第90話 冒険者の休息

 日常が戦いである冒険者(サラリーマン)ではあるが、ときには休息も必要だ。

 特に最近は食事も落ち着いて食べることができなかった気がする。

 食事中に念力を使ったり、伏兵と戦ったり、気が休まることが無かった。


 今日は休日だ。

 ゆっくりと休息を取ろう。

 それも、ただ身体を休めるだけではない。

 心を休めたい。


「(こんなときは・・・)」


 人間は肉を食べると闘争本能が刺激されるらしい。

 気が落ち込んでいるときには効果的だ。

 それに栄養豊富で疲労を回復する効果もあるだろう。


 しかし、今日はそんな気分ではない。

 あえて、菜食で安らぎを感じたい。


「(これだ!)」


 今日は巻き寿司の専門店に来ている。


☆★☆★☆★☆★☆★


 巻き寿司。

 寿司の一種だ。

 寿司と聞くと、なんとなく、めでたい感じがする。

 今日はこれを菜食だけで攻めてみるつもりだ。


「かんぴょう巻きを下さい」


 かんぴょう。

 巻き寿司にはつきものだ。

 だが、その多くは脇役としてだ。

 しかし、これは違う。

 その脇役を主役にまで持ち上げた一品だ。


 きらーん。


 お客さん分かってるね。

 そんな視線を店員が向けてくる。


「それと、梅きゅう巻きを下さい」


 梅+きゅうり。

 いわゆる、かっぱ巻きの派生形だ。

 だが、生のきゅうりを巻いただけの、少し物足りないかっぱ巻きとは違う。

 一手間加えることにより、その格を押し上げている。

 梅の酸味が酢飯との一体感を増し、淡い塩味がきゅうりを馴染ませている。

 にもかかわらず、かっぱ巻き特有の、ぱりっとした歯ごたえや爽やかさは失われていない。

 芸術的なバランスを持つ品なのだ。


「(漬物巻きは・・・止めておくか)」


 嫌いではないが、今日は気分ではない。

 沢庵や柴漬けを巻いた細巻きは、今日のメニューに入れるには少し個性が強い。

 これらは、魚の寿司とともに食べてこそ、味が引き立つ。

 旅館の豪勢な魚料理や肉料理の後に、ご飯と味噌汁と漬物が出てくるようなものだ。

 茄子の浅漬けの握り寿司ならメニューに入れてもよかったが、今日の気分は巻き寿司だ。


 じーっ・・・


 こちらの葛藤を見抜いているのか、店員は静かにこちらを観察している。

 客の選択に余計な口を挟まない、よい店員だ。


「あとは、わさび巻きをお願いします」


 わさび巻き。

 人によっては、魚の巻物からネタの除いた、貧乏くさい巻き寿司と言う。

 だが、そんな人間は、本当のわさび巻きを食べたことが無いのだろう。

 わさびは充分にネタになり得る。

 甘味、辛味、そして風味。

 それらが合わさった旨さは、他のネタでは得られない。


「以上でよろしいですか?」


 こちらを試すように、店員が確認を求めてくる。


「あ、ガリは多めにもらっていいですか」

「分かりました」


 にやり。


 合格をもらえたのか、笑顔とともに注文した品を手渡してくる。


「ありがとうございました」


 店員に見送られながら、帰路についた。


☆★☆★☆★☆★☆★


「はふぅ」


 熱い日本茶を入れて一息つく。

 まるで温泉に入っているかのように落ち着く。


 ぱくり・・・ふにゅん。


 あまじょっぱい味が口の中に広がる。

 同じあまじょっぱい寿司なら、いなり寿司という選択肢もあるが、これはまた違った味を提供してくれる。

 かんぴょうの食感が、野菜を食べているということを実感させてくれる。


 ぱくり・・・ツーンッ!


 わさびの風味が鼻を抜ける。

 これが癖になる。

 味を楽しむとともに、味覚がリセットされる。


 ぱくり・・・ぱり。


 きゅうりの小気味良い食感とともに、爽やかな酸味が舌に染み込む。

 梅肉の深い味わいが、満足感を与えてくれる。


 パリパリ。


 そこにガリだ。

 1サイクルの節目に食べるガリは、しょうがの風味により、それ自体が一品のようだ。


 ずずっ。


 お茶の苦みで口を洗い流した後は次のサイクルだ。


 ・・・・・


 全てを食べ終わる頃には、すっかり心が安らいでいた。

 明日からは、また殺伐とした冒険者(サラリーマン)としての生活だ。

 今日くらいは、この気分のまま過ごそう。

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