第179話 不老長寿

 不老長寿。


 それは人類の夢と言ってもいいだろう。

 現代の科学力を持ってしても、未だそれを叶えた人間はいない。


 生物として生きていれば、当然、細胞は分裂する。

 そして、テロメアは減っていき、老化が起こる。

 それは避けられない。

 老化を遅らせることはできる。

 だが、完全に老化を止めることはできない。

 ゆえに、不老は実現できていない。


 だが、長寿は違う。

 食生活や生活習慣により、寿命を延ばすことは可能だ。

 特に食生活は重要だ。

 なぜなら、人間に限らず、生物は何かしらの栄養を取り込んで生きている。

 それが身体を作り、エネルギー源になる。

 つまり、食べるものが違えば、身体を構成する要素も変わってくるのだ。


 だから、不老長寿を目指すものは、それをもたらす食べ物を求める。

 それは、古今東西、変わらない。

 そして、不老長寿をもたらす食べ物には、果実が多い。

 それは、ただの伝説や迷信であることもあるが、全てがそうではない。

 いくつかの果実は、科学的にもその効果が認められている。


 夏から秋にかけての、この季節。

 その果実が世に出回る。

 人類の夢である、不老長寿をもたらす果実。

 当然、それに手を出そうとする者は多い。

 だが、実際に手を出す者は少ないのが現実だ。


 なぜか?


 その理由は価格だ。

 栽培技術や流通経路が発達した現在。

 果実の出回る量は増えた。

 しかし、不老長寿の実が、そんなに簡単に手に入るわけがない。

 高価であることに変わりはない。


「ちょっとは安くなってるかな」


 人々はそれを求め、だがその困難さに一度は挫折し、それでも諦めきれずに再び挑戦する。

 しかし、チャンスが無いわけではない。

 ゆえに、幾度、壁に突き当たったとしても、諦めることはしない。


「おっ!」


 手を伸ばせば届くところに、その果実は存在した。


☆★☆★☆★☆★☆★


 白と赤が淡く混じり合う姿が美しい。

 近くを通ると漂ってくる香りが、脳を蕩けさせる。

 無意識に手が伸びてしまうのを、辛うじて止める。


「どうする?」


 自問自答する。

 出始めの時期より値段は安くなっている。

 しかし、その差は僅かだ。

 高価はことには変わりがない。

 一時の快楽のために手を出せば、のめり込んで抜け出せなくなることは、間違いない。


「せめて、もう一押し。なにか、理由でもあれば・・・・・」


 不老長寿の実。

 これが、そう呼ばれているのは知っている。

 それだけではなく、魔除けの力があると言われていることも知っている。


 魔除けの力はともかく、不老長寿の方は科学的にも証明されている。

 直接、寿命を延ばすわけではないが、様々な病気を予防するそうだ。

 ある意味、それが魔除けと言われる所以なのかも知れない。

 だが、その効果が表れるのは、あくまでも摂取し続けた場合だ。

 一度食べた程度では効果出ない。

 効果が出るまで食べ続けるなど、破産を覚悟しなければならないだろう。


「ダメか・・・・・」


 理由としては弱い。

 確かに魅力的ではあるが、リスクを考えると危険すぎる。


 桃源郷。


 その入口の鍵は目の前にある。

 だが、仙人でもない自分には、ハードルが高すぎる。

 半ば諦めかけて周囲を見回す。

 なにかを期待した動作ではなかったが、そこで見つけた。


『割引品。早めにお召し上がりください』


 これだ!

 反射的に行動に移す。

 決して走ることなく、だが素早く。

 他人に遅れを取らないように、そこへ移動する。


 そこにあったのは楽園だ。

 様々な果実が置かれ、甘い香りを漂わせている。

 まるで、こちらを引きずり込むような甘い香りだ。

 葛藤していたところに楽園を見せられ、その誘惑に逆らえずに手を伸ばす。


 ぴたっ。


「待てよ」


 手が触れる寸前。

 頭の片隅の冷静な部分が警鐘を鳴らす。

 なぜ、これほどの甘い香りを放ちながら、ここに残っているのだ。

 疑問に思う。


 ちらっ。


 別の角度。

 特に上からは見づらい、棚と接している面を見る。


「!」


 そこには、甘い香りを放ちながらも、少し黒ずみかけた部分が見えた。

 腐っているというほどではない。

 だが、熟し過ぎている。

 甘すぎる香りは、そこから放たれていた。


 これは罠だ。

 甘い香りでおびき寄せ、獲物を捕まえる罠。

 気付かずに、これを手に取っていたら、きっと後悔していただろう。


 腐った果実は苦い。

 これは、その境界だ。

 苦くなく、ただ甘い可能性はある。

 だが、苦い可能性もある。

 苦みは毒を連想させる。

 あまりにも危険な賭けだ。

 極楽と地獄を繋ぐ、1本の細い蜘蛛の糸。

 判断を間違えば、地獄に真っ逆さまだ。


「・・・・・普通に買うか」


 割引品を諦め、少し高いが確実に美味しい品を手に取る。

 一度手を触れた以上、後戻りはできない。

 だが、後悔はしていない。


「年に1回くらいは、生の桃を食べたいしな」


 缶詰は年中食べられる。

 あれはあれで良いのだが、生の桃は別物だ。

 桃源郷の名の由来にふさわしい。

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