栄光を頂かんと、雇われ仕事をこなしながら、身体を鍛える日々を過ごしてきた。出場には家柄を問われてしまう武闘会に出ることは遂に叶わなかったが、結果的にその日々は無駄にはならず、雇用先の親方からの勧めで、駐屯兵としての道が開かれることとなった。


「父も母も、他界した。兄弟はいない。俺の家族は、もう俺だけだ。恋人……なんてのも、いたかな。だが今は、俺独りだ。俺の故郷には、誰も待っちゃいないんだ」


 ジェラルドは額を押さえる、目を閉じて、思考に耽る。暫くの後、手に持つぶどう酒の瓶を仰ぎ、飲み干した。空を見上げ、火照った顔で放心する。


「……悪い、お前は俺なんかよりも、ずっと悲惨だったな」


「いえ……僕は、恵まれていますから。ローエングリン家という、我が家に恵まれています」


「ははっ、そりゃそうだ。あんな美人に囲まれて過ごすなんて、男の本望だろうさ」


「あっ、いや、そういう意味では……」


「冗談だよ。だが、時に羨ましく思うよ、お前の事をさ」


「団長……」


 微笑みを湛えながら、憂いを帯びた横目でアクセルを見るジェラルド。それはきっと、素直な感情なのだろう。


「今回の遠征……まあ、仮に生き残れたとしよう、成功に終わったとしよう。道中は楽しい、きっとな。だが、それが終われば、俺はまたここに戻ってくる。いずれ、きっと……俺はここで死ぬ。ここの連中は看取ってくれるだろう、多分な。だが、この血筋は……俺で終わり。故郷の家も、ここに来る前に売り払った。家族はおらず、子も成さず、想い人もなく……」


 思いのままに言葉を紡ぐ。束縛、孤独、虚無。目に見えてしまった軌条の先に、己の未来が如実に映る。枷を纏う己が、老いていく己が、朽ちていく己が。止めようのない足取りで、目を背けられぬ運命へと向かっていく――身震いのする不安、底知れぬ不安がのし掛かる。考えれば考えるほど、結論が定まっていく、袋小路が見えてくる、逃げ道はない。


 ジェラルドは歯を食い縛り、目眩を起こすほど頭を振る。雑念を振り払い、今この時に視点を合わせた。


「……いや、いや、湿っぽいのは仕舞いにしよう。遠征の道中なら、こんな事を考える余裕もなくなるだろうさ。明日は早い、もう寝るとしよう。済まないな、アクセル。こんな話に付き合わせてしまって」


「……団長。僕は団長の希望を、望むままに叶えて良いと思っています。始末さえつけてしまえば、他の全てを、投げ出したとしても」


「そう、か。どうだろうな。俺の望み……か。まあ、考えておくさ」


 そう言ってジェラルドは、よろめいた足取りで、詰所へと戻っていった。

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